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2011年9月19日 (月)

ハピネス 母なる証明 楽しい私の家

文学と映画 行ったり来たり 第14回
女性に犠牲を強いるマザコン男性社会を告発

 韓国映画を観ると母と息子の関係は特異だ。日本人からするとマザコンと思える。要介護老人が社会の相当数を占める高齢化社会では、マザコンでは老いた母親を介護しての暮らしは難しいだろう。
 二〇〇七年ホ・ジノ監督作品「ハピネス」は、酒とたばこと女で身を持ち崩した男が田舎の療養所暮らしになる話。この男ヨンスは、本当にダメ男なのだ。クラブを経営して奔放に暮らしていたが、恋人からは愛想を尽かされ、身体もボロボロになっている。深刻な肝硬変になってソウルを去り療養所暮らしすることになる。1年半ぶりに訪ねた母には外国に留学すると嘘をつく。こいつが母親の膝枕で甘えているシーンに彼の本質を見ることができよう。
 ヨンスは療養所「希望の家」で会った肺疾患のウニと愛し合い、「希望の家」を出て二人で暮らすようになる。ウニの献身で酒たばこを控えて健康になったヨンスは、ウニを捨ててソウルに帰る。元の荒んだ生活に戻ったヨンスは、身体も精神も元の黙阿弥、気がついたら血を吐いていた。一方ウニは体調を崩して入院し、ヨンスが訪ねたときにはもう最後だった。ラスト、ヨンスは雪景色の「希望の家」に戻っていく。
 ヨンスのウニへの愛は母親への甘えとイコールなのだ。だから、ちょっと体調が回復したらまた元の生活に戻ってしまう。その間に大事なものを失ってしまうが、気がついた時にはもう遅い。ダメ~なマザコン男とはかくあるといった映画だ。因みにヨンスを「アクシデントカップル」のファン・ジョンミン、ウニをイム・スジョンが演じた。ファン・ジョンミンはだいぶイメージが違う。演技力のある役者だ。
 マザコンと言えば知的障害のある青年を演じたウォン・ビンは上手かった。ポン・ジュノ監督「母なる証明」(原題「mother」)は、少年の心のまま成長できない青年トジュンに女子高生殺人の容疑がかけられ、母親が真犯人を捜そうとかけずりまわるという映画だ。母親は感情的で非常に行動的、愛する息子のためならどんな苦難も厭わない。
 息子トジュンを軍隊帰りのウォン・ビンが演じた。深田恭子との共演もあったし、日本でも人気の高い二枚目俳優だ。母役は名優キム・ヘジャ。ドラマ「宮」で皇太后だったおばあちゃんと言えば思い出す人も多かろう。この人の存在感が凄い。冒頭、草原で一人踊る姿が目に焼き付く。息子の無罪を信じる母は真犯人を追い詰める。が、母が追い詰めた屑屋の男は、犯人ではなく目撃者だった。理性ではなく、たとえ間違っていても母性で判断していく母の姿は恐ろしくさえある。結局、真犯人として別の知的障害者が逮捕され、トジュンは釈放される。母はすべてを忘れることに決める。これぞ無償の愛と言えば済んでしまう。母子家庭という、家父長社会では歪んだ存在が狂気を生むのだろうか。
 個人的感想だが、これが母性なら私は「母性」を拒否したい。もう少し世の中の母たちは冷静に生きるべきだ。息子の方といえば、一見マザコンのようにも見える。子どものまま成長できないし、自分の行動もすぐ忘れる。しかし世の「まとも」と思われている「ハピネス」のヨンスのような成人と本質的には変わりない。むしろ、母が目撃者の老人を殺してしまった廃品回収場の火事跡から拾ってきた鍼灸セットを母に返すシーンに、トジュンの意思を超えた、奥深い恐ろしさを感じさせられる。
Photo マザコン男社会韓国の家庭を打破した小説は、やはり女性作家が書いている。
 孔枝泳は『楽しい私の家』(蓮池薫訳 新潮社 2010年7月)は、この家父長社会「韓国」で自立して生きる母を描いている。母は三回離婚し、それぞれ違った父親の姓を持つ息子二人と娘を持っている。
 主人公は娘のウィニョン、高校生だ。父親はウィニョンが九歳の時に再婚し、新しい母は妹を生んだ。ウィニョンは生みの母と暮らすと宣言、母たちの待つ町に行き、新しい生活を始める。母と父は学生時代、民主化闘争の中で出会い結ばれた。しかし、社会に対して革新的でも、家庭に対しては家父長的な態度が出てしまうのが、歴史が培った本性のようなものだろう。それに対して母は作家として必死で生きるうちに、夫のためでない自己実現を見つけてしまう。
 実の母親と二人の姓の違う弟と暮らすことになったウィニョンは、すぐに弟たちと仲良くなり、友だちもでき、猫をひろって飼う。猫の一匹が死んだり、弟の父親が死んだり、母親に新しいボーイフレンドができたりする。ウィニョンは父の家を訪ねて克服すべきものに立ち向かう。
 ウィニョンは「私は誰かの娘かというまえに、ウィニョンである。」と考えるような娘だ。父親は、誰かの夫であり、誰かの親であるということを前提とするような一般的な父親意識(=家長)を持っている。ウィニョンはむしろ母に近い感性を持っていて、韓国社会では生きづらい個性なのだと思う。
 センター試験が終わると、ウィニョンは地方の教育大への進学を決める。タイトルは「楽しい我が家」ではなく「楽しい私の家」である。韓国語で「我が家」(ウリチップ)とすると「私たちの家」を意味することになる。韓国人の「ウリ」意識は結局女性の犠牲のうえに成り立ってはいないか。この小説は個人主義をタイトルにしたとも考えられる。

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