フォト
無料ブログはココログ

« 『根の深い木(景福宮の秘密コード)』 | トップページ | 金石範の『過去からの行進』 »

2012年3月 4日 (日)

孔枝泳『トガニ』(コン・ジヨン「るつぼ」)공지영 도가니

孔枝泳『トガニ』
文学と映画 行ったり来たり第18回――不急順不同、起承転結なし(主に韓流)

苦痛と悲愴の背後に、偽善と暴力の巨大な世界がある

 本稿の第1回第11回で孔枝泳を、第2回で金承鈺の『霧津(ムジン)紀行』を紹介した。『るつぼ』は、孔枝泳が、金承鈺が仮想した町「霧津」を舞台に書いた小説だ。霧津は霧に覆われた架空の都市である。有名な小説に描かれた都市を借りて、孔枝泳は小説を書いた。

   カン・イノが自分の車に簡単な引越荷物を載せてソウルを出発したころ、霧津市には海霧が押し寄せ始めた。巨大な白い獣(けだもの)が海から湧き出し、じめじめした微細な毛で覆われた足を大股で踏み出すように、霧は陸地に進軍してきた。(略)海辺の絶壁の上に建った四階建石造建築の慈愛学園も、そんな霧のなかに吸い込まれていった。

 小説の冒頭はこうだ。主人公が向かう霧津の不気味さを表している。カン・イノは事業に失敗し、妻の勧めで聴覚障害者特殊学校の臨時教師として赴任するために霧津に向かっていたのだ。妻子はソウルに残っている。
 彼の赴任する慈愛学園は、私立の聴覚障害者学校で寄宿舎を併設している。ここでカン・イノは凄惨な性暴力と対峙することになる。
 カン・イノは霧津に来て学生時代の先輩である女性ソ・ユジンに出会う。ユジンは離婚して持病のある子どもたちと霧津で暮らしていて、霧津人権運動センターに勤務している。ソ・ユジンたち人権運動センターは障害者施設での性的暴行の事実を知って、警察や教育庁、市の福祉課などに訴えるが相手にされない。やむなく被害者少年・少女の証言を報道に訴える。やっと、慈愛学園の経営者兄弟イ・ガンソクとイ・ガンボク、それにもうひとりの暴行教師パク・ボヒョンが逮捕される。しかし裁判は被害者や支援者たちにも大きな痛みを負わせる。町の有力者たちは相互に依存して既得権益を得ているために、被告に有利な証言が続き、裁判は厳しい状態に陥る。
 韓国現代史によって築かれた強固な体制と、歪んだ価値観が町を支配しているのだ。慈愛学園という障害者施設は、朴正煕が軍事クーデターで政権を奪取した直後の1964年、イ・ジュンボムという男が設立した。この男は市の福祉課に勤務していて福祉予算が結構な額に成ることを知っていた。イ・ジュンボムは今も理事長職にとどまっており、その双子の息子イ・ガンソクとイ・ガンボクは、それぞれ校長と事務局長を務めている。学校には手話ができる教師は少ない。給与を貰うためだけに通勤している彼らの大半は、何があっても見ぬふりをしている。「沈黙のカルテル」によって身を守っているという訳だ。
 「沈黙のカルテル」は学校内だけでは済まない。イ・ガンソク、ガンボク兄弟は、聴覚障害者を食い物にする鬼畜にも劣る「人格者」であり、子どもたちは性欲の犠牲者になっている。ところが彼らは慈愛学園の実権を握っているだけでなく、霧津栄光第一教会の長老役を任されている町の名士である。彼らがやむなく被告となっても、町の体制を築く人々の固いカルテルは崩れない。
 〈この子どもたちの苦痛と悲愴の背後に、巨大な世界が隠れていた。暗闇の世界、恐怖の世界、偽善と病と暴力の世界。〉
 霧津では、法律家はもちろん、警察・医師・教育長そして、教会の信徒たち等、既得権益を持つ上流階級がこぞって被告人たちを守る体制を維持し、ソ・ユジンやカン・イノ、そして被害者の聴覚障害児たちを苦しめている。貧しい障害者の家族には買収で訴訟を取り下げさせ、法廷では聴覚障害者の人格を貶(おとし)め、インターネットを利用してカン・イノやソ・ユジンに対する個人攻撃を展開した。
 カン・イノは被害者側の証人として法廷に立つが、過去の女性関係をネタに性暴行犯と非難されてしまう。偽装された民主主義の背後にあるものは、暴力と金によって支配された社会なのだ。
 朴正煕独裁政権時代に現在の既得権益を得た上流階級との闘争は、裁判がイ兄弟に執行猶予を付けた軽い刑で終わり、カン・イノが去ったあとも続いていく。ユジンたち人権運動センターのメンバーたちや、裁判闘争で連帯した教師たち障害者たちは戦い続ける。
 この小説は実際に光州でおきた事件をモデルとしている。光州と言えば1980年の光州闘争を経て、韓国民主化の故郷とも呼ばれる都市である。小説の終盤では民主化運動28周年記念式典に、聴覚障害者たちのデモ隊が近づき拘束されるという皮肉な場面が登場する。光州闘争から28年後のこの年、李明博政権が誕生していることを知っていれば意味のある場面だ。
Photo_2   金承鈺の『霧津紀行』 は1960年代朴正煕時代の不条理を描いた。主人公は妻の実家の力で出世し、最後は妻からの電報でソウルに帰っていく。『るつぼ』は民主化されたはずの現在を舞台にしている。実は朴正煕時代以来の既得権益を持ち続ける支配層が町を牛耳っている。彼らは聴覚障害者を養女として、自分らに忠実な愛人兼番犬として育て、寄宿舎の支配を任せた。そして、あどけない生徒たちを性欲の犠牲として、死者が出ても顧みることがなかった。やりたい放題の不条理が、学校も町も霧のように包んでいたのだ。
 カン・イノは『霧津紀行』の「私」と相似している。時代を変えて現れたようだ。映画では人気俳優コン・ユが演じたそうだが、原作のイメージではない。設定がだいぶ異なる。今回映画は観ないことにする。ちなみに『霧津紀行』のモデルは順天だと言われている。

« 『根の深い木(景福宮の秘密コード)』 | トップページ | 金石範の『過去からの行進』 »

「文化・芸術」カテゴリの記事

「文学と映画 行ったり来たり」カテゴリの記事

「映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

今日、新宿で映画を見てきました。
蓮池薫氏の原作翻訳本が売られていましたが買いませんでした。

映画はなかなかでした。見られたらどうでしょう。
この文章を読むと、原作とかなり違うことがわかりますが・・・。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/571716/54138713

この記事へのトラックバック一覧です: 孔枝泳『トガニ』(コン・ジヨン「るつぼ」)공지영 도가니:

« 『根の深い木(景福宮の秘密コード)』 | トップページ | 金石範の『過去からの行進』 »