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韓国文学

韓国文学の頁を紹介します。(クリックして下さい)


チョン・セラン『フィフティ・ピープル』  

チョン・セラン『アンダー・サンダー・テンダー』

チャン・スチャン『羞恥』                

クォン・ヨソン『春の宵』

チョン・ミョングァン『鯨』 

イ ヒョン『1945,鉄原』

キム・グミ『あまりにも真昼の恋愛』 

姜英淑『ライティングクラブ』 

パク・ミンギュ『三美スーパースターズ最後のファンクラブ』 

パク・ミンギュ『亡き王女のためのパヴァーヌ』

パク・ミンギュ『ピンポン』 

ハン・ガン『ギリシャ語の時間』

ハン・ガン『菜食主義者』


ハン・ガン『少年が来る』 

キム・ハギ『完全なる再会』


キム・ヨンス『ワンダーボーイ』

キム・ヨンス『波が海の業ならば』

千雲寧『生姜(センガン)』 

鄭智我『歳月』

金承鈺『ソウル1964年冬』

チョウ・チャンイン「クミョンに灯る愛」

孔枝泳『るつぼ(トガニ)』 

孔枝泳『楽しい私の家』 

申京淑『母をお願い』

イ・ジョンミョン『星を掠める風』 

イ・ジョンミョン『根の深い木(景福宮の秘密コード)』

ク・ヒョソ『長崎パパ』

尹在賢『ある独立運動家の祖国』

李炳注『関釜連絡船』


キム・リョリョン『優しい嘘』

キム・リョリョン『ワンドゥギ』

チョン・イヒョン『マイスイートソウル』

鄭棟柱『神の杖』 

朴婉緒『あの山は、本当にそこにあったのだろうか』 

2018年10月14日 (日)

チョン・セラン『フィフティ・ピープル』

文学は浅薄な人間社会に希望の灯を点す

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 連作短編の形を借りて書かれたこの小説の目次は、最後の章を除けばすべて人名になっている。市井の名もなき人々にも名前がある。作者の意図はそんな所だろうと高を括っていたが、予想を遙かに上回った。帯に「痛くて、おかしくて、悲しくて、愛しい」とある。こんなありきたりなコピーが表層的な宣伝文句としてではなく、切実に当て嵌まっている。
 タイトルに出てくる人名は50人ではなく51人だが、彼ら以外に重要な登場人物が数人いる。読者が誰に心を寄せるかは自由だ。丁寧に読み込めば殆どの登場人物にシンパシーを感じるに違いない。読み進めてタイトル以外の人名が出てくると前の頁に戻ってその名を探すことになるので、行ったり来たりの繰り返しになる。
 ここに描かれたのは、ソウル郊外と思われる都市の病院とその周辺に生き働く老若男女、ただし若い人多めな感じだろうか。病院が中心だから冒頭から血とアルコールの匂いがつきまとい、死が身近に感じられたりもする。
 チョ・ヤンソンの17歳の娘スンヒは家に入って来た男にナイフで首を搔き切られた。スンヒはウサギの絵のトレーナーを着てベーグル屋でアルバイトしていた。スンヒの友だちはクォン・ナウンをからかったが、親切なスンヒはナウンをかばい、店で余ったベーグルを分けてくれた。〈高校生活はしんどいから、ちょっとした思いやりの効果がよそよりずっと長持ちする。〉恋人に殺されたと噂されるけれど、ナウンには信じられなかった。スンヒは憧れだったからだ。ベーグル屋の客で詩を書くぺ・ユンナは、スンヒのことを「笑わない親切な人」と思っていた。シンクホールに落ちて骨折したユンナが退院後ベーグル屋を訪ねると、スンヒはもう居なくてアルバイトの子は涙ぐんだ。
 スンヒの名はタイトルには無い。タイトルに無い登場人物にさえ物語があり、読者は彼らの生を頭の中で再構成する。作者は本を読む私たちに想像力を求める。
 目の下にフォークで刺された穴が三つ残ったカン・ハニョン、性的マイノリティのチ・ヨンジ、ナイジェリアから来たスティーブ・コティアン、「加湿器殺菌剤事件」で姉を失ったハン・ギュイク、名高い感染症内科医なのに月に一度低所得層居住区にボランティアに行くイ・ホ先生。どの一人も自分のできる範囲で社会の歪みに抵抗して生きる。
 大学では企業が必要とする人材育成が優先で人文学系の学科が統廃合されようとしているため、学生たちが抗議活動している。刑務所で診察する公衆保険医イ・ドンヨルは、贈収賄で収監されながら「皇帝接見」で優遇されている建設会社の社長を怒鳴りつけた。社長は「エセ精神修養的な自己啓発書」を持って、売店で鶏もも肉にかぶりついているような男だ。
 社会には薄汚い空気が満ちているが、人びとは生きることで抗っている。〈ほとんどの人が資本主義の浅薄さと醜悪さを体現したような空間で暮らしているとしたら、〉誰もが少しずつ歪んだ社会と折り合いをつけながら生きて、くしゃくしゃのシーツの皺を伸ばす程度には抵抗し、雨の日が続けば干さない蒲団に寝て、時には逃げるのも悪くない、と思う。これは韓国だけの話ではない。差別と憎悪が垂れ流される、汚職まみれの金権体質は日本社会の方が深刻だ。
 そして最終章「そして、みんなが」を読んでいるときはほんとに恐ろしかった。われわれはセウォル号の事件を知っているし、チョン・イヒョンは「三豊(サンプン)百貨店」の崩壊を小説に描いている。まるで映画館が1冊の本であるかのように、映画館に集まった人びとの名を前の頁に戻って確認しながらおそるおそる読み進めたのだ。もはやここに集まった彼らはすでに私の親しい友人であった。彼らが押しのけあい逃げ惑う悲劇を見たくはなかった。しかし作家チョン・セランの選択は、幸いなことに希望だった。ありがとう。
 斎藤真理子さんの「訳者あとがき」が解説としても批評としても素晴らしい。ここまで必読です。また、本作は亜紀書房の「となりの国のものがたり」シリーズ第1回とのことで続巻にも期待したい。

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2018年9月16日 (日)

倉数 茂 『始まりの母の国』

自己に対する違和感を持ったまま生きる
倉数茂『始まりの母の国』早川書房 2012年4月

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 『アイヌ民族否定論に抗する』(岡和田晃 マーク・ウィンチェスター編)に寄稿している倉数茂の論文「〈おぞましき母〉の病理」が興味深かったので最新作『名もなき王国』(2018年 ポプラ社)を読んだ。売れない小説家が偶然出会った若い小説家と議論する。若い小説家瞬の物語や、瞬の伯母で今は亡き無名な作家の物語、彼女の書いた小説などが浮かび上がってくる。幾重にも重なり複雑きわまりない構造になっている。なにが(小説の中の)現実で、どこまでが(小説の中の)小説なのか判然としないまま読者は翻弄されてエンディングに向かう。すべての謎が解ける最後を迎えても読者はそれが現実なのかどうか迷路の中にいる。現実と小説家である登場人物の書いた小説と妄想・幻想が絡み合い、それぞれが短編としても読める多重構造になっている。最後に明かされる「事実」も読者として信用するべきか迷う。そもそも小説だから事実ではないのだけれど、事実とは何か、「私」とは何かという疑問を自分に投げかけることになる。
 作家には、人間の性愛、嫉妬、信仰、家族、社会、生活といった小説の骨肉を再考し捉え直す作業が必須だが、倉数は精神分析学を土台として小説を構築するらしく興味深い。
 『名もなき王国』より先2012年に上梓されたのが『始まりの母の国』だ。帯には「ハヤカワSFシリーズJコレクション創刊10周年記念作品」と謳われている。私はSFファンではないので知らなかったが、評価は低かったらしく、インターネットで調べたところ、「読書メーター」などでも否定的な感想が多い。SFファンの評価基準がどこら辺にあるのか承知しないが、不当な気がする。
 私は上記したように「〈おぞましき母〉の病理」に惹かれて倉数茂を読むようになったので、この論文に沿って『始まりの母の国』を読み解こうと思う。
 外部から隔絶された孤島に女たちだけで暮らしている社会がある。孤島と言ってもけっこう広い。特色のある地域ごとに複数の村があり、村と村のあいだには山や広大な森や草原がある。この島の女は「母」と「娘」に分かれていて、娘たちは母たちの娘であって特定の誰かの娘でも母でもない。ここでの生活は共同共助で一種の共産制社会と言える。
 倉茂はジュリア・クリステヴァの言を借りて、不快と魅惑、嫌悪と執着という両極端の感情を同時に引き起こす対象のことを「abjectアブジェクト」と呼んだ。アブジェクトとは実は「母の身体」の名残だと言う。倉茂が『始まりの母の国』で描いた女の国は、〈自己と世界が未分化で、しかも世界がそのまま母親と一体化していたころの母の身体である。〉
 主人公のエレクは山中の村に住むが海辺の村に漁の手伝いに行った帰途、海辺で漂着した男を見つけ連れ帰ってしまう。男を匿って看病するが、もちろんそんなことはあってはならない。エレクは恢復した男ソアを連れて逃亡する。これは反乱だ。エレクの反乱は〈自他一体の海にたゆたっていた乳児〉が母の身体を棄却(アブジェクション)しようとする行為に似ている。
 やがて島に外の社会の軍船が近づく。この島以外の社会は私たちの社会とほぼ同じ構造の社会と言って差し支えない。正確に言えばやや過去で近未来に再来しないとも限らない父権社会だ。「父の国」の「母の国」に対する侵略が始まる。母の国と父の国の戦いだ。平和平等に暮らしていた女だけの国も慌ただしくなる。エレクとソアの次の会話は「始まりの母の国」と一般社会(父権社会)との比較特性を象徴する。
エレク「私たちが武器を使うのは、狩りのときだけ、食糧を得るためだけだ。それなのにおまえたちはいつも殺し合っている。何の意味があるんだ。」
ソア「私たちの世界では、大きいものはより大きく、強いものはより強くなろうとする。」
ソア「……私たちは父に囚われている。私は長いあいだ父を憎み、うとましく思い、そして同時に離れがたいものとして愛してきた。父に認められたいという熱望と、父から少しでも遠くに離れたいという欲望のあいだを揺れ動いてきた。…」
 母の国とて必ずしも絶対的な理想の国ではない。母たちは始まりの母の国を維持するために異形の者を排除してきた。人知れず森の奥、樹上で暮らす「森の民」の老婆は語る。
「そなたの母たちは、わしのような体を持って生まれてきた子たちをその場で死なせてしまうのじゃ。水につける、と聞いておる。そなたたちは、すべて始まりの母という鋳型から出たままでないと満足しない。わたしたちはそう思わん。わしらは単なる写しではない」
 女から生まれ女を蔑視し、犯し、支配しようとする父権社会と、母を喰って生きてきた女たちの世界は、鏡の内と外のようでもある。
 侵略を経験した「母の国」は徐々に男の世界のように統率された軍を持ち、政治的組織が支配する社会に変貌していくであろうと予測される。
 母の国は、ソアの助力もあって一旦は侵略軍を追い払うことに成功する。ソアも島から出ていく。ソアは出帆する際にエレクを誘うがエレクの応えは、「無理だ、私はここの土地の根付きの木だから」だった。エレクは母の国にいくらかの嫌悪を感じながらもそこを離れて海を渡ったりはしない。これは乳児が母親の悪しき部分、汚
(けが)れ、母と未分化である自己のおぞしまさから離れ切らないことを示している。エレナは母性棄却(アブジェクション)を選択しなかった。強く清く正しい父権社会への順応を拒否したのだ。エレナは社会への疑問を持ち、自分が自分であることへの違和感を持ち続けたまま生きることを選択した。このことには現実的意味がある。
 一方男であるソアの立場から見たときには、母との別れである。男は何度でも母との別れを体験する。これは蛇足だが、私はここで、在日朝鮮人作家金泰生が幼児期に体験した母との別れを連想した。母とも母なる済州島からも切り離された幼い命を思った。『始まりの母の国』という小説のタイトルで30年以上前に自分が書いた短文「妣が国朝鮮」を思い出していた。金泰生の短編「童話」を批評する体の短文だ。掲載したのは、大宮で在日朝鮮人文学の読書会をやっていた時の会報だ。一部引用する。
    母との別離は金泰生のいくつかの作品の冒頭に置かれ、常に故郷─済州島から離れて、渡日する少年の姿へと繋がっていく。作者にとって、過ぎ来た母=故郷=済州島のイメージは絶対に近かったのだし、母との別離を経て、後の在日の生活は相対的・過程的な立場だった。
 母とは故郷と同一の、得がたい理想なのだろう。しかしそれは「得がたい夢」でしかない。我々は違和感や生きがたさや自己肯定できない無念を抱えながら生きる動物なのだ。

2018年9月12日 (水)

志賀泉『無情の神が舞い降りる』

フクシマ後に生きる文学
志賀泉『無情の神が舞い降りる』筑摩書房2017年2月

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 『吟醸掌篇』vol.2(けいこう舎 2017年8月)掲載の「花火なんか見もしなかった」を読んで志賀泉という作家が気にかかっていた。震災にともなう原発事故で福島の立ち入り禁止区域から宮城県に避難した主人公の心象に沿って、郷愁と別離、嫌悪と哀愁、暴力と優柔、被害と加害とを、織りなす布の表裏のように描いた佳作だ。ここには震災を単純な善悪論で論じたり、善意のモチーフとする者への怒りが感じられた。
 これより早く発表された『無情の神が舞い降りる』(筑摩書房2017年2月)を今頃やっと読んで恥ずかしげも無く批評めいたことを書く。同書所収の「私のいない倚子」は、原発事故汚染地域から阿武隈山地を越えて内陸側に、母と別れて避難した女子高生を描いた。私である伊藤カナは原発避難民高校生を描いた映画の主人公に抜擢されるが、スタッフとぶつかり役を降りる。ここにも原発を自己実現の素材としてしか見ない者への違和感が積み重ねられる。
 『無情の神が舞い降りる』所収2編中のもう一篇、表題作「無情の神が舞い降りる」は、充分には自立し得ない中年男が、3人の女性との分裂と棄却と遭遇を繰り返し自己の生を取り戻そうとする物語だ。
 吉田陽平である俺は、父の死後一人で床屋を守っていた母が脳梗塞で倒れた三年前、東京の事務機器メーカーで働いていた。俺はエンジニアになりたかったのに営業に回され冴えない日々を送っていたが、介護のために田舎に帰った。原発事故が起きて避難しようと思ったが衰弱した母が耐えられないと考え、諦めた。
 俺が世話しているのは母の身体だが、本当にこの中に母がいるのか疑いたくなる。それでも、この中から俺が産まれてきたのは確かだから、俺が始末をつけるべきなのだ。
 母を生かしていることは俺の誇りだ。……甲斐甲斐しく母の世話をしながら、俺の背中にはぺったりと、母の死を願う心が貼りついている。
 俺の命まで母に引きずられてずり落ちそうだ。
 ここにはabjectアブジェクト的な感覚、つまり不快と魅惑、嫌悪と執着、両極端の感情を同時に引き起こす対象としての母が描かれる。(倉数茂「〈おぞましき母〉の病理」『アイヌ民族否定論に抗する』所収 を参照されたい。)俺と母のあいだに横たわる非対称性の暴力には誰も気付いていない。
 俺は小学校6年のとき東京から引っ越してきた開業医の娘美鈴と、級友たちとは秘密裏に仲良くなっていて、美鈴に命じられるままにその家で飼っている孔雀の餌として蛙の捕獲を続ける。少年期に都会的な少女に憧憬に似た感情を抱いた記憶は、美鈴の家の孔雀に重なり、孔雀は更に原発に重なっていく。
「孔雀は原発に似てる」
 俺が美鈴に魅了される構図は、派手な羽根で雌の気を惹く孔雀や、未来を開く夢のエネルギーとしての原発に似ている。しかし、羽根が立派になれば目立って敵に見つかりやすくなる。身体が重くなって飛びにくい。原発も技術の進歩、経済発展のためと言いながら危険を承知でリスクを高めていく。
 美鈴に惹かれた記憶はそのまま美鈴の死に対する罪責感に繋がっている。俺は美鈴を死に追いやったという自責や自己嫌悪から解放されない。
〈俺はこの町が嫌いだった。自分を嫌うように故郷を嫌った。嫌うことで、美鈴の死と正面から向き合うことを避けてきたのだ。〉と思っている。
 原発事故で人のいなくなった町に寝たきりの母と二人取り残された俺は、ペットレスキューの活動をしている怜子に出会う。俺の家を訪ねた怜子が寝たきりの母の手を両手で包み込むように握って声をかけると、母の目尻に涙が滲む。〈俺は、俺が手を握られているように、怜子の手の温もりを感じた。〉
 母に対する愛情と嫌悪の混じった感情や、死んだ美鈴に対する罪責感が、怜子の出現によって癒やされていく。
 そして母の火葬に自分の体が焼かれる思いを感じながら、イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」の歌詞のように、チェックアウトは自由だが出口の見つからない出発を決意する。
 志賀泉は安っぽい「絆」や「ガンバレ日本」の連呼に嫌気が差している。同時に責任を原発だけに押しつける正義にも不信感を募らせた。
 「無情の神が舞い降りる」の俺は、母-美鈴-怜子に喜びと嫌悪と希望の感情を多重に重ねる。最後部、俺が怜子に抱く薄い希望のようなものには一抹の危険がつきまとう。他者を排斥しながら自己を純化させようとする「妄想分裂ポジション」が消去されたとは言いがたい。恐らくそれは無理な注文だろう。多分それで良いのだ。文学に必須なのは揺らぎない正義ではなく、相対的マジョリティに同調しない感性と、自己をも含む悪や恥辱や弱点を客観視できる理性なのだから。

2018年9月 1日 (土)

母の闇──松岡政則の詩

松岡政則『あるくことば』(書肆侃侃房)

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 日常は単調だ。目やにで曇った目で先行きの不透明を感じ、日々動きが悪くなり認知機能の悪化する母の世話をしながら、自分も内科と整形外科と眼科に通院し、日々の家事をやっつける。勤め人であれば、定時で帰宅する勤務先で疎外感を感じ、いよいよ「介護退職」となると先行きの不安が増す。そうした日常が続けば、汚辱に対する嫌悪が増してくる。自分が潔癖であると錯覚して仕舞うのだ。母の糞尿は薄汚く、認知症は否定すべきワガママな振る舞いにしか見えなくなってくる。そこには非対称性の暴力が横たわる。おぞましき母の身体から分裂逃避し、純血を希求するレイシズムの底なし沼に足を踏み入れるのだ。
 制御しきれない暴力に自己嫌悪の穴に嵌まっていると、懐かしい詩人から小さな詩集が届いた。松岡政則の新詩集『あるくことば』(書肆侃侃房)だ。極限まで地味な装丁、カバーの右上に本文より小さい字で書名と詩人の名が、目立たぬようにそっと印刷されているだけで、見落としそうだ。
 松岡政則は1997年「家」で新日本文学賞を受賞。翌年第一詩集『川に棄てられた自転車』(澪標)を上梓した。
 
