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2012年6月17日 (日)

臓器移植とは何か――「闇の子どもたち」「わたしの中のあなた」「わたしを離さないで」

文学と映画行ったり来たり――不急順不同、起承転結なし
第20回 臓器移植とは何か

 6月14日、日本臓器移植ネットワークの発表に基づき、マスコミ各社は富山大付属病院に入院中の6歳未満の男児が、臓器移植法に基づいて脳死と判定され、臓器移植の手続きに入ったと報じた。家族は心臓・肺・肝臓・膵臓・腎臓・小腸・眼球の提供を承諾したそうだ。そして16日現在、すべての臓器の移植手術が行われたそうだ。今後もこういったケースは増えていくのかも知れない。
 そこに金銭が動かないことを切に願うのは、私ばかりではあるまい。そういうふうに考えるのも優れた映画や文学作品に触れる機会が少なくなかったためだと思う。
 2008年公開の映画「闇の子どもたち」(阪本順治監督)は、生体移植のために子どもたちが売り買いされる現実を直視している。
 梁石日の原作『闇の子どもたち』(2002年解放出版社)はタイを舞台に人身売買の実体を追った小説で有りながら、ペドファイル(幼児性嗜好者)の醜い姿や、その犠牲になる子どもたち、エイズで死んでいく様子などが余りにリアルに描かれて、まったく読むに耐えない。
 映画もやはり食欲がなくなる作品である。江口洋介、宮崎あおい、妻夫木聡といった人気俳優が出演しているし、日本ユニセフ協会が推薦しているが、一部の話題に上がっただけだった。
 最後部、江口洋介演じる南部が首を吊ったと思われる部屋で、カメラマンの与田と南部の同僚清水が見つけたものは、ペドファイルに関する記事が貼られた壁だった。その壁の中央に鏡があり、二人の顔が映る。この映画は単に人身売買や生体移植を告発する映画ではなく、加害者としての自己を見つめさせる作品になっている。
 性的異常者の嗜好が自由かどうかという問題はさておいても、自分の子どもの病気を治すため、よその子どもを犠牲にすることも厭わない親心を「愛情」と呼べるだろうか?
 臓器移植の問題は非常にデリケートで、そこに関わる人間はだれでも加害者になりうるのだということを、この醜い映画は教えてくれる。
 ハリウッド映画「わたしの中のあなた」(My sister's keeper 2009年)は臓器ドナーとして生まれた子どもが主人公だ。アナは白血病の姉ケイトを救うために、遺伝子操作で生まれてきた。アナは幼い頃から臍帯血・骨髄・血液などを姉のために提供してきた。そして11歳の今日、腎臓さえ奪われようとしていた。アナは臓器提供を拒否して両親を提訴する。
 キャメロン・ディアスが、セクシー女優の面影も残さず、自身初の母親役を体当たりで演じた。アナ役を「天才子役」と呼ばれたアビゲイル・ブレスリン。姉ケイト役のソフィア・ヴァジリーヴァの演技も素晴らしかった。「闇の子どもたち」と違って、観た後は爽やかだ。その分、突っ込みが足りなかったかも知れない。着床前遺伝子診断と体外受精によって、臓器のドナーとして適合する弟妹を作り出すことへの恐れとか、不安とか、そういった問題提起のはずだが、幸せな家族の問題に、さらっと置き換えられているような気がしないではない。03
 兄弟を救うためにドナーとして弟妹を人工的に生み、生ませる行為はアメリカでは無規制なのだそうだ。なんとおぞましいことではないか。
 この「文学と映画 行ったり来たり 第15回」で、カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』(早川epi文庫)について書いた。小説を読んでから観た映画に面白いものは少ないが、映画「わたしを離さないで」は例外的に出来の良い作品だった。原作の雰囲気を壊していないし、細かい点を除けば物語も原作に沿っている。
 物語の詳細は以前に書いているので、省略するが、臓器提供のために生み出されて共同生活する少年少女たちの物語である。作者はSF小説にしないために、近過去のイギリスを舞台にしている。つまり現実にあり得る虚構なのだ。
 命とは何なのか、臓器提供される側とする側の命の価値は同じはずだ。人間の傲慢が生命を生み出し、奪う。そういうシステムを作り出しかねないと想像すると背筋が寒くなる。
 介護人として働くキャシーは、ドナーとして既に臓器の一部を提供しているトミーとルースと三人で、地方の回復センター近くの浜辺にドライブする。そこには打ち上げられた船が横たわっている。その風景は美しいがもの悲しい。映画全体のイメージだ。小説で表現しきれない美しい風景が作品全体を覆い尽くす。そして、美しい風景は残酷だ。
 臓器移植のために別の命を生み出すことが許されるのだろうか? あるいは臓器移植のために生み出されてしまった命に、人権は認められないのだろうか? 命を救うという美名のもとに別の命をないがしろにしてもよいのか? そこに民族差別は介入しないか。経済差別は介入の余地がないか。金で命のやりとりがされることは絶対に無いのか。自分の子どもを救うために差別意識を醸成していないか。
 我々はもう一度自分の姿を鏡に写して見なければならない。
[関連]http://kghayashi.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/15-f7b6.html

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