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2012年7月24日 (火)

チョン・イヒョン『マイスウィートソウル』

文学と映画 行ったり来たり
    ――不急順不同、起承転結なし(主に韓流)
                                       
第21回――現実は見えないところで歪んでいる

 中学の同級生の母親が、寝たきりに近い状態で、人と会話することもめっきり減ってしまったそうだ。親しかったうちの母も心配している。母にしても横になっている時間が多いし、今はだいぶ元気になったが、いつ寝たきりになっても不思議ではないだろう。訪問介護を受けているとはいえ、一日の大半を一人で過ごさせるのも心配になってくる。
 わたしは「独身子どもなし」の身分なので、気楽と言えなくもないが、老母とふたりの生活は拘束が多い。旅行などもちろん、夜の飲み会にも行けない。50半ばを過ぎて、来年あたり長年勤めた印刷会社もリタイヤしようかと思っている。
 さて、30過位の女性が退職するとしたら、結構な決心が必要だろう。老後には遙かに遠く、次の仕事も見つけにくい。
 『マイスウィートソウル』の主人公オ・ウンスのことだ。『マイスウィートソウル』はチョン・イヒョンの長編小説、2007年11月に講談社から清水由希子の翻訳で出版された。テレビドラマの原作ということで、読まないでいたが、以前に読んだ同じ作者の短編集が面白かったので気にしていたところ、アマゾンで送料込み998円という安値を見つけ、年末に購入しておいたものを今頃読んだ。テレビドラマは観たことがない。一応インターネットで調べてみた。高視聴率は取れなかったようだが、一定のファンはいるようだ。
 『マイスウィートソウル』のウンスは企業の社外報やパンフレットなどの編集を代行する会社に勤める31歳。わたしと同業者だ。元カレが結婚する日にも仕事をしている。30過ぎくらいでオールドミス扱いされることは日本ではないが、韓国ではそうでもないらしい。
 ウンスは、偶然出会った年下の青年テオと同棲を始める。彼は映画関連の仕事に就くことを目指しているが、無職だ。一方会社では、建設会社のパンフレット作成で「副社長」とすべきところを「部長」としてしまう「事故」が発覚し、ウンスも責任を問われる。
 そんなとき、上司の紹介で会ったキム・ヨンスとつきあい始める。キム・ヨンスはまじめを固めたように見える人間で、安定を欲するウンスの気持ちを揺さぶる。微妙な年齢だ。しかも付き合ってみるとかなり魅力的な男性でもあった。ウンスは形而上の理想と現実の安定への志向との狭間で揺れ動いている。小説は、ウンスの心理描写や、その友だちとの会話など、絶妙な表現で30代女性の現実を表出して見せてくれる。
 このような紹介ではばかばかしいドラマのように思われてしまう。チョン・イヒョンという作家はそんな三問作家ではない。現実は見えないところで歪んでいるのだということを、この作家はよく知っている。幸せな社会の幸せな悩みのようなドラマの裏側が、ウンスの友人ユヒの豊胸の中に隠された生理食塩水のようになっているのだと、言っているのかも知れない。ウンスの求めた安定も、実はかりそめのものだと後で分かる。
 原題は「甘ったるいわたしの都市」。現代韓国社会を背景としているが、ソウルを東京と読み替えても本質は変わらない。それだけ普遍性のある物語だった。Mysweet_seoul
 チョン・イヒョンは短編集を読んでも、結構皮肉に社会を批評する作家なのであり、けっして軽薄な韓流ドラマの原作作家などではない。2007年発行の『今日の嘘』(文学と知性社)には、10篇が収録されている。
 表題作「今日の嘘」は、インターネット広報会社の社員で、偽名を使って通信販売商品のレビューを書くことを仕事としている29歳の女性が主人公。父は軍人だったが自殺し、母が海苔巻き屋を経営して働いている。まじめな恋人もいてそこそこ幸せだ。アパートの11階に住むが、上で騒音がする。訪ねてみると朴正煕に似た老人がランニングマシーンを使っているためだが、それは彼女がレビューを書いて宣伝した商品だった。静かだと信じた老人が購入したものだった。主人公は老人に父親の話をする。会社をやめる前の最後の仕事としてランニングマシーンが少しも静かではないこと、階下の住人のことを考えろとレビューを書く。積み立て預金を解約して屋根裏部屋を借りてごろごろしたり、生まれた歳1979年7月7日のことを調べようすることを夢見る。
 もう一つ「三豊(サンプン)百貨店」を紹介しておきたい。 
 比較的裕福な家に育った主人公は大学を卒業してもなかなか就職が決まらない。ふと入ったデパートのブランド店で、店員として働く女子高時代の同級生と出会う。昔はあまり親しくなかった彼女(R)と、急速に親しくなる。就職浪人中の主人公は閉館になるまで図書館にいて、それからデパートに行って時間を潰し、Rを待って彼女の家に行ってビールを飲んだりして過ごす。あるときは、急に売り場をアルバイトとして手伝うことになるが、おつりを間違えて客を怒らせてしまったりという経験もする。
 主人公は、やっと実験動物用の飼料販売会社に就職が決まる。恋人もできる。するとなかなかRと会う時間が取れなくなってくる。
 あるとき仕事を抜け出してRに会いに行く。デパートはエアコンが故障している。Rは売り場に居ないので、ポケベルにメッセージを残して家に帰る。その直後、1995年6月29日午後5時55分頃事件は起こった。手抜き工事で建設された巨大デパートが崩壊し、死者508人、負傷者937名という犠牲者を出したのである。平凡な日常が、一瞬にして壊される。
 韓国で実際に起きた事件が素材として扱われた。この事件の前年には、漢江に架かる聖水大橋が突然崩落している。韓国高度経済成長の虚構を象徴するように、立て続けに巨大建築の倒壊事件が起きたのだ。
 起伏の少ない淡々とした文体で、豊かさのなかで閉塞した精神を描いたこの小説が好きだ。それだけでも豊かさのうさんくささを感じさせるのだけれど、デパート崩壊という実際の事件を持ってくることで、資本主義の豊かさなんて嘘八百であると、読者に突きつけてくる。
 他の短篇にも興味深いものが多い。「危険な独身女」なんかも面白い。機会があったら紹介したいが、今日はここまで。

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