 石を投げている
 トタン葺きの今は誰も住まない家
 砂利道の石を拾っては
 男が投げている
 窓ガラスが割れ音が散らばる
 沢伝いに音が散らばる
 石を投げている
 窓という窓に
 壁という壁に
 失ったものにトドメを刺しているのか
 表札の外された玄関に
 縁側の雨戸に
 石を投げている
              (家)
 
 「石を投げている」のリフレインが隠然とした闇に突き刺さっていく。この闇は差別の根源だ。
 
 土壁にあたる、鈍い、どす黒い音、
 音が重みをおびてかぶさってくる
 石を投げている
 男にもうまく説明できまい石を投げている
 
 石は言葉であり詩である。暗い因習に、崩れた屋根のようにのしかかってくる歴史に詩人は石を投げている。
 松岡は2001年発行の第二詩集『ぼくから離れていく言葉』(澪標)の「あとがき」に他界した母について書いている。
 
 ぼくは時々自分を自分として同定できなくなったり、自分がこのままスーと居なくなってしまうのではないかという実存的不安に悩まされてきた。そんな自分をつなぎ止めておくために、存在実感の揺らぎを押さえつけるために、ぼくは詩を書いてきた。ずっとそう思っていた。が、何のことはない。母だったのだ。〈ぼくは今ここにいます〉といつも母に伝えずににはいられなかったのだ。
 
 松岡の母性棄却は実際の母の死によって完成されたかに見えるが、「悪しき母」からもたらされ「私」を苦しめる要素との格闘、即ち「妄想分裂ポジション」は心の底に密かにしゃがみ込んでいる。松岡は〈抑圧された者たちのあるかなきかの声を、言葉にすれば自らも血を流さずにはおれないような孤独の語を、都市の陰裂に突っ込んでやるのだ。〉(同上「あとがき」)と直截に語っている。
 
 捜し物をしていて
 偶然見つけた
 うすむらさき色の手のひらほどのやつ
 際どいカットの
 卑猥なやつ
 日記を盗み読んでいるような
 土足の気分
 
 この詩「妻は下着をかくしている」は、この後ユーモラスに展開するが、実はミソジニー一歩手前で踏みとどまるかのように婉曲している。母に代わって分裂すべき相手としての妻は最適だろうか。
 2003年にH氏賞を受賞した『金田君の宝物』(書肆青樹社)には度々「母」が表れる。もはや美しく虚飾された記憶だけでは収まらないものを詩人は凝視している。
 
 ビニールの管が 何本も突き刺さっている ズタズタに
 弄くられた 母の手を握る か細い息を握る 闇がある
  深潭な闇がある 夕暮れの畦に ひとり立ち尽くして
 いるのか それとも上の淵を溺れているのか 機械で呼
 吸をしているのに 微かに握り返してきた 母の闇が
 遠くから握り返してきた その何時間か前の 誰もいな
 い外来の待合室でだ 声を荒げて 兄と激しく言い争っ
 た
                   (ICU)
 
 詩「金田君の宝物」で、差別の深淵に立つ少年だったぼくと金田君、大人になったぼくがトモダチにならなかった金田君との厚い連帯の意識を屹立させたのは、金田君がくれた「女のアソコ」のモノクロ写真だった。
 
 中学三年の夏休み 
 ぼくと金田君は砂防ダムの工事現場で〈土方〉をした
 みなと川に潜って魚を突いたり
 クラブ活動に出てなどいられなかった
 ぼくらはそのぶんムキになって働いた
                   (金田君の宝物)
 
 この連帯の意識は『あるくことば』に知の言葉として結実していく。松岡は、インド、沖縄、韓国、中国、台湾やあるいはベトナムかも知れないがどこか分からない外国を歩いている。しかし詩人が歩いたのはニューヨークやロンドンではない。旧大日本帝国の植民地や侵略戦争の戦場とした地だ。そこで見たのは非均質性の暴力、差別者として君臨したものとしての自覚だったのではなかったか。
 
 あるくという行為は
 ことばをすてながら身軽になるということだ
               (どこにいるのか)
 
 石のように暗黒の歴史にことばを投げつけていた詩人が、ことばをすてながら身軽になるという。絶望だ。言葉にこそ表さないが、世界を歩いて、あるいは病の妻を抱えて、連帯を希求して詩人は絶望している。そして絶望こそ自己凝視に繋がる。
 
 そうせずにはいけない手、
 はどうしようもなくあらわれる
 出自のことではない
 寛容になれない醜さがわたしにはある、
 そのことでもない
 身におぼえのないものがまじる手
 洗っても洗っても洗ったことにならない手
 つれあいの髪の毛がほとんど抜け落ちた、
 そのことだろうか
 食べてくれない返事もくれないそのことだろうか
                                               (手、)
 
 自己に対する批判的視座を持った詩人は、おそらく自分が自分であることへの不信でいっぱいだ。この自己批判的自己凝視は、母を思い妻を省みハハからの妄想分裂ポジションを押し込めることに努力している。雄々しい父は要らない。それこそ排外主義者や父権主義者の妄想だと詩人は自覚している。
 
 忍耐はない
 性癖は治らない
 起立しない連帯にも近づかない
 セイタイイシュクです、と医者はいう
 しゃべらないでいると退化するのだという
 よってたかって誰かを責めたてて
 わたしもお国もとり返しのつかないところにいるらしい
 トタン波板の外壁と潮の満ち干
 みかんの花咲く島でくらすことになりました
 
 過剰な接続で
 誰しもが疲れている
 わたしらは知っている
 知っていてなにもしないでいる
 よわいものがよわいものを喰らうどん底
 ひとがひとを信じるとはどういう刹那をいうのだったか
 集団化していくわたしら、
 「正気」がたもてなくなるわたしら、
 もうどんな顔でいたらいいのかわかりません
                    (聲嗄れ)
 
 松岡政則さんありがとう。歩くも良し、引きこもるも良し、いずれにしても我々は空中戦を闘うしかないのでしょう。
*「妄想分裂ポジション」については、倉数茂「〈おぞましき母〉の病理」(『アイヌ民族否定論に抗する』岡和田晃 マーク・ウィンチェスター編 所収)を参照。

2018年8月15日 (水)

チャン・スチャン『羞恥』

羞恥心は言語の貧困に対峙する
チャン・スチャン(斎藤真理子訳)『羞恥』みすず書房

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 中学生の娘を持つ私であるイ・ウォンギルは不眠症に悩まされ、仕事を辞めさせられて日がな一日町を彷徨っては真昼の市街地の路地でうたた寝するような生活をしていた。それが死者を守る墓守りの生き方として最善だとして受け入れてさえいた。私は朝鮮民主主義人民共和国から逃れる所謂「脱北」の途上、疲れ果てて動けなくなった妻を置き去りにして逃げた罪を負っている。
 私とトンベクとヨンナムは韓国の東南アジア人街で出会った脱北者仲間で、それぞれ生き残ったことへの羞恥心を強く抱いている。家族を失って取り戻せないトンベクは黄色い染料を被って首を吊った。もう一人の友ヨンナムは江原道の田舎に引っ越した。
 ヨンナムが住む冬季オリンピックを誘致した市の郊外では、朝鮮戦争当時の民間人の遺骨が大量に出土して騒然となっている。そこへ誘われた私は娘のカンジュとその同級生で双極性障害があるらしいチスを連れて行き、騒動に巻き込まれる。ヨンナムは懺悔劇をやろうとしていて、オリンピック誘致推進派から執拗な脅迫と妨害を受ける。ヨンナムにとって演劇は、60年前の遺骨を慰霊するためだけでなく自分の罪を洗い流すためでもある。妻子を置いて逃げたという罪を犯して一人暮らすのがつらいのだ。演劇によって観衆の前に自分の恥を晒す懺悔こそヨンナムを生かそうとした。
 チャン・スチャンの小説『羞恥』は人は何で生きるか、何のために生きるのか、という問いを突きつけてくると同時に文学の意味をも問うている。
 世間は、オリンピックのもたらす経済効果と遺骨のために工事が遅れた場合の損失額を引き比べ、オリンピックに賛成する者は愛国者で反対するのは売国奴だという風潮に囚われている。関心があるのは工事で利益を上げ、それを守ることだけで戦争のことや犠牲者のことは面倒の種だ。「経済効果」はヨンナムの懺悔とは二律背反する。
「…見たとこ、懺悔とか真実とか怨恨とか、とにかく人間の世界の言葉はみんないやなんじゃないか。ただもう物質主義なんだ。それで懺悔という言葉を、あいつらの好きな開発とか、発展とか、そういう言葉の反対語みたいに思っているんじゃないかってね。…」
 この言葉は文学が、経済発展主義者の敵であることを表象している。2年後に東京オリンピックを控えた日本の為政者の言葉の貧困を想起する。
 しかし小説の私はオリンピック選手村建設工事現場のごたごたから距離を置きたいと思っている。政治的主張もしない。彼らは脱北者だからだ。北から来た人間にたいする謂われのない嫉みと差別を彼らは身を以て感じてきている。避難民に対する差別の構造は普遍的だ。フクシマの避難民に対する暴言・妄言とイジメも同種だ。
 私は言う「…いったい、俺たちをこんなにひっきりなしに恥じ入らせるものは何なんだろう? 俺たちは羞恥によって自分を守ろうとしているよ。そんなつまらん自尊心について考えてみたこと、ないかい?」
 恥じ入るべきなのは、脱北者や被災者だろうか。恥ずべき罪を重ねて生きてきたのは彼らだけではあるまい。羞恥を感じられるかどうかに人間性の核心を問う論拠がある。そこには文学の価値も同居している。恥ずべき人生を正直に羞じることに意味はある。羞恥こそ文学の価値だ、と極論しても過言ではない。真の文学は厚顔無恥などこかの国のオオオミには理解の外だ。
 明日の朝私はまた死を意識しながら起き、工場へ行くだろう。そこで、生きるために汗を垂らして働き、カンジュと私をさげすむ者たちと闘うだろう。
 町に戻った私に一筋の光がさしたエピローグに感謝したい。
 脱北者に関して、また脱北者に拘わる文学については、作者紹介とともに斎藤真理子の懇切丁寧な「訳者解説」に詳しい。

2018年7月 6日 (金)

クォン・ヨソン『春の宵』

隠された記憶を呼び戻す媒体としての酒

                                                               クォン・ヨソン『春の宵』書肆侃々房 橋下智保訳

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 クォン・ヨソン『春の宵』に収められた七編を読んで誰しもが酒飲みの物語と思うであろう。「春の宵」の妻ヨンギョンや「逆光」の新人作家はそもそもアルコール中毒だし、他の作品の登場人物たちも酒飲みだ。
 酒は忘却のために嗜好されると思われがちだが、往々にして隠された記憶を呼び戻してしまう。
 「春の宵」のスファンとヨンギョンはそれぞれ辛い過去を背負って43歳のときに出会い結ばれたが、夫スファンはリウマチ性関節炎が悪化し、妻ヨンギョンはアルコール中毒で肝硬変と栄養失調になっている。破産手続きをして療養所に入った二人だが、スファンの症状は末期的で、ヨンギョンはアルコールがやめられず外出すると帰ってこない。
 「三人旅行」では、キュとジュランの別れかけ夫婦とフニの三人はジュランの運転で旅行に出かけた。途上、わざわざ遠回りして、参鶏湯の美味いと評判の店や手作りハンバーグの店に寄る。窓外では冬季オリンピックに備えて工事が進んでいる。束草のコンドミニアムに泊まり、雪岳山国立公園や章沙港で遊ぶ。彼らは民主化運動を闘った世代だ。
 酒を飲み、生活の茶飯事や先輩の話で口喧嘩をする。キュは明け方に鉄のついた赤い錆のような男の声を聞く。彼らにどんな過去があったか読者には分からないが、彼らは1980年代の幻覚に囚われている。彼らは朝からウイスキーを飲み、干し鱈スープと焼き鱈を食べに行く。
 「カメラ」のムンギョンとカンヒのあいだには秘められた関係がある。かつてムンギョンの恋人だったクァンジョンの死は、なんびとの意思とも言えぬものだった。ムンギョンが「写真を習って撮ってみたいな。」と言ったのが原因だったのか、自治体の責任者がその道を石畳にしたのがいけなかったのか、不法滞在者が多いのが悪いのか、クァンジョンの死という結果を一つの要因に求めることは難しい。クァンジョンの死から10年経った今、弟の死に心を深く痛めたクァンヒとムンギョンは飲み屋で飲んで酔っ払ってそれぞれに遠い記憶にまさぐられる。酒が過去を引き寄せる。そこにあるのは明確な意志ではなく中動態的な動きかも知れない。
 「一足のうわばき」では新人シナリオ作家のキョンアンがテレビに映ったのをきっかけに、高校時代の友人三人が14年ぶりに再会する。昔から勉強よりも遊んでいるのが好きだったヘリョンとソンミは、数学の教師が怖くてキョンアンに教えて貰っていた。二人がキョンアンの家に来て料理をして酒を飲み、三人でナイトクラブに行き、カフェでまた飲んで、キョンアンの家に戻った。過去の記憶は人によって異なる。酒によって引き戻された記憶は、それぞれに別の痛みを与える。
 記憶という電波を受信するための媒体として酒があるとしてら、引き起こされるのは不安だけかも知れない。「層」の彼と彼女が抱える不安も、見えない記憶が呼び起こされ、利己的な自分を見つめさせられてしまうからではないだろうか。
 「おば
(イモ)」の伯母の生き方こそ品位がある。夫の母の姉である伯母は家族と連絡をとらず独りで慎ましく生き、今は膵臓癌を患って余生を過ごしている。義母は実家が好きでなかったから結婚後は実家に寄りつかなかった。義母の姉である伯母は会社勤めしながら実家で母と暮らし、弟が博奕などで作った借金を肩代わりしていた。39歳のときに不良債権者になった伯母は非正規社員として働き10年かけて借金を返した。そして二年前家から消え家族とも縁を切って倹約して生きるようになった。伯母は作家を志している私を気に入ったのか、退院後私の定期的な訪問を受け入れた。家にはテレビも、パソコンも、電話もなく、インターネットも繋がらない。エアコンも扇風機さえなく修道女のような生活をしていた。休館日以外は図書館で一日本を読んでいた。煙草は一日に4本、酒は日曜の晩に焼酎を1本を飲む。いくらかの奇抜な行動と個性的な人々との出会いを〈彼らはそれなりに愛すべき隣人だった〉と思っている。それは良い記憶だ。死にゆく伯母の記憶は不安ではなく安らぎをもたらした。

2018年6月 5日 (火)

チョン・ミョングァン『鯨』

アンチ「ファム・ファタール」としての呪い

チョン・ミョングァン『鯨』晶文社 斎藤真理子訳

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 チョン・ミョングァン『鯨』は荒唐無稽なエンターテイメント小説だ。常識を逸脱した登場人物の造形は純文学には見いだせないだろう。むしろ「クレヨンしんちゃん」や「ONE PINCE」といったアニメの造形に近い。純文学嗜好の読者には荷が重いかも知れない。両手の指がそれぞれ2本ずつしかないヤクザがナイフ使いの名手だったり、人が1トンまで太ったりする。
 しかし三世代にわたる女の憎悪ドラマは凄まじい。作品中に具体的な年代を表す記号は出てこないが、訳者あとがきで説明されているように1920年代から2000年代の韓国史を背景に主には朴正煕政権の時代を念頭に書かれたと言ってよい。「南の将軍」を朴正煕と読む読者があっても問題ない。
 小説全体を支配する「汁飯屋の老婆」の呪いは、死んだあとも何度も姿を現し、不幸を生成していく。後に「汁飯屋の老婆」と呼ばれる女は、余りの醜さに新郎に抱かれることなく3日で婚家を追い出され、奉公先のデクノボー(事故のためか知能に発達障害を持っている)の息子と性的関係を結び袋だたきにあう。「汁飯屋の老婆」は世間への復讐を誓って汁飯屋で小銭を貯める。デクノボーの子を孕み娘を生むが彼女に家族愛は無く、娘は片目を潰され、ハチミツ2瓶で売り飛ばされてしまう。醜い老婆が隠し貯めた金こそ、言わば呪いの罠である。老婆はこの金を使わずに死んでしまったが、クンボクがこれを見つけて事業を興す。
 小説の裏側の主人公は「汁飯屋の老婆」であるが、実際の主人公はクンボクとその娘チュニだ。クンボクは「汁飯屋の老婆」と対称的に美しく性的魅力に満ちた女として瞬く間に成長し、男達を手玉にとってのし上がる。クンボクの女性的魅力はまず父親を、そして山村から連れ出してくれた魚屋、怪力無双の大男シンパイを虜にし、ヤクザで町の支配者である刀傷などが次々に支配されていく。
 刀傷がかつて愛した日本の芸者ナオコは蠱惑的な魅力で刀傷を操り指を一本ずつ奪っていくが、刀傷はその愛が幻想であったことを知る。刀傷がクンボクを「ナオコ」と呼ぶのはまさにファム・ファタールとしての完全な姿をクンボクに求めたからに違いない。マッチョなシンパイはクンボクのファム・ファタール性に惹かれて彼女を得るが、自力を過信して大怪我し、クンボクに養われて自滅する。刀傷やシンパイの男性性はクンボクの女性性と対称的に、力強い者裕福な者として描かれる。ファム・ファタールとは何か。筆者は一知半解なので内藤千珠子の言を引用したい。
 ファム・ファタールとは、一般に、一九世紀ヨーロッパのロマン主義において形成された女性イメージの類型だといわれている。それは性的な魅力によって男性を致命的な恋に溺れさせ、破滅に導く女性を意味し、宿命の女、魔性の女、悪女、娼婦のイメージと重なり合う妖婦型女性、男性を死という危険な運命におびき寄せるほどの魅力を備えた女性と定義されている。表象としてのファム・ファタールには、女性に対する欲望と恐怖、魅惑と嫌悪、崇拝と憎悪といった両義的心理が投影されており、その二面性や両義性が分析の対象となってきた。また、物語の形式としては、ファム・ファタールの内面は意思や精神を欠如させた謎/空白とされ、読み取り不能な女の謎が物語を牽引するという定型をもつ。
                     (内藤千珠子『愛国的無関心』新曜社 2015年)
 興味深いのはクンボクの後半生が男性化する点だ。クンボクはファム・ファタールとして読者の前に現れ次から次へと男と関係しながら、言わば彼らを踏み台にして事業を発展させる。政治の象徴である南の将軍からも認められたクンボクは、この社会ではもう女性である必要が無くなった。クンボクは売春宿から救った睡蓮を美しく育て自らの愛人とする。クンボクはついに男性化したのだ。成功者となったクンボクは自らが男性としてファム・ファタールに嘲弄される。作者チョン・ミョングァンは一見、クンボクを通して〈女性嫌悪(ミソジニー)に裏打ちされた男性的欲望の回路〉そのものを読者に見せつけ、〈異性愛中心主義を背景とした近代の差別的な論理の骨格〉を壊したかのように思わせる。しかしこの特殊な人格が老婆の呪いによって破滅を迎える結末を考えるならば、男性優位の資本主義的成長社会において、男性化すること、あるいは男性と同様の支配的立場に立つことの愚かしさを表象しているとも言える。
 もう一点、この小説に従来型の親子関係の描き方に見られる家族主義的道徳の観点が抜けている点も興味深い。「汁飯屋の老婆」は自らが生んだ娘「一つ目」を愛さなかったし、一つ目もまた母を憎んだ。クンボクも娘であるチュニを愛せず、むしろ厄介に感じていた。言うまでも無く、作家が家族愛を否定したのではないだろう。しかし家族愛という幻想からいったん目をそらすことによってしか見えない社会の構造が見つかるかも知れないのだ。家族愛では救えないものがある。
 クンボクの娘チュニは、母親と異なり見かけの美しさを持たない。彼女は啞者で怪力だ。そして純真な心を持ち、社会的には無知だ。チュニの造形は見事。彼女はファム・ファタールたり得ない。チュニが男なら、ドストエフスキー『白痴』のムイシュキン公爵、柳美里『ゴールドラッシュ』の幸樹、金石範『万徳幽霊綺譚』の万徳と類似しているが、女性主人公としてこのような造形を得たことを読者として喜びたい。
 チュニは劇場放火の罪を着せられ投獄される。ここでチュニは優しさ故に看守鉄仮面に凄惨な拷問を続けられる。恩赦で出獄したチュニは廃墟となった町に戻り、煉瓦工場跡で独り生きる。ここでの出会いと別離が意味するものだ何だろうか。
〈何年かが過ぎた。彼女は一人で煉瓦を焼いていた。工場を訪れた者は誰もいなかった。〉
 この小説では、憎悪の心が何度でも反復して具象化し不幸を招く。しかしそれは荒唐無稽な嘘話とばかりは言っていられない。
 エピローグ、子どもの頃親しかった象のジャンボに乗って宇宙を飛ぶチュニは「ここはとっても静かだね。」と呟く。

