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2011年2月 7日 (月)

馬鹿宣言

文学と映画行ったり来たり 第13回
そもそもの初めは「馬鹿宣言」だった
 一九八〇年代に、つまり全斗煥(チョン・ドゥファン)軍事独裁政権の時代だが、貧困の現実を社会に晒した男がいた。まるで『私たちの幸せな時間』(連載第一回に紹介した)のユンスのような荒んだ少年時代を過ごしたが、貧民運動に参加したことから、社会に目覚め、後に国会議員にもなった作家李東哲(イ・ドンチョル)だ。
 李東哲に会ったのは一九八三年のソウルだった。友人に誘われて李長鎬(イ・チャンホ)監督作品「馬鹿宣言」の試写会を観に行ったときだった。上映前の検閲を兼ねた試写会と聞いた。これが本紙に連載するほど好きになった韓国映画との出会いだった。
 曲がらぬ片足を引きずったチンピラのドンチョルと小太りのタクシー運転手ユントクが、美人女子大生ヘヨンを追いかけ回し誘拐するが、女子大生の正体は娼婦だったという設定の物語で、都会の若者たちの社会に対する失望感、遣りきれない閉塞感をリアリズムを排した前衛的手法で描いて見せた。
 社会の貧困をそのままに描くことの出来ない時代が、李長鎬監督に苦労を強いたが、演劇的とも言える映像手法は成功した。死んだヘヨンを葬る丘の上の鳥葬場面が印象的だった。
 ヘヨンを演じた李甫姫(イ・ボヒ)は後に日本の週刊誌の表紙になったことがある。それがセミヌードだったため、韓国でこっぴどく批判された。国辱的だというのだろう。今にしてみれば、ばかばかしい騒ぎだった。李甫姫は、その後「於宇同」や「膝と膝のあいだ」などに出演して話題になったが、最近はテレビドラマで見ることが多い。
 李甫姫の相手役=ドンチョルに扮したのは金明坤(キム・ミョンゴン)だった。金明坤と言えば、韓国映画史上に輝く「西便制(風の丘を越えて)」や、「太白山脈」でも準主役級で出演し、韓国では「名優」として知られる。
 その試写会の場で「馬鹿宣言」の原作者である李東哲にも会った。李東哲は映画の主人公ドンチョル同様に片足を引きずっている。この足は幼児期に患った結核性関節炎が元だとのことだ。貧困な家庭に生まれ足も不自由であれば、まともな就職口もなく、裏社会で生きるようになった人物だ。
 李東哲は貧民運動家として知られ、後には本名の李喆鎔(イ・チョルヨン)で国会議員にもなった。貧民街のチンピラだった李東哲を世に送ったのは、当時から「参与派」の有名な作家だった黄晳暎(ファン・ソギョン)だった。黄晳暎が李東哲の数奇な半生を聞き書きした『暗がりのやつら』(一九八〇年)を発表して世間に知られるようになったのである。その後李東哲は、『五寡婦』『ゴバンドンの人々』『聞きやがれ、インテリども』など自分でも執筆するようになった。李長鎬監督は李東哲の作品を他にも映画化していて、「暗がりのやつら」「寡婦舞」などがある。
 李長鎬は表現の困難な時代に、巧みに社会の矛盾を描き出し、粘り強く柔軟に映画作りをしていった。一九八〇年ヒットした「風吹く良き日」は、韓国の首都ソウルに田舎から出てきた青年たちを主人公に、彼らの懸命だが、這いずり回るような青春を描いて、シンパシーを感じさせた。この作品の主人公が今や国民俳優と呼ばれる名優安聖基(アン・ソンギ)だった。当時李長鎬は韓国ヌーベルバーグの旗手として注目されたが、最近は殆ど注目されることがない。
 ところで、当時はただの田舎だったソウルの漢江の南「江南」に李長鎬監督の家を訪ねたことがある。美貌の夫人と、一女一男の四人家族だった。その家のテレビニュースで、フィリピンのマニラ空港に降り立ったアキノ大統領候補が暗殺される場面を見た。一九八三年八月二一日だ。東アジアは白色テロリズムが、まだ吹き荒れていた。
 韓国は一九八〇年の光州抗争を機に全斗煥軍事独裁政権が成立。十八年にわたる長い朴正煕(パク・チョンヒ)軍事独裁政権時代に「漢江の奇跡」と呼ばれる経済成長を果たしたとはいえ、統制された不均衡発展による成長下で貧富の格差は広がり、持たないものはより貧困になっていった。朴正煕政権が倒れたあと、民主主義への願いは、全斗煥によって、もろくも踏みにじられた。
 李東哲の住まいも訪ねたが、この家は家の中に何もない。痩せた犬がいただけだった。何もない中から、数冊の本を貰った。李東哲の著書と、彼が友人から貰った絵本である。絵本はイ・チョルス絵、イ・ヒョンジュ作の『アガッシ、笛を吹いてよ』というものだった。
 この李東哲が伝道師を務める貧民部落の掘っ立て教会にも行った。よく覚えていないが、ソウル東部清涼里(チョンニャンリ)と呼ばれる売春街の北、多分下月谷洞(ハウォルコックドン)というところだったと思う。岩山を登ったような高台の路地に建ったプレハブの教会だった。この狭い教会の内壁に絵本の作家イ・チョルスが絵を描いている。それは人々が荒波の上を筏に乗っている絵だった。軍事独裁政権時代の貧しき人々を指したのだろう。ここのホ・ビョンソップ牧師は大教会を指してはペテン師の教会だと叫んだ。
 わたしは大田(テジョン)のメソジストの大教会に泊めて貰ったことがある。朝五時に起こされて祈祷会に出席させられた。近隣から数台のバスで信者たちが集まってきて床に直に座って牧師の話を聞きながら祈り続ける。牧師は一段高いところに立って手を大きく振り、大げさなジェスチャーで説教する。薄目で周囲に目をやると信者たちは手を合わせて身体を揺らしている。ここの牧師は大学の理事も兼ねていて地元の名士だった。
 貧民街の牧師は、ああいう金持ちの教会をさしてペテン師と罵っているのだな、と実感した。

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