フォト
無料ブログはココログ

« チョン・イヒョン『マイスウィートソウル』 | トップページ | 【書評】三浦しをん『神去なあなあ日常』 »

2012年8月 5日 (日)

イ・チャンドン「ポエトリー アグネスの詩」

文学と映画 行ったり来たり
――不急順不同、起承転結なし(主に韓流)
第22回 映画「詩」――詩はどうしたら書けるのか

02   大津のイジメ自殺事件(2011年)発覚以来、次々にイジメ問題が暴露され、今やテレビや週刊誌はイジメ記事で溢れている。これまで隠蔽されてきたものが一挙に吹き出した感じだが、実際にはいまだ表面化されないものが殆どなのだろう。
 イ・チャンドン監督作品「詩」も、韓国で実際に起きた女子中学生集団性的暴行事件から着想を得たらしい。マスコミが暴露した複数の性的暴行事件の結末は、被害者だけが身体的・精神的に追い詰められ続け、加害少年たちは殆ど罰を受けていないということだ。「トガニ」を思い出す。
 映画「詩」の冒頭、川面を流れる少女の屍体が映し出される。少女は6ヶ月にわたって同級生のグループに強姦され続けた末に橋から飛び降りた。映画の主人公66歳のヤン・ミジャは病院の帰りに嘆き悲しむ少女の母親の姿を目にする。古びた狭いアパートに帰って、二人暮らしの孫の少年に話すが、孫は知らない口を聞いたこともない、と言う。
 ミジャは田舎の小都市には似つかわしくないほどお洒落で可愛らしい老人だ。華やかな服装で病院や詩の講座に通っている。けれど決して経済的に豊かな訳ではなく、家計を支えるために金持ち老人の入浴介護にも通っている。どうやら介護士の資格で働いているということではなく、個人的に契約して働いているようだ。ミジャが孫と二人暮らしである事情などは不明。少年の母親は別れて住んでいる。
 ミジャは市の詩の講座に通うほかにも、詩の朗読を楽しんだりするサークルにも参加するようになる。いつも美しいものを見つけてメモをとる。でもなかなか詩は書けない。病院でアルツハイマーと診断されるが、そのことは誰にも言わない。気丈に振る舞い、身体を動かした方が良いと孫とバドミントンをしたりする。孫も嫌々ながらでも付き合う。さすが「東方礼儀の国」である。最後の方ゲームセンターで遊んでいる孫を連れ出すときも、孫の友人たちは礼儀正しく頭を下げて挨拶する。孫もしぶしぶだが従う。日本のドラマだったら、クソババア扱いされるのが関の山だ。孫たちのグループは、同級生の少女を性的虐待し続け自殺に追い込んだ加害者集団である。
 ミジャは加害少年の父親たちに呼び出され、示談に持ち込むための金を分担するので用意するように言われる。ミジャには余分な金はない。孫の犯行についてどう考えたら良いのか分からない。
 ミジャはいつも詩を書くためのメモを付けているが、現実は孫が少女を自殺に追いやった強姦犯で貧しい暮らしのなかで大金も用意しなければならない。自身はアルツハイマーで、物忘れが頻繁になっていく。
 加害者父兄の集まりで、「孫と二人暮らしの可哀想な老人」であるミジャが被害者の母親に会ってくることになる。畑を訪ね歩きながらも草花を愛で、鳥の声に耳を傾け、美しいものを探してメモをとるミジャ。落ちた杏の実を拾い楽しい気分になってしまう。少女の母親に会っても笑顔で自然や農作業の話をしてしまう。後ろを向いて帰ろうとした瞬間、自分の来た目的を思い出すが、もう一度振り返ることはできない。
 ミジャは死んだ少女ヒジンの足跡を訪ねる。ヒジンの通った教会に出向き、ドア前に置かれた彼女の写真を持ち去る。ミジャはその写真を、孫が食事する自宅の食卓に立てる。ヒジンが輪姦されていた中学校の化学室を窓から覗き、少女の落ちた橋の上から川面を覗く。俄雨の中、川縁でノートを開いてメモを付け続けるミジャは、このときヒジンの痛みを自ら体験する決意をしていたに違いない。美しいものを見て詩を書きたかったミジャは、現実を直視する決意をしたのである。詩は現実を直視する決意からしか生まれない。
 詩の講座が最終回を迎え、先生の演台に花束と一篇の詩が置かれている。ミジャ以外の参加者は結局詩を書けなかった。先生は、「詩を書くのが難しいのではなく、詩を書こうとする心を持つのが難しいのですよ」と語る。先生は、ミジャが置いて行った「アネスの詩」を朗読する。「アネス」とはヒジンの洗礼名である。

    そこは どうなっているのか
    なんて もの淋しいのだろうか
    夕刻には やはり夕焼けになり
    森に飛ぶ鳥たちの歌声が聞こえます
    どうしても出せない手紙
    あなたは受け取れるだろうか
    できない告白 伝わりますか
    時間は流れ 薔薇は萎れるのでしょうか
    もう惜別の時間
    ためらいがちな風のように 影のように
    来なかった約束も
    ついに 秘密だった愛も
    悲痛な私の足首に口づける草の葉ひとつ
    私についてくる小さな足音にも
    惜別する時間
    今、暗闇が来たら再び蝋燭に灯を点すのですか
    私は祈ります
    誰も涙を流さないように
    私がどんなに切実に愛したのか あなたが知ってくれるように
    夏、真っ昼間のその懐かしい期待
    父の顔のような懐かしい路地
    恥じらい背を向ける 孤独な野菊までも
    私がどんなに愛したのか
    あなたの小さな歌に どれほど胸をはずませたのか
    私はあなたを祝福します
    暗い川面を越える前に
    私の霊魂の最後の息がつきて
    私は夢を見始める
    ある陽の光が清らかな朝
    再び目覚め 目映い瞳で
    枕元に立つあなたに出会えることを

 ミジャはアネスの足跡を辿り、アネスの心に寄り添い、極限まで自分を追い込んでようやく一篇の詩を遺したのだった。
 66歳のミジャを演じたのは往年のスター、ユン・ジョンヒ(1944年7月30日~)。フランスに住んでいて16年ぶりの映画出演だ。わたしが韓国映画に興味を持ったのは1980年代なので、ユン・ジョンヒの最盛期(1960年代後半から70年代)を知らない。出演作は330本に登り、その殆どが主演作品で20以上の映画賞に輝く大女優なのだそうだ。
 なるほど、見終わってから静かな迫力に圧倒されていた自分を振り返る。

« チョン・イヒョン『マイスウィートソウル』 | トップページ | 【書評】三浦しをん『神去なあなあ日常』 »

「文学と映画 行ったり来たり」カテゴリの記事

コメント

すごい設定ですね。映画ならでは、かな。小説だとつくりすぎと言われるかもしれないが、しかし、現実は小説よりもすごい「事実」があり、圧倒される。いま、そんな題材で小説を書いています。
この詩は聞き取って、それとも字幕の書き起こし?

韓国ドラマの「宝石ピビンパ」を見ていますが、映画は見ません。「トガニ」も。
韓国の小説も読んでいないなぁ。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/571716/55359883

この記事へのトラックバック一覧です: イ・チャンドン「ポエトリー アグネスの詩」:

« チョン・イヒョン『マイスウィートソウル』 | トップページ | 【書評】三浦しをん『神去なあなあ日常』 »