2018年5月 5日 (土)

多和田葉子 地球にちりばめられて

ディストピア越境すれば未来はあるかも

                                     多和田葉子『地球にちりばめられて』(講談社)

 東日本大震災以後、作家たちはすぐそこの未来を想像したがった。それらは一様にディストピアだ。星野智幸は代表選手で『呪文』などすぐそこの近未来をリアルに描いている。木村友祐『野良ビトたちの燃え上がる肖像』や吉村萬壱『ボラード病』なども近「近未来」だ。窪美澄『アカガミ』やいとうせいこう『小説禁止令に賛同する』などはもう少し先の、山口泉『重力の帝国』は別次元のディストピアだ。これらの小説の特徴は多くの場合自然災害と原子力発電所の事故が根底に据えられている点だが、その上に安倍政権の危険性に対抗する感情が創作意欲をそそったに違いない。全体主義政府の支配する社会は個人の自由を一切保障しない。真実は政治家や政治活動家の強弁によって押し隠される。強いリーダーが導く世界がどうゆう社会になるか、作家たちは想像を逞しくする。
 いとうせいこう『小説禁止令に賛同する』は日本が滅んだ後2036年の囚われた小説化を描いていて興味深い。作家本人とおぼしき「わたし」は75歳で、旧日本のことであるらしい東端列島の拘置所独房に収監されている。旧政府によって「思想犯」として投獄されたのは2024年、紛争の直前のことだ。東端列島は複数国家連合の出現と、紛争中に重なった地震と豪雨と原子力事故の連続によって自滅したが、わたしはその後も収監されたままだ。汚染され拘置所の職員等は防護服を着用している。防護服も着ないわたしは言わば棄民なのだった。わたしは収監者用の小冊子『やすらか』に「随筆」を連載していて、原稿を検閲されているが、これが文学論でもあり小説そのものでもあり作品の肉となっている。
 桐野夏生「日没」(『世界』連載中)は時間的に『小説禁止令に賛同する』の少し前に位置して作家たちが収監される様を描いているのでこれも興味深い。
Photo 日本が滅んだ後海外に残った日本人を描いた小説がある。多和田葉子『地球にちりばめられて』だ。だが、この小説をディストピア小説と呼ぶには躊躇いがある。Hirukoという印象的な名の女性はヨーロッパ留学中に自分の国が消えてしまって帰れなくなり、デンマークのオーデンセのメルヘン・センターで移民の子対象の語り部として働いている。
 Hirukoはスカンジナビアの人なら聞けばだいたい意味が理解出来る手作り言語に、内心「パンスカ」と名付けてこれを駆使している。パンスカは常に変化して「今のわたしの状況そのものが言語になっている」。
 Hirukoの育った国では「出る杭は打たれる」という諺があって、口数の少ない勤勉な人が評価されたが、ヨーロッパでは何もできないわたしの「こんな事をやったらいいんじゃないかしら」という提案が評価される。アイデアが大切で、実践しながら経験を積めば良いと考えられる。この近未来ヨーロッパの福祉は充実していてHirukoやグリーンランドエスキモー出身のナヌークやインド出身で男性から女性に引越中のアカッシュも受け入れられる。移動の自由もほぼ保障されていて主人公たちはスウェーデン、デンマーク、ドイツ、スペインと旅をする。排外主義者による白色テロは起きることがあるが支配的ではなく、ディストピアとは言えない。ただ、〈中国大陸とポリネシアの間に浮かぶ列島〉が消滅してしまっているという一点のみが気になるだけだ。
 テレビに登場したHirukoに関心を持ち最初に彼女と旅に出る言語学者の卵クヌートの存在は、狂言回し的でもありながら、実はマイノリティーと非対象の「普通」という足場に立っていて、その母親同様「支配的暴力」を内包している。一方でクヌートの言語に対する疑問や考察は、小説に対して支配的立場に立つ読者である私を細部で導く。例えば、

ネイティブは魂と言語がぴったり一致していると信じている人たちがいる。母語は生まれた時から脳に埋め込まれていると信じている人もまだいる。そんなのはもちろん、科学の隠れ蓑さえ着ていない迷信だ。

という独白は、読者の頭に巣くう言語民族主義を撃破する。
 またナヌークは出汁の研究をしていて、文化の越境性を感じさせる。この社会では消滅した列島はほぼ忘れ去られているが、「すし」や「コスプレ」などという言葉は残っている。ただしそれらの言葉が日本由来だと知る者は殆どいない。言語学の研究対象なのだ。
 彼らはHirukoと同じ母語を持つSusanooを訪ねてアルルに向かう。HirukoもSusanooも日本人には馴染みのあるネーミングだ。Hirukoはもちろん「蛭子(ひるこ)」である。イザナギとイザナミの間に生まれた最初の神で、まぐはう際に女神から先に声をかけたために不具の子として流されたあの赤子だ。スサノウノミコトについては説明の必要はないだろう。暴れ者であるがゆえに天照大神が隠れるという事件が起きる。これらのネーミングは象徴的だ。
 Susanooは言葉は理解するがどの言葉でも喋れない。Hirukoとの母語での会話も一方的になる。Susanooは自分の母語を喋るHirukoと出会うことによって言葉の回復を望んだのかも知れない。ストックホルムの失語症研究所へと心は向かったのかも知れない。滅んだ言語の話者と研究者、同情者たちの旅は終わらない。
 さて、愚かな為政者のせいで天変地異より先んじて滅びるかも知れない我が言語、我が言語文学は流された先で生き延びることができるだろうか?

2018年5月 1日 (火)

ヤン ヨンヒ『朝鮮大学校物語』

再び光が当てられる日本の中の「朝鮮人」
 1970年代に李恢成や金鶴泳ら在日二世朝鮮人作家が現れ、主人公たちはそれぞれの立場で民族的アイデンティティを探した。在日朝鮮人による民族発見の文学的旅は「在日朝鮮人文学」と呼ばれ、日本人読者には日本に住む朝鮮人を意識させ、在日朝鮮人青年たちには複数の指針を示した。40年以上の年月を経て、その間「在日朝鮮人文学」は新しい世代の登場とともに「〈在日〉文学」と呼ばれるようになったが、李良枝以後そうした枠組みには当て嵌める意味を感じさせない作品が増えていた。柳美里は2006年に発行された『〈在日〉文学全集』に作品を集録していない。
 ところが最近ヘイトスピーチとレイシストの示威行動が社会問題化し衆目を集めるようになると、在日朝鮮人あるいは在日韓国人とは誰なのかを問う文学が再び脚光を浴び始めた。
 黄英治は商業ベースに乗らない地道な作家だ。黄が在日一世の父を描いた『記憶の火葬』(影書房)を上梓したのが2007年、韓国で囚われた在日政治犯の娘を描いた『あの壁まで』(影書房)が2013年、そして2015年発行の『前夜』(コールサック社)では、ヘイトスピーチに立ち向かう青年たちを題材とした。ヘイトスピーチは作家たちを刺激した。
 『ひとかどの父』(朝日新聞出版)、『緑と赤』(実業之日本社)、『海を抱いて月に眠る』(文藝春秋)など深沢潮の一連の作品もそうした題材を扱っている。特に最新作『海を抱いて月に眠る』は、朝鮮から「密航」した男が南北分断の政治状況に翻弄されながら身元を隠して生きなければならなかった様子を、父の困難に無知であった二世である娘と対比しながら描き、「在日」の歴史性を明らかにしようとする意図が窺える。
 崔実『ジニのパズル』(講談社)についてはこのブログで書評を書いている。群像新人文学賞を受賞してデビューし、織田作之助賞も受賞した。在日朝鮮人のジニは中学から朝鮮学校に通うが、北朝鮮バッシングと在日ヘイトのうねりの中で、自己の不安定な存在に嫌悪を抱き始める。朝鮮学校という小社会を取り込んだ日本そのものに反発したジニはオレゴンの高校で反発の日々を送る。ジニは残念ながら日本では自己を確認できない。Photo
 『ジニのパズル』がモチーフとしたのは中級学校だったが、ヤン ヨンヒの『朝鮮大学校物語』(角川書店)はその名のとおり朝鮮大学での生活を日本の読者に見せた。芝居が好きで演劇の勉強がしたくて東京の朝鮮大学に入学したミヨンだが、全寮制の朝鮮大学には夢見た自由が存在しない。全体主義で官僚主義的に統率された学校でミヨンは息苦しさから逃れられない。隣接する美大の学生との恋愛で表出された対比は見事だが、単純には描かれなかった。すでに日本社会が抱えた排外主義の問題も投射されている。
 しかしながら大筋では「北朝鮮>朝鮮大学校」の抱えた闇がクローズアップされてしまう。朝鮮大学生であることによるある種の特権を持っているミヨンは北朝鮮で姉に会うことがかなうが、音楽家であった姉夫婦は危険人物として地方で監視された生活を送っていた。姉の「…この国背負わされて日本で生きるのも大変やと思うわ」という言葉にミヨンの意志は固まる。
 この小説に対する興味は物語の主軸から離れたところにもある。在日朝鮮人の「朝鮮語」の多様さ、日本各地の方言に染まった日本語訛りの朝鮮語の多様さだ。言語が抱える民族性と地方性、越境性、などの課題は文学読者には常に関心事だ。
 ソウルから来た演劇人との交流のなかでミヨンが認めるのは〈美しいソウル弁で語られる強靱な信念〉だった。彼らは、表現の自由が担保されない韓国という独裁政権下で逮捕覚悟で演劇活動をしている。
「朝鮮語を話す人間は北朝鮮の学校を出たスパイだから関わるなと言われました。でも私が出会った演出の金さんはスパイどころか、酒好きの芝居バカです。…偏狭な妄想者に邪魔されるなんて真っ平です。いい舞台を作りましょう」
 「偏狭な妄想者」というのはここで直接には韓国の独裁政権だが、北朝鮮の為政者、あるいはヘイトスピーチをがなり立てる日本の排外主義者にも当て嵌まりそうだ。
 ただしここで読者が気をつけなければいけないのは2点、一つは朝鮮大学校の、あるいは在日朝鮮人のおかれた日本の状況がそれほど鮮明でない点、朝鮮大学校で組織に従順に過ごした学生にも人間としての精一杯の生があったはずだ。もう一つ、このモデルは1980年代の朝鮮大学、韓国も北朝鮮も日々変化しているということ。朝鮮大学校の現在が描かれる日も待たれる。

2018年4月24日 (火)

在日朝鮮人文学

愚銀のブログ内で在日朝鮮人作家の作品に言及した頁を紹介します。

「在日朝鮮人文学」とは何か

「在日朝鮮人文学」の変容とは何か


在日朝鮮人文学の黄昏

宋恵媛『「在日朝鮮人文学史」のために』

金泰生文学の軌跡

「在日朝鮮人文学」と金泰生の風景

金時鐘×佐高信『「在日」を生きる』集英社新書


金石範「海の底から」世界連載中

金石範「消された孤独」

金石範の『過去からの行進』

金石範「終っていなかった生」

金石範「地の底から」

金石範さんの入国を韓国政府が拒否!

麗羅『山河哀号』

尹在賢『凍土の青春』

金蒼生『済州島で暮らせば』

地方語・民族語・帝国主義語──金聖珉「楓の挿話」

柳美里『人生にはやらなくていいことがある』

柳美里『貧乏の神様』

柳美里『JR上野駅公園口』

転換期の作家・李良枝

金重明『幻の大国手』再読

黄英治『前夜』

黄英治『あの壁まで』

黄英治『記憶の火葬』

深沢潮『ひとかどの父へ』

李信恵『鶴橋安寧 アンチ・ヘイト・クロニクル』

崔実『ジニのパズル』

ヤン ヨンヒ『朝鮮大学校物語』

2018年4月 4日 (水)

イ ヒョン『1945,鉄原』

南北朝鮮の対立の原点を描いた青春小説

イ ヒョン『1945,鉄原』梁玉順訳 影書房Photo

 アベ政権の河野太郎外相は3月31日に、北朝鮮が「次の核実験の用意を一生懸命やっている」と、高知市で開いた講演で断定したが、アメリカの北朝鮮分析サイト「38ノース」は4月2日、北朝鮮豊渓里(プンゲリ)の核実験場では「過去数カ月に比べて活動は大幅に減少している」とする分析を発表した。河野外相は、北朝鮮憎しのまったく見当外れの発言で恥をかいた訳だが、対米従属、アジア蔑視の日本人のメンタリティーという需要に応えた積もりに違いない。
 アジア蔑視の中心にこそ「北朝鮮」=朝鮮民主主義人民共和国がある。ところが、平昌オリンピックへの北朝鮮代表団の参加以後南北融和は急速に進んでいる。あわや核戦争も辞さぬとされた東アジアの平和は一旦保たれつつあり、朝鮮半島の戦争危機は話し合いで解決されようとしている。ところが日本のアベ政権は北朝鮮を巡る中韓米露の話し合い路線に乗り遅れ、いまだに対北朝鮮強行政策から抜け出せないでいるお粗末だ。
 そもそも朝鮮半島の南北対立はいつ起きたのか、という基本的な知識さへ持たない嫌韓国・憎北朝鮮の日本人は少なくない。1948年に南朝鮮での単独選挙を経て、李承晩大統領を戴く大韓民国が成立した。翌年には対抗した北朝鮮で朝鮮民主主義人民共和国が成立した。
 イヒョン作『1945,鉄原(チョロン)』は、日本帝国主義の頸木から放たれた1945年8月から2年半ほどの期間に、朝鮮のほぼ中央に位置する町「鉄原」で繰り広がられる青年群像の活躍と煩悶とを描いた小説だ。
 鉄原は現在、軍事境界線の南、非武装地帯(DMZ)に隣接する民間人統制線の内側にある。しかし1945年以後のこの小説が展開された時期はまだ38度線の北側の町としてソ連が進駐し、鉄原郡臨時人民委員会が支配的だった。獄中の独立運動家や共産主義者は解放され、大地主の所有した土地や財産は再分配された。それまでの身分制度は徹底的に破壊されたのだ。
 姜敬愛(カンギョンエ)は、小作農の娘で両親を亡くし大地主黄寅甫(ファンインボ)の妾である徐華瑛(ソファヨン)の小間使いとして働いていたが、解放後は鉄原郡臨時人民委員会の管理する人民書店で働いている。古い身分制度に固執する名家の娘郭恩恵(カクウネ)は気位の高い両班の娘だが、心を隠して敬愛と対等な立場で人民書店で働きながら、京城へ逃げる機会を待っている。黄基秀(ファンキス)は黄寅甫の末息子だが、身分制に反感を持ちソ連への留学を夢見ていた。
「お母さん、共産主義は虐殺しようというのではないんです。復讐しようというのでもないんです。(中略)もう一度はじめようということです。お母さんとぼくとで、新しい世の中で、またはじめられるんです」
 基秀の理想に燃えた無垢な言葉は、当時の青年たちに共通していたかも知れないが、すべてを奪われたと思い込んだ母は首を括ってしまう。
「わしゃ、アカがなにかよう知らん。だけど、はっきりいうけど、日本人どもの手先になっていたやつが、のうのうといい暮らしをしているのはほっとけん。とんでもないことだよ。だからね、黄家の万石の財産をみんなうばいとったアカが好きじゃ。わしゃもう、無条件でアカの味方よ」
と言う漣川(ヨンチョン)おばさんの言葉は庶民を代表している。米軍が駐留している南朝鮮では植民地時代に日本の手先となって朝鮮人を虐げた「親日派」が幅を利かせている現実があった。
 やがて鉄原でも右翼団体によるテロが活発化していく。大韓民国設立の正当性にも一石を投じそうな小説だが、この後起きる朝鮮戦争と、韓国の軍事独裁政治と北朝鮮の独裁政権の対立を鑑みれば、決着の着かないこの物語は複雑でしかない。敬愛たちの純粋な夢は美しいが、その後の困難は果てしなく厳しい。民主政府が政治を担う現代韓国でもいまだに極右勢力は蠢いている。人の心はなかなか変えられない。しかし「反共」が国是であった韓国でこのような小説が書かれ読まれるという事実は、民主制度の確立が目の前に迫っていることを知らせる。
 日本では相変わらず政治の私物化がまかり通っているし、排外主義的風潮はいっこうに消えない。先日も大阪で韓国人男性が面識の無い日本人男性にナイフで刺された。韓国のマスコミは「被害者は日本語が上手ではなく、誰が見ても韓国人だということで、このような被害にあった」と伝えたが、日本のマスコミは被害者が韓国人であるということさえ報道を避けた。「慰安婦」問題をはじめ「反日」的情報の提供を避けているとしか思えない。
 日帝時代からの革命闘志だった洪正斗(ホンジョンドゥ)ではなく両班の親日家黄寅甫の愛人になった徐華瑛の「愛とはときに、そんな招かれざる客のようなものなのよ」という言葉が、艶めかしく人間の愚かしさを言い当てている。
 朴婉緒の『新女性を生きよ』(梨の木舎)が同時代のソウルを描いているので読み比べてみるのも良いかも知れない。その続きが『あの山は、本当にそこにあったのだろうか』(かんよう出版)だ。

2018年3月27日 (火)

キム・グミ『あまりにも真昼の恋愛』

エメラルド色の輝きで彷徨う
キム・グミ『あまりにも真昼の恋愛』すんみ訳 晶文社

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 『あまりにも真昼の恋愛』に収められた短篇すべてを一読して、李箱や金承鈺を思い浮かべた。そのどちらにも似て、また似ていないが主人公たちの生きる社会に強いられる不条理の空気感に同質性を感じる。しかしながら日本帝国主義支配下だったり軍事独裁政権下で生きる庶民の閉塞感とは違う、むしろ現代日本に蔓延する諦念に似た雰囲気が描かれる。
 表題作「あまりにも真昼の恋愛」では、平社員に降格された30代半ばのピリョンが、小劇場の舞台に立つヤンヒと再会して、自分の生きてきた普通の人生に疑問を持つ。家庭を持ち出世するために働いてきた自己を振り返るが、引き返すには現実は重すぎるだろう。
 「趙衆均の世界」では、試用期間中の私は50前の歳で何の役職でもない趙衆均
(チョジュンギュン)氏と仕事をしていくうちに、趙衆均の変わった生き方に惹かれていく。趙衆均氏は校正の仕事に執拗に食い下がり日程に間に合わない。趙衆均氏は学生時代にデモに参加して警察に捕まったことがあり、その頃の仲間が「過ぎ去った世界」という名の酒場をやっている。マスターはかつて死刑囚だったらしい。趙衆均氏が解答用紙に書いた詩が「過ぎ去った世界」だ。
 「セシリア」の私は学生時代の先輩と離婚経験があり、今は小論文の講師をしている。私は学生時代から仲の良い友だちがいなかったセシリアを訪ねた。芸術家のセシリアは、あなたが訪ねてくると思ったと言い、別れ際にはもう来ないでと言う。
 これらの作品では平凡と非凡が対象されていると読むことができる。この世界に順応して生きる閉塞感と、順応しない絶望感とどちらが自由だろうか。答えは明確ではない。
 「半月」の少女は、母が借金を作ったため、ほとぼりが冷めるまで叔母さんの住む島に行くことになった。叔母さんは島で唯一の保健所で医師の仕事も兼ねた看護師をやっていた。都会の生活にも苦悩はあるが、田舎にも生きる闘いがある。
 「肉」の夫は〈お金がもらえる仕事は、卑しくて汚いことばかりだ〉言う。私たちはみな卑しくて汚いことばかりやって生きてきたのかも知れない。
 「犬を待つこと」の彼女は、自分が限られた階層や傾向の人たちの枠から出ていないことに気づいていた。〈彼女はよろけながら抱きついてくる犬を頭に浮かべた。ただ犬だけが彼女をまっとうに見つめてくれていたと思うと悲しさに襲われた。〉彼女は失うことによって初めて人生を考え直したのだろう。亀裂を感じて展望を考えた。
 「私たちがどこかの星で」の彼女は孤児院出身で新米看護師だった。孤児院の賄いおばさんから、孤児院がつぶれそうなので寄付をお願いする手紙が来ていた。
 公平な愛を見せるシスターと子どもたちの関係、看護師である彼女と患者の関係、彼女と賄いのおばさんとの関係、来年も彼女がこの病院で働けるかどうかの鍵を握っている看護師長と彼女の関係などは、すべて「非対称性、不均質性に由来する社会的諸関係」
(山城むつみ「カイセイエ」『すばる』2018年3月)と呼べる。その関係は常に暴力性を帯びている。唯一ドアマンと彼女の関係だけが対等に感じられる。
〈彼女はスズの兵隊のように焦がれる恋に苦しんだあげく、告白を待っているのかもしれなかった。ここは大きな病院で、痛みのない人はいないから。皆が不完全で、それだけは公平な世界だから。〉
大きな病院とは、この社会そのものの象徴であると思われる。〈彼女は患者を連れて移動しながら、いまだに道に迷った。〉
 新人が着るエメラルド色のユニフォームを着た彼女が、新米であるが故の輝きを失わないまま道に迷い歩き続けていくさまを、希望の姿として捉えたい。
 「普通の時代」が描いたのは、この社会が手抜き工事で作られた土台の上に建っているという事実だ。
 「猫はいかにして鍛えられるのか」は、オストロフスキーの長編小説を彷彿させるタイトルだが、不屈の精神で革命戦争を導くようなタイプを描いてはいない。モ課長はただ自分の技術を生かしたいだけで、誰にも与しない。リストラのための職能啓発部へ異動になるが、他の社員たちと強調せず、たんたんと課題をクリアしていく。そして退社後には迷い猫探しに勤しんで「猫探偵」と呼ばれる。モ課長は猫を迷子にしてしまった飼い主には厳しいが、自分が勤める会社や生きている社会には批判の目を持たない。〈流れるままに流されればいい〉と思っているが、社長との圧倒的な価値観の違いを知ると、クビになった人たちが煙突に設置しかけた垂れ幕を読むために煙突を登り始める。
 この社会で人は被害者でありながら加害者であるかも知れないことに気づけないでいる。加害性は社会に強いられ、差別性は気づかないうちに生み出され育まれる。
 メッキさえ剥がれ始めた酸素不足の社会で私たちが意識しなければならないものは何か、読まされた気がする。

2018年3月18日 (日)

金時鐘×佐高信『「在日」を生きる』

詩は現実認識における革命だ

Photo 「在日」を生きる、とは今さらながらのタイトルだが、戦後日本に生きる「日本人」出身ではない詩人の視点から、現代日本の抱える様々な問題の根幹を考えることに焦点を絞って見ればこんな対談になったと言えようか。軽い語りの対談だが、中身は重い。
 金時鐘
(キムシジョン)は植民地朝鮮の皇国少年であった。従って金時鐘の意識の基底をなしたのは日本語だった。〈それも皇国史観を徹底して賛美する日本語だった。それは非常に情緒的な日本語です。〉それだけに金は、日本語から距離を置き客観的に日本語を見る努力をしてきたのだろう。
 朝鮮語(韓国語)の母音は陽母音と陰母音に分けられる。万物は陰陽によって調和統一されるというのは朝鮮民族に受け継がれる考え方だ。ところが、近代以降の日本語は、明るい、澄んだ音ばかりを選りすぐって教科書言語としての標準語が作られた。〈日本語は代表的な陰性母音を、教科書言語をつくるときから無くしてしまった。…〉近代日本語いわゆる標準語は、教科書言語であり帝国主義言語であり、軍隊の言語であり、その閉鎖性ゆえに日本国内の方言さえも排除していった。金時鐘はは、〈統一言語、教科書言語、そして純血言語としての日本語の、排他性がひそんでいます。〉と言う。
 更に、金時鐘は日本の「詩」や「歌」、演歌にまで批判の目を向ける。
〈軍歌だけではなく、抒情歌といわれるものも含めて、歌というものは批評を持たないんです。〉
 演歌こそ〈戦前回帰の温床だと思いますね。〉
〈演歌というのは、一大思想詩ですよ。人間の情感的な体質を常に旧態依然なものに醸成する、べらぼうな威力を持っている。〉
 圧倒的に美しく懐かしいが、思考というフィルターを排除した演歌や演歌的な叙情歌に危険な匂いを察知する金時鐘の嗅覚は鋭い。演歌は考える力を無にし情緒の海に溺れさせる。

  書かれない小説は存在しませんが、詩は書かれなくても存在する。日常次元で普段の一切に演歌的情感が沁みているから、離れようがない。距離を置くということを思いつかない。

 金時鐘は〈詩とは、行き着くところ、現実認識における革命だと思います。〉と言う。
 私たちは政府の不正に面と向かっても、考えない。考える代わりに演歌を歌う。国会前や大阪や札幌で声を上げる代わりに諦めの歌を歌うのだ。着ては貰えぬセーターを編む、それがファシズムの許容だ。
 本当に詩を言葉にするということは、実存との衝突を怖れず、あるいは怖れながらも、出会い関わり合うことができる人に芽生える言葉を発するということだ。「安保法制反対」「森友・加計疑惑解明」「アベ退陣」というコールに詩がないと言えようか。「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」の句を、さいたま市立三橋公民館が、「公民館だより」への掲載を拒否したのは文学的に意味のある事件だった。
 金時鐘の「解放教育運動の実践」として公立高校で朝鮮語を教えたときの経験も、読み捨てる訳にはいかない一節だ。内容は本書を読んで頂くこととするが、「地下
(じげ)言葉」には考えさせられた。〈番町地区の部落言葉には、丁寧語がありません。彼らはそれを地下言葉と称しますが、親子でもぞんざいな言葉で交わし合います〉。朝鮮(韓国)では子は親にたいして敬語を使うので、金の言う「親子でも」には文化的背景があり、現代日本人を前提にするなら、「他人の関係でも」と言うべきだったかも知れない。兎にも角にも、丁寧語の無い地下言葉も大事だが一般の市民生活にはそぐわないから、〈折り目正しい言葉を学んでいかなくてはならんのや。〉と言う金時鐘の言葉に、在日朝鮮人一世が日本語と向き合うとき、自己に認めさせる「合理性」を感じさせられた。不思議とそこに忸怩たるものを感じ取れなかった。
 一人の人間として生き、羞じ、怒る詩人の本音を垣間見ることができた。日本の内側にいて、日本的情緒に囚われない在日朝鮮人詩人の言葉を、東北生まれの言論人佐高信が刺激的に引き出した好著と言える。
                                                                                                 (集英社新書)

2018年3月12日 (月)

小島剛一『トルコのもう一つの顔』

偉大な民族国家トルコの多様な少数民族言語を歩く

 前回2月17日付けブログで、ムラトハンムンガン編『あるデルスィムの物語』を紹介した際に末尾で〈デルスィムのクルド人が使うザザ語とクルド語の関係は不明だ〉と書いたが、磯部加代子は「訳者まえがき」に、デルスィムの〈人々はクルド語とは別の言語とされているザザ語を話し、宗教的には……アレヴィー教徒が多数を占めてる。〉と書いている。また「訳者あとがき」では、1991年発行の小島剛一著『トルコのもう一つの顔』との出会いが、磯部のトルコへの興味とデルスィムへの関心の起源だったと書いているので、気になってkindle版で読んだ。Photo 『トルコのもう一つの顔』はフランス在住の言語学者小島剛一が17年に渡ってトルコの少数民族言語を踏査した経験を書いたものだ。トルコ語ばかりでなく、トルコの少数民族語やそれぞれの方言についても詳しい。トルコにはクルド人、ザザ人、アラブ人、ラズ人、ギリシャ人、アルメニア人、ヘムシン人、ガガウズ人など70以上の少数民族がいるが、トルコ政府は「トルコ共和国国民はすべてトルコ民族である」と定義しているため、国内の少数民族の存在を認めていない。現在ではトルコ語を母語としない国民の存在を認めてはいるらしいが、少数民族とは認知せず、クルドやザザなどの少数民族の置かれた立場は依然としていると思われ、『あるデルスィムの物語』の「訳者あとがき」を読めば、トゥンジェリと改名されたデルスィムの現実が垣間見られる。ましてや20世紀後半のトルコで調査した小島剛一の活動は陰に陽に妨害される。その都度肩すかしをするようにすり抜けたり親しくなった人々に助けられたりする。これは調査報告書ではない。論文でもない。日本に住んでいると気づきにくい多様な価値観との共鳴と反発の体験を綴った紀行文だ。
 トルコと言えば、日本では親日国として知られ、トルコの人は親切だと言われる。小島剛一も「トルコ人ほど親切な人たちも珍しい」という一章を設けている。その親切な人たちが、少数民族や他宗教徒には、まったく事実ではない強い偏見で対峙している現実を見せられる。〈虫も殺さぬ顔で、「イスラームの敵アレウィー教徒を殺せば天国の門が開く」と言う人にはじめて会ったときには背筋が冷たくなった。〉われわれは井の中の蛙だ。〈知らないものは見えないし、興味のないものは小さく見える〉のだ。木を見て森を見なければ、人間として生きる道を誤るかも知れない。トルコ人だけを責められはしない。〈日本にもアイヌ人の強制同化や日韓併合の歴史がある。〉昨今のヘイトスピーチや嫌韓反中本の氾濫を鑑みれば、これを過去のことだと清算することなどできない。日本語という井戸の中で四角い小さな空しか見たことのない蛙人間としての自己を振り返る契機になるかも知れない。
 「民族」に関しては、日本人はおおざっぱだ。『トルコのもう一つの顔』を読むきっかけになった『あるデルスィムの物語』の副題は「クルド文学短編集」となっているが、デルスィムに住む民族の大半はザザ人でトルコ語ともクルド語とも異なるザザ語を話し、殆どがアレウィー教徒だ。彼らの教義は他の回教徒とは著しく異なる。例えば彼らは葡萄酒を飲むし、回教寺院に行かず礼拝もしない。男女平等を宗とする。つまり小島剛一の論に沿う限りザザ人はクルド人ではない。『あるデルスィムの物語』の副題は「クルド文学短編集」ではなく、「ザザ文学短篇集」か「トルコに於ける被抑圧少数民族文学短篇集」とした方が正確だった。付け足せば、『あるデルスィムの物語』に収められた10編の作者10人の出身民族も不明だ。これは本人にもよくは分からないのかも知れない。『トルコのもう一つの顔』を読めば、「隠れ民族」やら「忘れ民族」という状態もあるらしいので、トルコ政府の強制同化政策が長期に渡っている状態では仕方あるまい。そう考えるとこのような副題を付けること自体が問題を孕んでいるのかも知れない。

2018年2月17日 (土)

あるデルスィムの物語──クルド文学短編集

〈そこ〉にいる人たちの視線に自覚的であれ、と小説は語る
ムラトハンムンガン編 磯部加代子訳『あるデルスィムの物語──クルド文学短編集』さわらび舎

Photo

 山城むつみ「カイセイエ──向井豊昭と鳩沢佐美夫」(『すばる』2018年3月)を読んで「非対称性の暴力」という言葉を学び、直後にクルド文学短篇集と副題の付いた本書『あるデルスィムの物語』を読んだ。「非対称性の暴力」とは山城むつみによると、意識の問題ではなく存在の問題であり、〈個人の意識がどうであろうと、たとえ私が良心的で弱者の味方として善意に満ちあふれていても、《ここ》に私が存在していることがそのまま、加害的、差別的な暴力となる《そこ》が今もなおあるということ〉だ。植民支配・同化政策による先住民や被支配民族の置かれた立場が、まさに非対称性の暴力による支配ということが言えそうだ。それはたんに過去の問題ではない。
 寡聞にしてクルド民族について知ることが殆ど無かった。本書の発行についてもTwitterで古い友人が発信していなければ通り過ぎていただろう。無知な私には、翻訳者磯部加代子の懇切丁寧な解説抜きにここに収められた10篇の短編を理解するのは難しい。
 「訳者まえがき」の助けに依ると、クルド人はチグリス・ユーフラテス川を中心とする地域の先住民族であり、その居住する地域クルディスタンはトルコ、イラク、シリア、イランに分断支配される多国間植民地だ。デルスィムとはトルコに支配されたクルドの地域の一つである。1937-8年に住民虐殺、クルド人の民族浄化=トルコ人化、スンニー化が執行された。その過程でクルド家庭の女児はクルド人の親から引き離されトルコ人将校の家に手伝いや養女として引き取られた。そうした事件を歴史的背景としてこの作品集は編まれた。この本の原文はトルコ語で書かれており、クルド語ではない。そう言った意味では在日朝鮮人文学をさかのぼり、植民地時代の朝鮮人による日本語文学、例えば、張赫宙や金史良、あるいは李光洙などを想起させる。またこの事件について口を閉ざし語らない人々が多く登場するが、済州島四・三事件が長期に渡って語られなかった事実と類似する。
 しかし、作品集中ヤウズ・エキンジ「祖父の勲章」で新聞報道されているように、現在のトルコでは考古学の発掘のように自国歴史の輝かしき歴史が汚辱にまみれたものであることが、いくらかは知られるようになっているらしい。主人公の祖父はデルスィムの虐殺者の一人である。
〈僕は、写真の下の記事を読んだ。首相が公式に謝罪し、記録が公開されたと記事は伝えていた。その「デルスィム作戦」において、洞窟の中の人間が生きたまま焼かれたことや、殺された死体はムンズル川に流されたこと、男たちが集められいっぺんに串刺しにされ、親を失い孤児となった小さな女の子たちは、将校たちのお手伝いとして引き取られたと書かれていた。僕は体の毛が逆立つのを感じた。〉
 主人公は叙勲された祖父の歴史、民族の栄光の歴史の血塗られた事実に目を向ける。
 収録された幾つかの作品は慈悲深いトルコ将校の家に貰われた女児の物語だ。ヤルチュン・トスン「カラスの慈悲心」では、私がなついているエスマー・カルファは将校の家の女中のようだ。私はカラスがたくさん出てくる夢を見る。夢の中で私は子どもを背負っている。記憶の物語は語られない。訳者解題によると、〈この物語の背景には、おびただしい数の「養女となった女児の物語」がある。〉デルスィムでの被害女児を貰い受けた軍人がどんなに優しい人間であったとしても、そこには非対称性の暴力が横たわっている。
 ジェミル・カヴクチェ「ムニラおばさんのお伽話」では、司令官の家に連れ去られたファトマは「今後クルド語を話したらお前を焼き殺す!」と言われて以来クルド語を話さなくなった。デルスィムから連れ去られた女児は同化させるために母語を奪われている。
 カリン・カラカシュル「サビハ」で、孤児院の子どもを養女としたのはトルコ建国の英雄ムスタファ・ケマルだ。その娘サビハ・ギョクチュンは世界初の女性パイロットで、デルスィム作戦に参加して名を上げたが、実はアルメニア人だったらしい。正義のために、父のためにデルスィムを空爆する女性パイロットの姿は前向きで栄光に満ちているかに見えるが、殺し殺される凄惨な流血の記憶を奥深く隠している。
 虐殺の過去を背負った人間を描いた作品もいくつか見られる。ここには非対称性暴力の自覚の芽生えが見られる。そこには微かな希望がある。ベフチェット・チェリッキ「ロリ… ロリ…」は被害者と加害者の遭遇がモチーフだが、加害者が加害の意識を持っていなければ、この遭遇はあり得ない。しかもこの遭遇は語られることがない。加害者の孫は被害者彼女と同じ言葉でありながら内に秘められた意味が違うと感じる。アイフェル・トゥンチェ「重荷」で、テレビクルーの取材を受けた老いたネイイレ夫人は、デルスィム事件で勲章を授与された英雄である父の真実を話してしまう。母は妊娠した女性や赤ん坊まで殺した所行を懼れ、夫の銃で自殺していたのだ。
 故郷から離れた地で、母語のかすかな音に魅かれることもある。ブルハン・ソンメズ「先史時代の犬ども」の舞台は英国だ。自殺未遂を繰り返すイェスマはトルコ語とデルスィムのクルド人が使うザザ語混じりに、父を殺され母をレイプされた事件について語る。〈三世代にわたり続く暴力とは、一体何なのか。それは、非トルコ人に対する同化政策というトルコ共和国における未完の暴力である。今なお、故郷を追われた者たちの尽きぬ望郷の念、凄惨な流血の記憶、複雑なアイデンティティといった、数えきれない痛みを生み出し続けている。〉(訳者解題)
 ギョヌル・クヴルジュム「禁じられた故郷」は作品中で最も詩情豊かに悲しみを湛えた作品だ。二人のよそ者でありマイノリティーである男女の出会いは、これもデルスィムを巡る凄惨な歴史を踏みしめていく運命だ。井戸に向かって囁かれた言葉は、井戸の奥深くで広がって行く。難解な作品群のなかにあっても最も読解しがたい作品だ。
 馴染みの無いクルドの文学というだけではなく、今以て沈黙で語らなければならないデルスィムの後裔たちを解読するためには相当な努力と想像力を必要とする。「訳者まえがき」「訳者解題」は適切で読者を助けてくれる。更にエッセイ風の「訳者あとがき」が、日本とトルコ、トルコとデルスィム、といった相関関係をあぶり出してくれる。
 『あるデルスィムの物語』は、トルコにおいてはデルスィム虐殺の事実を認めクルドの人々の視線を受け止めることを求めるのだろう。また文学という普遍において、先住民アイヌの視線、朝鮮人「従軍慰安婦」の視線を受け止めること、重慶爆撃や南京虐殺、731部隊の生体実験の歴史的事実を受け止めることを要求するだろう。
 なお、本書はトルコ語による小説で、磯部加代子によれば〈クルド人と自認する作家たちが作品を書く際に選ぶ言語は、ほとんどの場合トルコ語である。〉とのことだが、アラビア語、ペルシャ語及びクルド語で書かれたクルド文学もあれば日本語訳にも期待したい。デルスィムのクルド人が使うザザ語とクルド語の関係は不明だが、ザザ語による文学があるのだろうか。在日クルド人による日本語文学の可能性にも期待したい。

翻訳者がトルコに関心を持つきっかけになった関連書籍に、小島剛一著『トルコもう一つの顔』(中公新書)がある。
http://kghayashi.cocolog-nifty.com/blog/2018/03/post-4122.html

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2018年1月 8日 (月)

金石範「海の底から」

歴史人間はどう向き合うか

 在日朝鮮人作家金石範は、昨年(1917年)9月、韓国で第1回李浩哲(イ・ホチョル)統一路文学賞を受賞した。ソウル市恩平区が南北分断の不条理を描いて昨年死去した作家李浩哲にちなんで、世界の作家を対象に創設した賞だ。金石範は2015年『火山島』韓国語版が出版されるとすぐに、第1回済州四・三平和賞を受賞している。長編『火山島』の執筆によって「四・三」」の真実を国際社会に知らしめる契機を作るとともに、イデオロギーを超えた普遍的な人間の価値を描き出したことが認められたのだった。
 今回の李浩哲統一路文学賞受賞に伴う訪韓の様子は、『世界』12月号と1月号に掲載された。そのため連載中の「海の底から」は休載となった。「海の底から」は、完結した長編『火山島』を引き継いでいる。拷問のため満身創痍で済州島から逃れて日本に戻った朝鮮人南承之(ナ・スンジ)が主人公だ。済州島では1948年に朝鮮半島の南だけでの単独選挙、単独政府樹立に反対する武装抗争が始まり、ゲリラ化した闘争はアメリカと李承晩政権による大規模な討伐と島民大虐殺によって鎮圧された。その過程は、南承之の兄貴分的な存在であるニヒリスト李芳根(イ・バングン)を主人公とした『火山島』の背景として描かれた。南承之らを日本に逃がした李芳根は、裏切り者柳達鉉(ユ・ダルヒョン)と対決し死へと追い詰め、母方の縁戚で警察警務係長の鄭世容(チョン・セヨン)を殺した後、自らの命を絶った。
 実は「海の底から」より前に『火山島』の結末を引き継ぐものとして書かれたのは『地底の太陽』(2006年11月、集英社)だった。済州島四・三蜂起に敗れた南承之の物語は戦後日本を舞台に再開された。南承之は豚になって生き残る。日本に逃れて、逃れたという負い目を恥じながら生きる。李芳根の死を知った南承之は李芳根の自殺について考え続けている。
 「海の底から」の連載は1950年6月19日、李芳根の一周忌から始まる。南承之は李芳根の妹李有媛(イ・ユオォン)を思いながら神戸でゴム工場を営む従兄の家で厄介になり、大阪と行き来している。南承之は有媛を思い慕われながら、別の女性と関係を持ってしまった現実から逃げようと思い悩む。小説は日本を舞台に南承之という在日朝鮮人を通して人間の存在意味を問い糺す。それも現代史のダイナミズムのなかに意志と責任を翻弄されながら揺れる存在意味だ。
2018_02 11月号の連載第12回の末尾でようやく1950年6月25日、つまり朝鮮戦争勃発の日となる。2号休載して2月号掲載の第13回では、南承之も〈北朝鮮軍が南侵、南北の戦闘が起こったという衝撃的なニュースを〉知る。朝鮮戦争は戦後東アジア史の大きな転換点だ。朝鮮戦争は、不幸にも日本の戦後復興・高度成長の契機にもなった。金石範の連載は、今後朝鮮半島と日本を横断しながら、より日本そして在日する朝鮮に足場を置きながら進むに違いない。南承之の煩悶する姿には、戦後日本の歴史が色濃く反射される。それも済州島との切っても切れない絡み合った蔓のような関係を手繰りながら進むのだろう。個人が歴史とどう向き合うのか問い続ける、それが金石範文学だ。
   *  *  *
 「海の底から」では、済州島で墓を祀ることを許されない李芳根のために碑が建てられるそうだが、おそらく李芳根の名は刻まれないのだろう。16世紀の詩人林悌(イジェ)が黄眞伊(ファンジニ)の墓に捧げた詩が刻まれる、と聞いた。儒教的身分社会である朝鮮時代に身分ある士大夫が、下賤な妓生(キセン)の墓に盃を捧げ詩を読むなどあってはならないことだ。しかし文学とは社会的規範の枠を壊してこそだ。金石範文学しかり。「海の底から」の今後が楽しみだ。

청초(靑草) 우거진 골에 자난다 누웠난다.
홍안(紅顔)을 어디 두고 백골(白骨)만 묻혔난다.
잔(盞) 잡아 권할 이 없으니 그를 슬퍼하노라.

  *  *   *

 1918年5月号に発表された連載を見ると実際には、林悌の詩ではなく黄眞伊の詩を文蘭雪が揮毫して小ぶりな大理石に刻んだものが建てられました。

 

2017年12月 4日 (月)

吉川 良『セ・パ さようならプロ野球』 同成社

階級対立ならぬセ・パ構造から世界を読み解く

Photo パク・ミンギュ『三美スーパースターズ最後のファンクラブ』を読んで思い出したのがこの古い小説。奥付を確認すると1983年12月15日刊。「おしん」の放送された年に『新日本文学』に連載され、すぐに書き足して同成社から出版された。
 47歳の佐々木敏男は、長年勤めた中小企業が吸収合併されるのに腹を立てて退職、妻子とも別れ、運送屋で働いていたが、酒場で知り合った子持ち女記代のアパートに住みついてしまった。そこが川崎だ。仕事も辞めて家事をやる代わりに小遣いを貰っていた。記代の息子正人の同級生には「ヒモ」と陰口を言われる。敏男の唯一の趣味がスポーツ新聞のロッテの記事を切り抜いてスクラップブックに貼り付けることだ。ロッテと言っても現在の千葉ロッテマリーンズではない。川崎に本拠地を置くロッテオリオンズだ。落合、有藤、村田兆治ら有力選手を抱えてはいたが人気は無く、新聞記事も少ない。観客動員数は巨人の5分の1強だった。川崎球場は閑散としていて、ヤジも覇気の無い自チームの選手に対するものが多い。
 この小説、連載が現実と同時代の1983年で、この年、ロッテオリオンズの成績はパシフィックで43勝76敗11分、勝率361でリーグ6位だ。ドラフトにおける新人選手の希望は「在京セ」が主流、パリーグには日が当たらず、その中でチーム改革に力を入れた広岡監督率いる西武ライオンズは明るいほうだったが、ロッテは完全に日陰の身の上だった。
「なんとなく俺にそっくりなんだな。俺はどうみてもセ・リーグじゃないし、チームでいえばロッテだ。…」
 〈俺はセじゃないんだ。パなんだ。セになろうとするのをやめたんだ。〉という敏男の捨て鉢な思考は自虐的にも見えるが、実のところそれだけとも言えす、周縁に対する情に満ちていた。作者の情は韓国に行った広島の福士(張明夫)や台湾出身の三宅宗源にも及ぶ。張明夫は三美スーパースターズで活躍し、パク・ミンギュの小説にも出てくる。敏男がもっとも気にしている選手はまだ二軍にも上がれないテスト生で打撃投手佐藤文彦だ。勝ち馬に乗らない。吉川良の美学が窺える。「日本の国は、巨人が勝っていた方がいいんですよ。いろんな職場で仕事が気分よくはかどる」という世間の声の方が、負け犬根性に思えてくる。
 階級対立ならぬセ・パ構造から世界を読み解くと言っても今は昔だが、〈成功した人間にしか心を許さなくなっているような時代の流れ〉は今も続いていて、しかも現在は成功者二世・三世の時代だ。親のコネで出世した政治家が政治を弄び、コネ入社の無能な上司が東大出の新人社員を苛め殺す。ジャーナリストは政治家に媚びを売ってオコボレを拾い、犯罪さえ隠蔽される。
 吉川良(よしかわ まこと)は1937年生まれだから2017年現在80歳、競馬新聞などにコラムを書く競馬作家だ。しかし元々は純文学作家だった。1978年『自分の戦場』ですばる文学賞受賞後、三度芥川賞候補に上がった。吉川の小説は、『セ・パ』の前年までは集英社で発行されていた。『セ・パ』は商業文芸誌に掲載される内容ではない。野球選手から芸能人までほぼ実名で半ばやっかみ半分で腐されている。ディテールの描写は見事だが、小説としては事実に依拠した表現が多すぎる。純文学作家としての成功よりも書きたいことを書いた感が強い。
 『セ・パ』を出版した同成社は、今は違うが当時は『現代韓国詩人選』『現代韓国小説選』シリーズなどや張斗植、成允植ら在日一世作家の作品を出版する出版社だった。当時としては価値あるマイナーな版元だった。村松武司の詩集も出していた。
 『セ・パ』の後、吉川良は商業文芸誌には戻らない。PHPや競馬新聞には大いに書いた。1999年には『血と知と地』で JRA賞馬事文化賞、ミズノスポーツライター賞優秀賞という、およそ芥川賞からは距離のある栄光を手にしている。
 パク・ミンギュはプロ野球をモチーフとした小説でプロ作家としてデビューしたが、吉川良は同じようにダメな野球チームに寄り添った『セ・パ』で商業文壇から離れて行った。

 仕事をしたい、と敏男はふと思った。しかし仕事につけば、こんな気ままな時間はなくなってしまう。いずれ自由を明け渡さなければならない時がやってくるのだ。その時になってふりかえれば、おそらくこの寒いスタンドに坐っていた自分を、ステージでライトを浴びている役者のような、かがやいた時間として思いだすにちがいない。

 退屈な時間こそ大事だ。人に合わせて働きに働いて人間と言えようか。吉川良は現在インターネット上のJBBA NEWSに「烏森発牧場行き」 http://enjoy.jbis.or.jp/column/yoshikawa/を連載中である。

2017年11月30日 (木)

姜英淑『ライティングクラブ』現代企画室

ダサい町内会のクズな文学サークル

Photo 若き日から文学好きで文学学校や幾つかの読書会、文芸同人誌などに参加してきて、様々な個性の知古を得た。そこそこ名を残した人もいたし、そうでもない人も大勢いた。『ライティングクラブ』という書名を見た時、浦和にあった私営の市民文化センターに借りた埼玉文学学校の教室を思い浮かべた。文学学校の今は健全な集まりだが、以前は二次会の飲み会で独りよがりな議論をぶつけ合うための一次会的な存在だった。二次会にしか参加しない者もいた。それに比べ、イ・チャンドン監督作品「詩」(日本語版タイトル「アグネスの詩」)で主人公のミジャが通った詩の教室は健全だった。では韓国の小説『ライティングクラブ』の教室はどんなものか。
 主人公の母親が始めた綴り方教室は、ソウルの下町に借りた小さな部屋だ。母娘はここで貧しく暮らした。鍾路(ジョンノ)区桂洞(ケドン)は今は人気の観光地だが、その頃は「ダサい桂洞」だった。娘は母親にたいして侮蔑を込めて「キム作家」と呼んでいた。キム作家は無名の雑誌にエッセイ一つ発表しただけの自称作家に過ぎなかったが、「ダサい桂洞」に間借りした部屋で綴り方教室を始めたのだ。最初は子ども相手の作文教室だったのが、だんだん大人も集まる町内会の文学学校のようになる。彼らは酒を飲み、一人前の小説家や詩人のように振る舞って騒ぎ文集まで出す。町内会に文学サークルができるってのは一寸凄い。
 その間に主人公である娘にも色々ある。普通でも思春期だ。ましてや、母親が18歳のときに産み、中学2年生まで田舎の友人に預けられていた娘だ。おとなしい順調な学校生活は望むべくもない。母が文章教室以外に職場を持たないから貧しい。娘も読んだり書いたりすることが大好きなのだったが大学には行けない。自分の食い扶持を得るために高校を卒業したら働く。働き続けて社会に対する疑問を強くする。
 娘はキム作家ではなく本物の小説家に自分の書いた小説を読んで貰う。J作家はなかなか真実のある指導をする。「…人が小説を面白がるのは、きっと小説が人間の生き様に一番似ているからよ。違う?」「あなたの原稿には主義主張しかない。言葉だけなのよ。そんなふうに書いて人を楽しませることができる? あなたの考えを知りたがっている人がいると思う? …」「…でも簡単明瞭な描写の裏に必ず作家の思考、作家の判断が表れていなくてはいけないの。…」
 文学作品を書くことを学んだ者ならば一度は言われたことがあるような議論だが、これは真実であり、しかも書く側にとっては困難な真実だ。
 この母娘に家族はない。韓国の小説には珍しく根っこが描かれない。娘には母しか無いとしても母には母と父や家族があってもいい。娘の友だちには家族があるが、ほぼ崩壊している。姜英淑(カンヨンスの家族観は現代日本に似て政治史が見にくい。
 娘はダサい桂洞から離れてニュージャージーのネイルサロンで働くが、読むことも書くことも止めなかった。そしてここでライティングクラブを始める。集まってきた人々との関係は「書くことを愛する桂洞女性の会」と相似している。
 この小説、最後に大どんでん返しがあるのでストーリーは紹介できない。が、娘が「まったく、こんなクズども見たこともない!」と心で罵った、文才のたいしたことない庶民の姿が微笑ましくなってくる。
 地図を見ながら舞台になったそこここを歩くのも一興だと思うので、これからソウル行の予定を立てる文学好きの方にはお薦めします。

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2017年11月23日 (木)

パク・ミンギュ『三美スーパースターズ最後のファンクラブ』晶文社

「打ちにくいボールは打たない、捕りにくいボールは捕らない」

Photo 『三美スーパースターズ最後のファンクラブ』を読んで、自分の人生を振り返り、良かったかもと思う人にはアタリだ。勝ち組の本ではないからだ。テレビに頻出する何やってるのか分からない「セレブ」のファンたちには難しいかも知れない。
 冒頭から3分の1くらいは冗長だ。100頁ほどで諦めた読者もいるのではなかろうか。韓国仁川の中学生が地元にできたプロ野球チームを応援する話なのだが、韓国野球に興味を持っている日本語読者は少ないだろう。わたしはたまたまだが、1983年に韓国でプロ野球を見に行ったことがある。良く覚えていないが、多分、東大門野球場でMBC青龍 対 OBベアーズの試合だったような気がする。応援するチームではないし、知らない選手ばかりだったので面白い訳がない。
 そもそも日本のプロ野球さえそれほど興味がなかった。それまでに球場に見に行ったのは2回だ。小学生のとき読売巨人軍対東映フライヤーズの二軍の試合を見に行った。ぼくたちは、守備についた巨人の選手に「ホリウチガンバレー」と叫んだ。その選手は「ガキは黙って見てろー!」と怒鳴り返してきた。二軍に落とされ、ピッチャーも外されて外野に回された若者の屈折した感情を、今は理解しようと思うが、それ以来巨人は嫌いだ。
 次は1978年10月4日、友だちに誘われ、ヤクルトスワローズ対中日ドラゴンズ戦を神宮球場に観に行った。この試合でヤクルトは創立29年目で初のリーグ優勝を決めたのだが、外野まで殆どがヤクルトファンの中、ただ一人中日ファンのおじさんが、「中日ガンバレー、来年があるー!」と声を張り上げていた。それなのに外野を守っていた中日の選手に「やかましいー、黙って見てろー!」と怒鳴られていた。その前も後も、中日ドラゴンズに興味を持ったことがない。
 そんなわけで野球選手に親しみを感じたことは殆ど無いが、東北楽天ゴールデンイーグルスが田中将大投手の八面六臂の活躍で優勝するまでは、東北を心の中で応援していた。2004年6月に近鉄バファローズが事実上オリックス・ブルーウェーブに吸収合併され「オリックス・バファローズ」が創設された際に、選手を新規球団「東北楽天ゴールデンイーグルス」と振り分けたのだが、オリックスが先に指名し残りを楽天が貰うという分配ドラフトが行われた。このとき元近鉄の投手岩隈久志はオリックスの指名をが断固拒否した。こういうのをカッコイイと言う。それが理由だ。(今はいちおう埼玉つながりで埼玉西武ライオンズをそっと応援している。)
 『三美スーパースターズ最後のファンクラブ』の主人公たちが野球チームを応援したのは、現実とは違う夢を野球チームに仮託したに違いない。人々は自分の人生を生きることができない。だから人々はその人生をスポーツ選手に「仮託」している。しかしスーパースターズは弱かった。それが良かった。資本主義社会で断片化した人生を「プロ」として生きる幻想を彼ら三美スーパースターズのファンたちは前もって喪失していた。
 これは生き方の小説だ。人生観の小説だ。必死こいて勝ち続ける生き方より、長く退屈な昼と夜を過ごす生き方を読者に指し示している。そうは言っても「そんなわけにはいくかい」と読者は思う。実は作者も思っているに違いない。主人公は家庭の事情もろもろで、一度は一流大学を出てプロのサラリーマンとして生きる道を選ぶ。しかし現実は更に厳しい。電通でパワハラにあって自殺に追い込まれた東大卒女子社員を連想したが、主人公はリストラされる。死ぬ前にクビになって良かった。
 作者の心情が揺らぐので文体も揺れている。無駄も多いし、ちゃちな表現も多々観られる。〈ジャージャー麺には、過去を思い起こさせる不思議な力があった。〉なんていう台詞は『失われた時を求めて』のパロディーなのだろうが、手垢のついた通俗性に満ちている。こういう通俗ぶった表現も多々ある。僕とソンフンは李長鎬監督イ・ボヒ主演のピンク映画「膝と膝の間」を観られなかった。多分残念ではなかったと思う。同じ李長鎬監督イ・ボヒ主演作品なら「馬鹿宣言」の抽象性の方がパク・ミンギュには近しいだろう。ペ・チャンホ監督の「鯨取り」の価値観にはもっと共鳴したに違いない。「膝と膝の間」の低俗には映画史的意味があるのだ。パク・ミンギュはわざわざ低俗趣味を装っている。たまに美しく洗練されたことばが、照れてふざけた説明文の中に入り混じっている。
 この小説は独特のようで、そうでもない。主人公たちが高校生である部分は、懐かしい庄司薫の『赤頭巾ちゃん気をつけて』などに似ている。19歳で出会った彼女との関係は李龍徳の『死にたくなったら電話して』を想起させた。あっさりと書き捨てているのだが、突っ込んで書き進めたら怖い小説になったかも知れない。
 しかし一番似ているのはパク・ミンギュ自身が後に書いた『ピンポン』だろう。僕とソンフンのキャッチボールや、最後のファンクラブとプロ・オールスターズとの試合の場面などは、場面自体が『ピンポン』に引き継がれている。『三美スーパースターズ』の安ぽいメタファーは『ピンポン』ではより巧妙に描かれる。『ピンポン』の習作だったんじゃないかと思わせるほどだ。
 「打ちにくいボールは打たない、捕りにくいボールは捕らない」そんな人生観で生きて行けたら楽だろうな。「一割二分五厘の勝率で生きてきた。」なんて成功した作家が語ったんだったら嫌な奴だが、成功する前に書いたデビュー作だから許してやる。

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2017年11月 7日 (火)

國分功一郎/山崎亮『僕らの社会主義』ちくま新書

政治と芸術を喜びとの関係から考える

Photo 『僕らの社会主義』は、2017度最も注目された哲学書『中動態の世界 意志と責任の考古学』(2017年、医学書院)の著者國分功一郎と、コミュニティーデザインで社会を変えようと「活動」する山崎亮の対談をまとめた本だ。
 『僕らの社会主義』という、どこか島田雅彦の「優しいサヨク」を彷彿させるが、もっとダサくて刺激的な、ほぼ売れそうにないタイトルに騙されてはいけない。旧社会党の復活を祈念した本ではない。社会民主党や共産党を支持するための本でもなさそうだ。
 社会主義=ボルシェビズムという定式に対するアンチテーゼとして出版されたと読んだら、大袈裟だろうか。二人は19世紀イギリス社会主義の父と呼ばれたロバート・オウエンに始まる独特の社会主義思想の流れに注目していた。オウエンやトマス・カーライルからウィリアム・モリスに至る社会主義の流れを再検討したのだ。そこにはプロレアリア独裁を目指した革命政党のものとは異なる思想の潮流があった。モリスが考えたのは、革命ではなく革命後の貧しい平等では更になく、「楽しく働いた結果としての美しい製品に囲まれた生活」だった。モリスの考えは柳宗悦らの民芸運動にも影響を与えた。
 19世紀イギリスの思想潮流から学んだ対談『僕らの社会主義』は「社会の新しいあり方」について考える本なのだ。國分と山崎は人々の生活を豊かにするための「活動」を提唱する。ハンナ・アーレントが『人間の条件』で示した人間の行為「労働」「仕事」「活動」の三つのうちで最も重きを置いた「活動」に倣っている。
 山崎は「楽しさ自給率」という言葉を使う。自分たちで楽しみを生み出す力を高めていくこと。〈みんなスマホでゲームばかりやっている。地域で楽しさが自給できていない状況は、ちょっと寂しいなと思います。地域にある山・河・海・友達・伝統工芸などといった豊かな資源を駆使し、自分たちの力で楽しみを生み出していく。〉楽しさを自分で生み出す力を手に入れれば、物をたくさん持っているかどうかとは別に、人生を楽しくすることができるようになるのではないかと考える。TVマスコミが賞賛する「金持ち」の贅を尽くした裕福な暮らしが愚かしく思えてくる。
 國分は、〈楽しさには革命的な意味がある。社会革命において楽しさというのは非常に重要な要素ですね。〉〈生存することと生きることは同じではない。人は生きていくためにバラを必要とします。つまり尊厳を必要とします。それが徹底的に貶められているのがいまの社会なんですね。〉と語る。
 人間は食うだけでは生きていけない。教養を身に付け、美しさを愛で、芸術に喜びを感じ、楽しい人生を送らなければならない。山崎は豊かな生活の条件として「言葉の復権」を提示する。現代は〈コミュニケーションは過剰だけれども、人が言語を使わなくなっている〉。人と人が話をして繋がっていく、対話して仲間を作り活動することが大事だ。「コミュニティーデザイン」とは地域計画に市民が物申すことであり、地域の人たちとともに公共建築のデザインを考え、更に地域の活動や事業に参加していこうという多層的な活動を言わなければならない。
 山崎は大学教員でありながら、この本の制作過程で社会福祉の勉強をし、社会福祉士の資格を得た。社会福祉を通じて、活動を楽しむ人と能動的に振る舞えない人ともつなげていく、そんな活動を目指して実践している。
〈政府が目指しているのは、どうしたら株価を上げられるかということと、どうしたら国民の社会保障や教育にお金を使わずにすむかということです。〉そんなところから幸せなど作り出せる訳がない。『僕らの社会主義』は、政治と芸術を喜びとの関係から考え、社会主義思想の流れから有益な要素を取り入れようという意欲的な対談だった。
 それにしても、 ハン・ガン『ギリシャ語の時間』を読んでいなければ、おそらく『中動態の世界』を読んでいなかったろうし、『僕らの社会主義』にも辿り着かなかったと思う。この本で覚えたコミュニティーデザインという言葉もしばらくは知らないままだったに違いない。読書は連続して広がっていく。一冊では完結しない。だから次々と楽しさが湧いてくる。これをブログに上げるのも楽しいし、文学学校や読書会などの集まりで紹介するのもまた楽しい。これもアーレントの言う「活動action」であるに違いない。

2017年10月30日 (月)

ハン・ガン『ギリシャ語の時間』(晶文社)

静寂の中にとしての言葉は存立しうるか

Photo 男はカルチャースクールのギリシャ語講師、女は受講生だ。ギリシャ語といっても古典ギリシャ語だ。
 男は14歳で韓国を離れドイツで17年間を過ごした。将来の失明が宣告されていた男は家族の暮らすドイツから離れ、一人で母国語が話せる場所に帰った。ドイツで学んだギリシャ哲学の学位など韓国では役に立たなかったが、カルチャースクールで古典ギリシャ語の初級とプラトンの原書講読を教えていた。男は自分の人生と言語と文化は真っ二つに割れてしまっている、と考えている。男は度のきつい眼鏡をかけてはいたが、それでもよく見えなかった。日が暮れると急激に視力が落ちる。
 女は去年の晩春まで大学と芸術高校で文学を教えていた。黒板に向かったまま「あれ」がきた。原因はない。女は幼い頃から賢く、三歳のときに自分一人でハングルを身につけた。彼女は賢かったが成績は特別ではなく目立たない学生だった。〈彼女は空間を占有することが嫌だったのだ。〉〈彼女は自分の存在を遠くまで広げたくなかった。〉16歳の冬に「あれ」が来た。〈彼女はもはや言語で考えることをしなかった。言語なしで動き、言語なしで理解した。〉
 女は高校でフランス語を選択することによって、ふと言葉を取り戻した。学校を卒業し、働き、結婚して子どもを産んだ。しかし女は離婚して子どもも夫に連れて行かれた。女は20年ぶりに言葉を失った。言葉を失った女を襲ったのは死後のような静寂だった。20年前、よそよそしい外国語によって沈黙を打ち破った女は、こんどは自分の意志で言語を取り戻すために古典ギリシャ語の教室に通った。が、彼女は授業中に話しかけられてもまったく話さない。
 この小説の男は視力を失いつつあり、女は言葉を失い言語で考えない。──女の意志はどこにあるのだろうか?
 彼女は見るだけで、見たものの一切を言語に翻訳しない。──そんな状態で思考できるのだろうか?
 女は彼女の持つ言語では言い表せない世界を表現する言葉を獲得したいと願っている。

 数えきれない舌によって、また数えきれないペンによって何千年もの間、ぼろぼろになるまで酷使されてきた言語というもの。彼女自身もまた舌とペンによって酷使し続けてきた、言語というもの。一つの文章を書きはじめようとするたびに、古い心臓を彼女は感じる。ぼろぼろの、つぎをあてられ、繕われ、干からびた、無表情な心臓。そうであればあるほどいっそう力をこめて、言葉たちを強く握りしめてきたのだった。

 この美しい小説を読み解く鍵になる言葉は「中動態」だ。ギリシャ語講師である男は言う。〈古典ギリシャ語には受動態でも能動態でもない第三の態がある〉〈私たちが中動態と呼んでいるこの態は、主語に再帰的に影響を及ぼす行為を表します。〉
 國分功一郎『中動態の世界 
意志と責任の考古学(2017年、医学書院)は、小林秀雄賞を受賞して話題になったので読んだ人も少なくないと思う。翻訳した斎藤真理子の適切な「訳者あとがき」でも紹介されている。現代人が「能動態」と「受動態」の対立として描いているパースペクティヴの外側に「中動態」があり、かつては能動態と中動態が対立していたと言う。行為とは、能動のようでも必ずしも意志的でなく、受動のようでありながら意志的な側面を合わせ持つ。國分はアリストテレスやプラトンを中動態の理解の上で読み、ハンナ・アーレントの哲学解釈にまで至らせる。
 カズオ・イシグロの小説がそうであるように人間の行為は、個人の意志を超えて推移する。責任はどこのあるのか判然としない
(もちろん政治的には、その段階毎に法によって指示される社会規範は必須だ)。『ギリシャ語の時間』の二人の主人公は視力を失い、また言葉を失っている。彼らは思うように行為できない。大きく制約を受けている。だからといって意志的でないとも言えないし選択的人生を歩んでいないとも言えない。人は理解しているようで理解しない。和解を目指して和解しない。だからといって視力を失いつつある男と、言葉を失った女に表象されるものが不幸とは言えない。むしろそこには何ものか光がさしているとも言えるのではないだろうか。

   完全に自由になれないということは、完全に強制された状態にも陥らないということである。中動態の世界を生きるとはおそらくそういうことだ。
                        (國分功一郎『中動態の世界』)

 作者ハン・ガンは1970年生まれ。『菜食主義者』で2016年マン・ブッカー国際賞を受賞。日本語訳は他に『少年が来る』がある。

*國分功一郎と山崎亮の共著『僕らの社会主義』についても記事あります。

2017年10月12日 (木)

キム・ハギ『完全なる再会』(1993年、影書房)

同調圧力と「長いものには巻かれろ」

Photo_2 10月11日夕刻、沖縄東村高江の民間の牧草地に米軍普天間飛行場所属のCH53大型ヘリコプターが墜落炎上した。CH53は2004年にも沖縄国際大の建物に墜落する事故を起こしている。またオスプレイも昨年12月に名護市の浅瀬に墜落大破するなど米軍機による事故が続出している。
 辺見庸と目取真俊の対談『沖縄と国家』
(2017年、角川新書)で作家目取真俊は尋常ならざる怒りを表出している。目取真は、沖縄辺野古基地反対運動に体をはっている。現場で警察や右翼の暴力に晒されながら闘ってこそ本物で、机上やインターネットでの上品な運動なんかニセモノだと怒鳴りたいのに違いない。
 民主主義は多大な犠牲の上に獲得される。キム・ハギの中短篇集『完全なる再会』は民主主義の土台となった人々の物語だ。収録された作品の登場人物の殆どは獄中の人々とその家族等だ。
 作者キム・ハギは1958年生まれ。1980年に逮捕され、過酷な取り調べを受けた後釈放され、軍隊に強制徴集されたが、歩哨に立っている夜に逃亡した。一週間後に逮捕され、1982年に特別舎棟に収監された。キム・ハギはそこで長期服役囚たちに出会う。長期服役囚というのは朝鮮戦争以前のパルチザン経験者や、その後北朝鮮から越南して捕まったスパイも含まれる政治囚たちだ。
 キム・ハギは1988年に釈放されるとすぐに創作活動を始め、1989年『創作と批評』に発表した「生きている墓」で第一回林秀卿統一文学賞を受賞した。「生きている墓」は非転向の政治犯長期囚たちが収容されている特別舎棟の日常を描いている。彼ら政治犯は、一切の私語が許されない特舎でモールス信号を使って連絡しあい、看守やその手先として暴力を振るう「もち棒」と呼ばれる凶悪犯らと果敢に闘っている。彼らは当然収監前の拷問で身体を痛めているが、もち棒たちによって更なる暴力を見舞われる。
 登場する囚人たちは実際の長期囚たちをモデルとしている。例えば、1961年朴正煕の軍事クーデター後の韓国に、軍の主要実権者の一人となった実の叔父を説得するために北から越南した「崔海鍾
(チェ・ヘジョン)」は実在した長期囚「崔夏鍾(チェ・ハジョン)」さんだ。崔夏鍾さんは徐勝(ソ・スン)『獄中十九年』(岩波新書)にも出てくる。
 「生きている墓」の他、「完全なる再会」「初雪が降る日」「根を下ろす」などは特舎内の長期政治囚たちとその背景を描き、同時に信念を持っていないのに特舎に入れられた主人公のある種の覚醒をも表出している。
 例えば、「初雪が降る日」では、無知ゆえに逮捕された李元基
(イ・ウォンギ)は非転向長期囚が収監される特舎に入れられてしまう。初めはアカを嫌っていた元基だが、同郷の李相雨(イ・サンウ)老人と話しているうちに、真実に目覚めていき断食闘争に参加するまでになる。
 「根を下ろす」の主人公金斗赫
(キ・ドゥヒョク)は学生運動の首謀者だったが彼女と別れて厭世的になっている。彼は裏切った仲間や世間に絶望し、特赦の静かな空間で平安を味わっていたが、腰の曲がった非転向長期囚朴仲麟(パ・チュンニン)の奇行に惹かれ言葉を交わしていくうちに闘う希望を感じ始める。
 特舎には、日本帝国主義と闘ったパルチザンから連綿と繋がったきて、今なお隔離され押し込まれた空間で自由と民主主義のためにあらゆる暴力に耐えながら非転向を貫く人々の歴史が生きていた。信念は、時には家族をも犠牲にする。常に後悔と挫折が繰り返される。
 彼らは〈牛の毛よりも多い日々を信念と悔恨、終わりのない挫折と希望の中で支えあってきた同志たちであった。〉(「ある囚人のいい朝」)
 「労役場」の舞台は特舎ではなく一般の懲役囚が働く現場だ。主人公の金英培
(キ・ヨンベ)は、アカと間違われて捕らえられ、男根に電極を突っ込まれる拷問を受け、苦しみから逃れるため嘘の自供をしてしまった。自供させてしまった以上、人違いと分かっても釈放できなくなってしまい、英培は懲役刑に処せられる。
 印刷工場で働くことになった英培だったが、そこでは政治囚と一般の犯罪囚が徐々に対立していき、権力への媚びと金と暴力で支配された社会が形成されていった。
 労役場は、一見、すべてが平等で自給自足の経済体制のように見えるが、資本の法則が徹底的に貫かれている。看守と在所者というふたつの階級があり、看守は暴力で支配し奪い、囚人たちは圧倒的に多数であるにもかかわらず、踏みつけられ、括られて、どうすることもできない。その上、凶暴な殺人犯らの収奪が許されている。アカを憎んでいた英培だったが、刑務所暮らしのなかで知りあった千老人に深く影響されていく。

  千老人は、真実は知識があって偉そうにしている少数にあるのではなく、貧しくて無学で騒々しい多数にあると言っていた。収奪する者ではなく、収奪されている者にあるのであって、監禁する者じゃなくて、つかまっている者にあるというのであった。

 「ヘミ──海に濃くかかった霧」では、解放前から培った思想と信念を持った伯父を匿ったことが密告されて家族は拷問されたあげく死刑や懲役にされてしまう。〈どこでも密告者は一等功臣で、伯父さんのような人は強姦殺人犯よりもっと悪い罪人として取り扱われるのである。〉
 キム・ハギは自身の学生運動や強制徴集からの脱走、獄での生の経験を書いた。取り調べという名のあらゆる拷問や、監獄での暴力に耐えて守った連帯を描き、家族の苦渋に対する悔恨や、裏切られたという思いまでが希望に生まれ変わる、そんな小説を書きたかったのだろう。
 獄の中というのはアベノミクスに蝕まれた日本社会と似ている。同調圧力に屈し「長いものには巻かれろ」精神で少ないオコボレ欲しさに友人や同僚を裏切り、敵を作って憂さ晴らしの暴力を振るう。弱い者を差別し、権力者や富者に媚びる。我々が民主主義を闘いとるためには、何度も敗北し多くの苦渋を飲まなければならないのだろう。
 翻訳した李哲は、1975年に国家保安法で死刑宣告をされ13年服役した人だ。こなれた翻訳とは言えないが、感情が肉体化した共感がある。

2017年9月30日 (土)

韓国映画を中心とした映画評

文学と映画行ったり来たり第1回~第11回
http://kghayashi.cocolog-nifty.com/blog/2013/09/post-3648.html

馬鹿宣言
http://kghayashi.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/13-9e7b.html

海角七号/春が来れば/私の小さなピアニスト
http://kghayashi.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/post-bb55.html

ハピネス/母なる証明
http://kghayashi.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/post-b09e.html

冬の小鳥 私を離さないで 
http://kghayashi.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/15-f7b6.html

闇の子どもたち/わたしの中のあなた/わたしを離さないで
http://kghayashi.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/post-a460.html

(日本語タイトル「アグネスの詩」)
http://kghayashi.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/post-b401.html

道―白磁の人― 
http://kghayashi.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-df31.html

明日、ママがいない/バービー 
http://kghayashi.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-4694.html

2017年9月10日 (日)

金石範 「消された孤独」 『すばる』10月

作家精神の習作期を問う

Photo 金石範(キの新作「消された孤独」は作者習作期を検証した作品と言える。
 主人公のKは90歳を過ぎた作家で若き日に屋台を引いていた経験を思い出している。K像はむろん作者である金石範自身と重なるが、金石範が屋台の飲み屋だった実像は作家梁石日も書いている。
〈鶴橋駅前で屋台のホルモン焼きの一杯飲み屋をしていた金石範さんを、若い私はときどき訪ねて飲んでいた。〉
(講談社現代新書『修羅を生きる』1995年)
 金石範は屋台の話を小説に書いているが、小説が先で屋台を引いた事実は後に起こっている。「消された孤独」のなかで作家Kが自らの習作期を回想している作品を、整理して羅列してみると以下のようになる。なお小説中の〈非同人の同人誌〉というのは事実としては『文藝首都』のことだ。

1953年「夜なきそば」を在日朝鮮人文学会『文学報』に発表
1958年「これから」を『文藝首都』11月号に発表。
1957年「看守朴書房」を『文藝首都』8月号に発表。
1957年「鴉の死」を『文藝首都』12月号に発表。
1960年12月~3月、鶴橋駅前で屋台の飲み屋をしていた。
1974年「夜の声」を『文藝』4月号に発表、同年7月『詐欺師』(講談社)に収録
1984年エッセイ「どん底」を『すばる』3月号に発表。1993年7月『転向と親日派』(岩波書店)に収録
1993年「炸裂する闇」を『すばる』9月号に発表。1996年6月『地の影』に収録。

 金石範を作家たらしめた作品は「鴉の死」である。「夜なきそば」「これから」は習作という扱いが妥当だ。完成形が「夜の声」ということになる。

  Kは九十年の生涯で、もっとも精神的、存在の重心が溶け落ちて崩壊した時期は仙台時代だったと感じている。それは生活の敗北、自分自身とのたたかいの敗北の時代だったと、いまも考える。……Kの人生の途上の屋台「どん底」は一種の衒いだとエッセイに書いたように、それは真のどん底ではなかった。

 1951年、20代半ばのKは「民戦」組織関係の仕事をしながら文化協会を設立、機関誌を発行していたが、日本共産党を離党して大阪からも離れて、仙台に移り、北朝鮮関係の地下組織に潜り込む。しかしそこでの生活に馴染めず神経症を患い脱落、敗北感を味わう。仙台からも去ったKは3年後、すれ違いに仙台の組織に入った友人の自殺を知る。この辺りは「炸裂する闇」に詳しく描かれている。
 金石範は東京で数年の間、平和団体機関紙の仕事などをしていた。『金石範作品集』
(2005年10月 平凡社)の年譜によるとこの頃金泰生(キテセン)に出会っている。後に同人でないのに『文藝首都』に作品を発表するようになったのは同人であった金泰生と無関係ではなかろう。
 1955年大阪に戻った金石範は、以後工場労働などで生計を立てながら、「看守朴書房」や「鴉の死」などの小説を執筆していた。その後に屋台「どん底」の数ヶ月が、本当のどん底ではない衒いとして挟まる。Kは結局酒を売るより友人等と飲み尽くしてしまう。諦めて屋台を売った代金まで皆で使ってしまった。
 しかし金石範のニヒリズムは、韓国へ「帰国」して李承晩政権を倒す革命闘争に参加の約束を果たせぬまま日本に居すわり続けた戦後すぐの時期から始まる。そして日本共産党と北朝鮮系組織からも脱落して闇を深める。屋台「どん底」の時期は貧しかったに違いないが精神的には底辺ではなかった。梁石日は先の本で〈側にはいつも美しい奥さんが生まれて間もない子供を背負って手伝っていた。手伝っていたというより監視していたのかもしてない。というのも酒好きの金石範さんが酒を飲んで仕事を放棄するのではないかと心配していたからだ。〉と微笑ましいエピソードを続けている。
 1948年に遠縁の叔父の妻ともう一人の女性を迎えに対馬に行き、済州島四・三事件の惨劇を知る。「消された孤独」に描かれたこのくだりは1981年5月『文学的立場』第3号に発表された「乳房のない女」と重複する。この経験が金石範をして済州島四・三事件を生涯のテーマとさせるきっかけになった。KがY女から聞いた白いタオルの話は「看守朴書房」などのモチーフになっている。
 Kは生活のどん底に根ざしながら、生活とは異次元の小説「鴉の死」に到達する。書くことによってこそKは深いニヒリズムから抜け出し生きた。老年になって過去の地平の一点を見つめ直したのだ。
 金石範は全七巻の長編『火山島』
(1997年9月 文藝春秋、後に岩波書店オンデマンドで復刊)の続編『地底の太陽』(2006年11月 集英社)の更に続編「海の底から」を雑誌『世界』に連載中だ。「消された孤独」は老作家が自己の今後を励ますための作品であるような気がする。

*『文藝首都』は保高徳蔵が主宰した同人誌で、戦前戦後に渡って北杜夫、佐藤愛子、中上健次など多くの有名作家を輩出し、張赫宙、金史良、金達寿、金泰生など朝鮮人作家も多く参加した。保高みさ子『果実の森』(1978年 中公文庫)、なだいなだ『しおれし花飾りのごとく』(1981年 集英社文庫)などのモチーフになっている。

2017年8月 7日 (月)

朴婉緒『あの山は、本当にそこにあったのだろうか』

朝鮮戦争の時代を生きた青春の足跡

朴婉緒『あの山は、本当にそこにあったのだろうか』(橋下智保訳、かんよう出版)

Photo_2 朴婉緒という名を聞けば、私が思い出すのはペ・チャンホ監督映画「その年の冬は暖かかった」だ。朝鮮戦争で離れ離れになった幼い姉妹。姉は裕福な家庭に育ち、結婚後もベトナム戦争需要で更に金持ちになる。妹は孤児院で育ち、結婚後も貧しく生きるが、夫はベトナム戦争に従軍して片足を失う。この妹をイ・ミスク、その夫を国民俳優アン・ソンギが演じた。因みにイ・ミスクはこの映画で大鐘女優主演賞を受賞した。伝説的名作映画「鯨とり」でもアン・ソンギと共演している。
 さて、1931年生まれの朴婉緒にとって光復は14歳、朝鮮戦争の開始は19歳のときだった。戦争と動乱のなかに青春期を送り、人間の生きる意味を見つめ続けた。『あの山は、本当にそこにあったのだろうか』は朝鮮戦争の最中、南進する人民軍に追われ韓国軍が敗走した後、ソウルに取り残された家族の物語だ。同時にこれは作者の自伝的小説でもあり、主人公の「私」は朴婉緒自身と思っても差し支えない。
 私は人民軍統治下のソウルの人民委員会で働いていた。人民軍の後退に伴って私と義姉とその赤ん坊は家族と別れて北へ同行させられるところを逃げだす。二人と幼子は逃避行の途中、クロン峠の虎婆さんと呼ばれる気性が激しい女主人に助けられ、交河(キョハ)村というところへ行って情勢が落ち着くのを待った。交河は二つの河が交わる平地で、隠れにくく逃げるのも厄介で、戦場としてはふさわしくないが田んぼが多く食物が豊かで人情が厚い。戦闘も爆撃も掃討戦もない地だった。昔から戦乱のさなかに避難民たちが集まる村だ。映画「トンマッコルへようこそ」を思い出す。トンマッコルは韓国軍、人民軍、米軍兵士までが共存するユートピアだった。交河はユートピアではないが、悲惨さしか伝わってこない朝鮮戦争時に、蟹を捕る子どもたちの姿が描かれたり、助け合って生きた大らかさにホッとした。まさにどこにでもどんなときにも生活はあったのだ。
 ソウルに戻った私は郷土防衛隊の隊員にさせられる。戦線情勢の変化に右往左往し、再会した家族ともまた分かれたり、負傷していた兄も失ってしまう。それでも母も叔父も義姉も逞しく生きていく。私はPXで働くことになるがそこで出会った人々もメチャメチャ生き強い。特に女性の芯の強さが生き生きと描かれる。アルファベットも知らないのに英語がぺらぺらのティナ金はいつも私の相談役で庇護者でもある。彼女はPXの総責任者であるキャノンと自分の家庭とのあいだにあって複雑な関係の持ち主だ。単純では無い米軍政下の韓国人女性のあり方が、卑屈ではなく明るく描かれた。
 主人公自身についても、母娘の葛藤あり、恋愛あり、20歳前後の若者なら通過すべき儀礼は内戦下でもなくならない。人生はどんなに過酷な状況下にも存在する。朴婉緒が描いたのは朝鮮戦争の状況でも残虐でもなく、戦時下に生きた人間の有様だったのだ。どんな時代でも生きる意味はあるのだ、どんな人間でも生きる価値はあるのだと思わせてくれる。世の中そんなに酷い奴らばかりでもなさそうだ。
 じつはこの小説は朴婉緒の自伝的小説3部作中第2作で、第1部『あんなにたくさんあったシンアは誰が食べたのか』は『新女性を生きよ』というイマイチな日本語タイトルで既に梨の木舎から1999年に出版されている。第3部は翻訳されていない。長編では他に『慟哭 神よ、答えたまえ』(かんよう出版、2014年)などが翻訳されている。短篇・中篇も、「この世に最も重い義歯」(李丞玉訳『現代韓国小説選』同成社、1978年)、「盗まれた貧しさ」(「韓国文芸」編集部訳『韓国現代文学13人集』新潮社、1981年)、「空港で出会った人」(三枝壽勝訳『韓国短篇小説選』岩波書店、1988年)、「母さんの杭」(山田佳子訳『現代韓国短篇選 下』岩波書店、2002年)などがある。

2017年7月28日 (金)

剥製になった天才を考える 補遺

金秉斗さんのことなど
                        ──『吟醸掌篇』Vol.2 補遺

 『吟醸掌篇』Vol.2に自分勝手に選んだ「朝鮮文学の短篇三点」について書かせて貰った。李箱「翼」、韓雪野「泥濘」、表文台「合格者」の3点で、題して「剥製になった天才を考える」とした。その際作者についても簡単に紹介させて頂いた。しかし翻訳者に関しては名前だけに止めるしかなかった。このさい翻訳者についても少し紹介しておきたい。
 表文台(ピョ・ムンテ)「合格者」を翻訳した金秉斗(キム・ビョンドゥ)は、私にとっては朝鮮語の二人目の師であった。
 金秉斗は1934年生まれ。東京朝鮮中級学校教員や「朝鮮時報」「朝鮮新報」記者、朝鮮画報社の「今日の朝鮮」編集部長などを歴任し、その間1972年には南北朝鮮赤十字会談に在日記者団の一員として同行、平壌・ソウルで取材する機会を得ている。また宋恵媛(ソン・ヘウォン)『「在日朝鮮人文学史」のために──声なき声のポリフォニー』によると、1960年代に在日本朝鮮文学芸術家同盟機関誌『文学芸術』などに「意地っ張り」「年取った学生」などの朝鮮語小説を発表している。日本語でも短篇小説を発表したことがあると記憶するが、資料が見つからない。済州島から日本へ密航する船の中を描いた「地獄船」といったようなタイトルだったと思う。
 私の知っている金秉斗さんは1980年代、月刊『記録』に「飛揚(ピヤン)」のペンネームで白基院、高銀、李陸史などの詩・エッセイなどを翻訳していた。飛揚とは済州島の西北済州市翰林邑に浮かぶ小さな火山島である飛揚島からとった名で、金秉斗さんの出身地だということだった。
 金秉斗さんを知ったのはシアレヒム語がく(楽)塾だった。シアレヒム語がく(楽)塾は『ある韓国人の心』(1972年 朝日新聞社)などの著者鄭敬謨が主催するシアレヒム社が韓国問題を主題とする専門誌『シアレヒム』発行するかたわら、韓国語を学んだり韓国の音楽を楽しんだりする場で、韓国語クラスのほか合唱部などもあった。金秉斗は前任の金学鉉が辞めたあとの講師だった。金秉斗クラスの参加者は私を含めてそれほど勉強に熱心ではなかったが、それぞれユニークな面々であった。牧師志望の男性、韓国で囚われる政治犯の釈放運動に参加している女子大生、貿易会社で通訳をしているマジシャン、ピアニスト、銀行員、その外老若男女だった。
 私は初めて参加した日から渋谷の沖縄料理店での二次会に参加し、個性的な面々と朝まで濃い時間を共有した。これが毎週続くのだが韓国語はいっこうに上達しない。授業の無い日でも何かと理由を付けては集まり、上野の朝鮮料理屋で密造酒を嗜んだりした。合宿もしたがだいたい飲んでいて、二日目は朝からビールだった。議論はしたが勉強した記憶がない。
 金秉斗は主催者と仲違いしてシアレヒム社を去ったが、その後エディタースクールなどでも朝鮮語を教えた。私はエディタースクール参加者の自主勉強会や、中野の飲み屋の二階で開かれた別の勉強会などでも金秉斗と付き合っていた。この頃に表文台の別の作品「天国に向かう道」の原文講読もした。金秉斗さんとの付き合いがなければ表文台を知ることもなかったに違いない。
 それに金秉斗さんが兄のように慕っていた作家金泰生は、埼玉文学学校のチューターとしても私は知っていた。金泰生の死後、私は金秉斗の推薦によって『記録』誌に「解題金泰生・生と死の文学」を4回に渡って書いた。これは後に『在日朝鮮人日本語文学論』(1991年 新幹社)に収めた。
 金秉斗さんと何時しか会わなくなり暫くして、癌の治療で髪の抜けた彼と行き会ったことがある。その後また暫くして亡くなったと伝えられた。この人については公表できない逸話も少々ある。
 李箱「翼」、韓雪野「泥濘」の翻訳者である長璋吉(ちょう しょうきち)は、1968年末から1970年初めまで韓国留学した戦後韓国留学の先駆者で、東京外国語大学で朝鮮語の教員だった。私の最初の朝鮮語師匠であった大村益夫らと1970年代に朝鮮文学の会の活動をしていた。朝鮮文学の会の機関誌『朝鮮文学──紹介と研究──』に留学の経験を連載し、後に『私の朝鮮語小辞典』(1973年 北洋社、1985年 河出文庫)としてまとめている。長璋吉のエッセイはユーモラスで親しみやすく、この本を読んで朝鮮語の勉強を始めた人もけっこういるようだ。韓国在住の作家である戸田郁子もいつも読んでいたと回想している。長璋吉の著書には他に『韓国小説を読む』(1977年 草思社)、『朝鮮・言葉・人間』(1989年 河出書房新社)などがあり、翻訳も金宇鍾『韓国現代小説史』(1975年龍渓書舎)などがある。因みに韓国で出会った女性と結婚したことを「もらいつけない女房なんぞというものをかの地にもらって気もそぞろだったのではあるまいかと邪推」されている(『朝鮮文学──紹介と研究──』第5号、1971年12月)と書いている。そうとう冷やかされたに違いない。長命であったなら今日の朝鮮文学研究、韓国文学紹介の第一人者であったはずだが、1988年に47歳という若さで他界した。
 『吟醸掌篇』では、李箱の翻訳者としてもう一人崔真碩(チェ・ジンソク)をあげた。それには理由がある。李箱の翻訳は外にも数人・数点あるが、私の知る限り崔真碩編訳『李箱作品集成』(2006年 作品社)がもっとも新しい。崔真碩は李箱研究の第一人者であり、難解な李箱文学の理解者である。李箱を読み解く上で崔の論考は必須と考えたからだ。

2017年6月26日 (月)

パク・ミンギュ『ピンポン』

世界に「あちゃー」されたモアイ

パク・ミンギュ
(斎藤真理子訳)『ピンポン』白水社

Photo 自民党の豊田真由子議員が自分の政策秘書に暴言を浴びせた上暴行までしていた。運転中の秘書の顔を後ろから殴りつけるなど尋常ではない。パワハラを超え暴行罪だ。より大きな権力を持つものが下位の者をいたぶる。テレビでは心理学者が、サディスティックパーソナリティー症候群の可能性があると言っていた。相手が痛がり苦しむ姿を見て、自分が上位にいることを確認して喜ぶのだそうだ。政治家の社会に限らず、そんな奴はどこにでもいる。彼らは上位者には従順だ。
 慶応大学や千葉大学の学生が犯した、酔わせて抵抗出来なくなった女子学生に輪姦するという「準強姦」も最近のことだ。ジャーナリスト山口敬之が女性を強姦したと訴えられた事件も、酒に混入した薬物で抵抗できなくなった女性に対するものである可能性が高い。山口はアベ政権を擁護する論陣を張りアベ総理を讃える本を出版している。そうした功績が影響したのか不起訴になったため、被害者女性が顔を出して記者会見した。
 孔枝泳『トガニ』は、障害者に対する施設経営者の暴行と町ぐるみの隠蔽との闘いを描いた。木村友祐『野良ビトたちの燃え上がる肖像』では、社会から締め出され追い詰められた河川敷に暮らすホームレスたちの姿が描かれた。
 韓国の鬼才パク・ミンギュの小説『ピンポン』のモチーフはいじめられっ子だった。
 『ピンポン』は二人のいじめられ中学生「釘」と「モアイ」の物語だ。常に釘のように叩かれ頭蓋骨に罅が入ったことさえある釘。暴力を振るわれても逆らわず無表情なモアイ。二人は学校の不良チスと子分たちに殴られることによって、従属している。釘は、いつチスに呼び出されるかびくびくしている。チスにとってモアイは資金源で釘はパシリだ。チスたちのイジメは凄惨だ。グループの全員に犯され援助交際で稼がされていたマリは10階から落ちて死ぬ。釘はチスを殺したいほど憎みながら、マリを薄汚いものとして毛嫌いしている。モアイは達観している。地球が滅べば良いと思ってさえいる。読者から見れば二人は諦念に取り憑かれた敗者でさえある。しかし諦めて社会に従順なのは、イジメを傍観する中学生たちや学校そのものも、また世代を超えて社会も同じだ。
 いつもの原っぱでさんざん殴られたあとで、二人の前に突如として卓球台が現れる。そして釘とモアイは卓球を始める。卓球用具店の主人セクラテンは「自分のラケットを持つということはね、いってみれば初めて自分の意見を持つってことなんだよ。」と言う。

   卓球はね、
 
   原始宇宙の生成原理なんだ。今や卓球が残っているのはここ地球だけだ。よそはどこでも、「結果」による「結果」を目指して進行するようになって久しいが、ここでは……まだそこまで行っていない。だから人類はまだ卓球をしているのさ。結果をだせなかったのは人類だけなんだから。

 世界に「あちゃー」された釘とモアイの人類を賭けた卓球が始まる。相手は唯々生存のために本能でレシーブする鳥とネズミだ。二人は助っ人に選んだ歴史上の偉人ラインホルト・メスナーとマルコムXの後を継いでラケットを振り続ける。鳥とネズミはどんな玉でもひたすら正確に返してくる。退屈なラリーが何日も続く。
 たぶんそういうことに意味があるんだろうなと思う。ひたすら卓球ラケットを振り続けることに。なぜならそれは反従属だからだ。
 マリーナ・アブラモヴィッチのパフォーマンスRhythm 0(リズム0)は、人間は抵抗されないという条件の下では、他人を非人間的に扱い簡単に傷つけることを示した。パク・ミンギュの指し示した社会とは、そういう世界だ。パク・ミンギュは、同時に存在する別次元の世界「卓球界」も差し出した。ラケットは作家にとっての言葉なのだと思う。
 豊田真由子の秘書はついに豊田の暴言を録音して晒すという抵抗を見せた。文部科学省の元次官は黙っていなかった。アベ政権と親しいジャーナリストに強姦された性被害女性は必死の覚悟で記者会見に臨んだ。
 しかし世界に「あちゃー」された釘とモアイの、行く末は未だ見えてこない。

2017年6月21日 (水)

小沢信男『私のつづりかた』

小沢信男『私のつづりかた─銀座育ちのいま・むかし(筑摩書房)
の感想にかこつけて

Photo もはや戦後72年と言ってもぴんとこない。むしろ戦前の匂いさえする。思い返せば1995年戦後50年は豊かだった。その年、松本昌次・簾内敬司編集で「戦後50年の真の意味を問う!」とうたった『さまざまな戦後』全3巻が日本経済評論社から発行された。森崎和江、富森菊枝、松下竜一らそうそうたる執筆陣のなかに私の名も加えて貰えた。少しは期待されていたのだと、今になってつくづく思う。
 小沢信男さんは『週刊金曜日』
(1995年11月24日)に書評を書き、「日本へきて五十余年楽しい年とてなかったが、最も楽しかった一日だけをあげるならあの八月十五日だ、という金泰生の言葉を、林氏は生まれる前の地雷として踏むのである。」と私の駄文を批評してくれた。比喩文の隠然たる力で、私は足下の地雷を意識させられた。
 小沢信男は1927年生まれ、泰明小学校卒、銀座っこだ。父親が銀座でハイヤー会社を経営し妻と三男二女を養っていたそうな。その父上が幼い信男少年の作文を綴じて、図画とともにとっておいた。それをご本人がまた後生大事に保存していたから残ったのだろう。今年90歳の小沢さんが小学生のときの自らの作文と絵をネタに昔の東京を振り返り、芸術新聞社のWeb頁に連載した。それをまとめて上梓したのが『私のつづり方』である。これは大事な資料だ。生活資料、庶民史の資料としてもそうだが、散歩の達人にして名文家小沢信男の「つづりかた」だ。そりゃしがない端くれでも、もの書きの末端に連なる身として興味が湧かない訳がない。
 郵便制度の確立に伴う手紙文エクリチュールが近代文学誕生に必要な要素の一つだったということは、金哲『植民地の腹話術師たち』(2017年、平凡社)
 に教えられたのだったが、近代的学校制度の確立も近代文学と密接に関係していたのだろうなと思わずにいられない。
〈言葉ないし文字という道具は、しょせん貝殻で海の水を掬うようなことだろうか。〉小学2年生だった自分の作文を読み直して小沢さんはこんな感想を述べている。ジュンパ・ラヒリだって〈適切な言葉を見つけ、最終的にいちばんぴったりで説得力のある言葉を選ぶこと〉
(『べつの言葉で』2015年、新潮社)が、もの書く仕事の核心だと言っている。おそらく、アメリカの英語作家だったラヒリがイタリア語で書く新鮮と発見と辛さは、小学2年生の小沢信男少年と似ていたに違いない。
 少年小沢信男が、たとえ与えられた課題だったとしても、語彙をさがしてつづりかたに向き合っていた1930年代は、読んでいる限り、現代と違ってのんびりな風情だが、妙に今と似ているところがあって危うい。
 日米友好親善人形の奇妙さ、鎌倉に遊んだ花火大会、歌唱大会の華やかさと、美濃部達吉『天皇機関説』発禁のバランスの気持ち悪さ。これは老人小沢信男の知性だ。少年小沢信男の慰問文はつまらない。戦地への慰問文にありきたりのことしか書けないのは致し方なかったようだ。こうなると文学も滅ぶ。2年生の小沢信男少年は軍楽隊の歓迎送に動員され作文を書いた。折々天皇行幸などにも動員されたようだ。銀座の小学校から赤坂見附の角まで遠出して並ばされたこともあったと書いているが、私の母はこういったことは覚えていない。四ッ谷見附あたりまでなら麹町の方が近いが、一行が通ることは無かったのか。気になる。呆けてきても昔のことは覚えていると言うが、母の場合はたんに興味がなくて元々覚えていないのかも知れない。
 作文が残っていたにしても小沢さんの記憶は詳細だ。私の母は小沢さんより一つ上の1926年生まれ、ほぼ同年代で、通った小学校は違ったがそんなに遠い訳でもない。母の小学校時代の記憶はぶつぶつで、二・二六事件の朝の微かな印象と、6年の学芸会で邦枝完二作「鉢の木」の主役佐野源左衛門をやったということくらい。因みにヒロインは邦枝梢さんだったそうで、作者の娘だものそりゃそうなるね。梢さんは後に木村梢として『東京山の手昔語り』
(1996年、世界文化社)という本で麹町・番町界隈の記憶を書き残している。覚えていないのは我が母ばかりなり。家のなかの様子や学校の授業の記憶はさっぱり抜けている。そんなこんなを聞いていたら「コージさんは空襲のときどこにいたの?」と聞き返されて唖然(コージというのは私の名)
 とにもかくにも老人にも親があり子どもの頃があった。他人ごとではない。人に歴史あり東京に歴史あり、82年前の自分の作文から、小沢さんは現在を語ってるという読み方は、さすがにうがち過ぎだろうな? 
 90歳の小沢さん、最近でも著作活動盛んです。『東京骨灰紀行』、『捨身なひと』、『俳句世がたり』などなどが世間の耳目を引いています。『私のつづりかた』が続きます。しかして今年の最新刊『ぼくの東京全集』(筑摩文庫)を読んで欲しい。アンソロジーです。永久保存版です。散文では1965年発表の「わが忘れなば」が古い方。1冊の冒頭は大本営発表、空襲後の焼け野原の描写で始まる。小沢さんの青春の心象は東京の風景変化と重なる。
 すいません。起承転結なしの書きっぱなしです。ブログは楽だわ。
 小沢信男さんの『捨て身な人』
『通り過ぎた人々』 に関連した記事も書いています。酔狂な方どうぞクリックして下さい。

2017年6月14日 (水)

目取真俊『目の奥の森』(影書房)

文学は錆びない、アベ政権下日本を照射する

 3・11後、文学の無力を思い、AKB48が被災地でボランティア公演する様子をテレビで見て、うちひしがれたもの書きは少なくなかったと思う。そうしたもの書きの端くれであった私は、いとうせいこう『想像ラジオ』に救われたのだった。
Photo 文学はプラグマティックには役立たない。いや、戦意高揚や独裁者を讃える役割を果たす場合はある。歴史を改竄し排外主義を煽る場合もあるだろう。為政者の役に立つ文学に文学的価値を認めるなら「文学は役に立つ」と言えなくはない。東日本大震災に際して「ガンバレニッポン」と民族主義を煽ったキャンペーンも彼らにとっては文学かも知れない。しかし文学の価値とはそんなところにはない。
 文学は未曾有の災害に対してさえ意味を持った。まして政治に対して意味を持たないはずがない。では政治が歪み歴史が歪められようとするとき文学は何をするのか。時の政権が政治を私物化し首相の「お友達」だけが優遇される社会、強姦・下着泥棒などの輩でも権力者に使えれば許される、そんな社会に文学は対峙し得るか。
 今日深刻化する国家ファシズムとの闘いの、最前衛に立たされているのは沖縄だ。沖縄では共謀罪が先取りされたかのように、辺野古基地反対闘争に理不尽な弾圧が加えられている。抗議者は警察によって殴打され、被害者が加害者として逮捕される。作家目取真俊が差別言辞で警察官から罵倒された事実は忘れがたい。影書房は最近目取真俊の旧作を2冊新装復刊した。『目の奥の森』と『虹の鳥』だ。どちらも10年前に上梓された作品だが少しも古さはない。むしろ今日的課題を読者に強く意識させる小説だ。
 『目の奥の森』は沖縄戦末期、米軍兵士による少女強姦事件と少年漁師による復讐、村人たちの狼狽する有様を、アメリカに迎合する村の区長、現場にいた幼かった少女たち、強姦された少女の妹、沖縄出身の日系二世である通訳、強姦した側の米軍兵士など複数の視線を交差させ、時間を超えて浮き彫りにしていく。過去のありそうな悲惨な事件を描いたに止まらず、いつでも起こりえる人間の歴史として書かれたことは文学としての価値を高めている。
 米軍兵士による強姦事件は、調査にあたった少尉の考えが「忖度」され、なんの処分もされない。現在の日本も同じだ。政権の肩を持つジャーナリストのおこした睡眠強姦事件はもみ消される。強姦され精神を病んだ小夜子は徹底的にバカにされ、村の男達に弄ばれる。性犯罪被害者の被害後受ける仕打ち(再被害)の惨たらしさは、今日勇気をもって被害を告発した性被害者が被る性的罵倒と同一性のものだ。
 描かれたのは過去ではない。ただ一人米兵に挑んだ盛治が学校でイジメられる少年だったように、60年後沖縄戦の話を聞いた少女は「健康な」同級生たちからイジメられている。沖縄戦を体験し、姉が生涯消えない傷を負ったという老女の話は、聞くフリだけの健康な子どもたちの魂には届かない。村社会の暗黒は現代社会に繋がっている。差別とイジメが支配する社会が時代を超えて照射される。被害者が更にいじめ抜かれ、立ち向かう者は忖度する者に組み伏せられる。
 かつて貝を捕った砂浜は今はないが、盲(めしい)たまま老いた盛治はいつまでも海辺で佇み、小夜子も介護施設で海を見つめる。
 美しいのはどちらか、醜く輝きのない生はどちらか、文学は人間と歴史をうっすらと照しだす。

2017年5月14日 (日)

金蒼生『済州島で暮らせば』新幹社

目は海の青に染まり、胃はサザエで満ちる

Photo_2 韓国の新大統領に文在寅が選ばれ、安倍政権に忖度するマスコミは、韓国で「反日」政権が選ばれ「韓日合意」が守られるか懸念との報道をばらまいた。そもそも所謂「12・28韓日合意」など何の意味があるのかしらけた気持ちでいたのだが、金蒼生(キムチャンセン)『済州島で暮らせば』によって教えられたことがあった。合意の影響か、従軍慰安婦を扱ったテレビドラマ「雪道」の再視聴が中断されていた。朴槿恵政権は合意の文面以上に国民の言論と表現の自由を押さえ込もうとしていたのかも知れない。
 この本で久しぶりに猪飼野の作家金蒼生さんに再会した。金蒼生は1982年『わたしの猪飼野』を上梓して、日本に生まれ育った自分と朝鮮人である両親との違い、父母の朝鮮語に馴染めない自分と、日本語が上手でない父母との葛藤、そういったあらゆる在日二世の煩悶と民族意識の獲得の過程を描いた。韓流以後今日の韓国語学習者の隆盛と比較すれば、朝鮮語を話す者と言えば警察関係者と自衛隊くらいだった頃の大阪生野区の風景は今読み返しても興味深い。その金蒼生が済州島に移住して『済州島で暮らせば』を上梓した。
 金蒼生の母は済州島で海女をしていたが、18歳で玄海灘を渡り大阪の猪飼野で暮らした。蒼生は11人兄姉の末っ子だ。日本の植民地時代、生活のため日本に渡った朝鮮人の多くは故郷を再び見ることなく生涯を終えている。二世以降の世代で「祖国」に帰ろうと思うものは少ないだろう。しかし日本生まれの在日二世である金蒼生は2010年10月末、還暦に近い歳で、更に歳上の夫と二人で済州島の中山間地帯の村に移住した。済州島の中でも田舎だ。荒れ果てた古い農家住宅を整理し、草を刈り、初めはキムチ樽を風呂桶替わりに使った。蟻や蜘蛛を追い出し、ムカデに刺されながら徐々に生活に慣れていくと、蜜柑畑の広がる風景は美しい。
〈…私は今、済州島の豊かな自然のなかで深く呼吸をしながら暮らしている。夫亡き後も、日本に戻ろうとは微塵も思わない。寂しさややるせなさを感じると、村周辺を歩く。夕暮れの美しさ。遠くに見える梨湖(イホ)の海。沖に灯る漁火。済州島の自然に癒される日々だ。〉
 この本は済州島に移住した著者の移住生活の記録であり、同時に知的生活の感想でもある。済州島は「四・三事件」と呼ばれる白色テロの起きた悲劇の地だ。犠牲者を追悼する様々な催しに参加しながら、〈済州島民となった私は考え続ける。〉
 これはまた豊富な読書や映画・ドラマ鑑賞の文学的批評の様相も呈している。金永甲(キムヨンガップ)のエッセイ写真集『その島に私がいた』。済州四・三の作家玄基榮(ヒョンギヨン)の『順伊おばさん』や長編『地上に匙ひとつ』。ベルンハルト・シュリンク『朗読者』。日本人として真摯に朝鮮と向き合った数少ない戦後作家小林勝。四・三の悲劇を映像化した映画「チスル」。植民地時代から解放後に渡る歴史ドラマ「黎明の鐘」。日本軍従軍慰安婦を繊細に描いた映画「鬼郷」の主人公を演じたのは著者の孫娘だった。公表していなかったのにネトウヨから攻撃される。映画監督が四・三の犠牲者遺族を訪ねて済州島から大阪まで回ってその声を集めた「ピニョム」。朝鮮戦争時の米軍による民間人集団虐殺を描いた「小さな池」等々。たんなるレビューとしてではなく、田舎での生活の中に溶け込む知性の輝きとして書かれている。
 その文体は著者の人柄そのままに真面目でユーモアに溢れているのにけれんがない。先に逝った夫を慕う哀愁の表現にも笑いを誘おうとするのは大阪人の性だろうか。とっても真似の出来ない行動力に敬服するのみだ。

2017年4月14日 (金)

金哲『植民地の腹話術師たち─朝鮮の近代小説を読む』

植民地出身者として近代と対峙しながら生み出した  近代文学
                      金哲著、渡辺直紀訳『植民地の腹話術師たち─朝鮮の近代小説を読む』

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 曺泳日(ジョ・ヨンイル)は『世界文学の構造』において、韓国は近代文学が発展することのできる歴史的条件を備えていない。〈近代文学が発達した国と、そうでない国の違いは〉〈その国がナショナリズムを経て帝国主義までを経験したかどうかによります。〉と書いている。〈近代文学とは、本質的に「戦後文学」だ〉というのだ。日本に当て嵌めれば日清・日露戦争を経てこそ夏目漱石という国民作家の誕生を得た。曺泳日の、近代文学は近代国家になる「国民戦争」を経験して成立した長編小説を示しものであり、韓国に近代文学は成立しなかった、とする論は些か飛躍がすぎる。曺泳日自身も使っているように韓国の文学史においても「近代文学」という言葉は生きている。「韓国近代文学」あるいは「朝鮮近代文学」ということばが普遍的に使われている事実をおいて、その存在自体を抹消するのは度が過ぎている。今さら李光洙の作品は近代文学ではないと言っても始まらない。しかしヨーロッパ諸国や日本など先進資本主義国家における近代文学と、朝鮮近代文学との違いという意味でなら曺泳日の論は正当だ。
 金哲(キム・チョル)『植民地の腹話術師たち─朝鮮の近代小説を読む』は朝鮮近代文学の特殊性について、朝鮮の近代小説に具体例を取りながら解読している。金哲の前提としたのは、〈朝鮮近代文学の建設──それがすべての植民地作家たちの目標であり存在理由であった。〉という理念だ。
 朝鮮近代文学の草創期の作家らは「構想は日本語で、描くのは朝鮮語で」という植民地出身者として近代と対峙する煩悶を持った。近代とは何か。近代社会を決定づける要素とは何か。金哲は〈近代国家建設の最も重要な要素は、鉄道や電信、電話、郵便などのような新しい交通と通信の手段である。〉と書いている。近代小説はエロティシズムと不可分の関係にある近代的個人を描く様式であり、19世紀末以来韓国社会は「英語=アメリカ=文明=世界」という表象構造を一つの強迫として受け止めながらも、韓国小説はこのような社会現象を反映したが、それは同時に「民族」を発見することに繋がった。
 そして、韓国(朝鮮)語の近代化は、植民地宗主国の言語である日本語との混成を通じて成立している。しかも朝鮮語・朝鮮近代文学草創期の言語確立の死闘の末に驚くべき創造の結実を見た。日本語が侵入し、朝鮮語が圧迫され、やがて使用が禁止される1930年代後半から1945年の解放に至る期間は「暗黒期」「空白期」ではなく、むしろ「韓国語」(朝鮮語)と「韓国(朝鮮)文学」の他の可能性が模索され遂行される、躍動的かつ活力に満ちた時期でもあったと規定する。こうした金哲の逆転の発想は意外に画期的だ。
 金哲は「韓国文学とは何か」という根本的問いを自明のものとしなかった。
 1917年に発表された李光洙の『無情』は純ハングル文体で書かれている。純ハングル文体でのエクリチュールはきわめてはやく定着した。純ハングル体の小説エクリチュールこそ、植民地における最も明白かつ確実な自律的領域だ。韓国語が外国語に匹敵する、いわば韓国語による近代文学は成立しうるものだと論証して見せたと言えよう。
 本書は、李光洙・金東仁・李孝石・蔡萬植・金南天・朴泰遠・李箕永・張赫宙・金史良など多くの朝鮮人作家を取り扱い、13篇の短篇評論を13章に組んで一冊としている。表題作「第12章 植民地の腹話術師たち」には、本書の副題とは異なる「朝鮮作家の日本語小説創作」が付いている。この主題はこれまでにも多くの研究者が論じてきているが、本書では余りに短文過ぎて議論としては物足りない感じが残るのがやや残念だ。
「日本の読者に」に書かれた著者の次の言葉が、意識の高さ深さ、民族主義に囚われない新しさを示している。

  特定の集団への帰属を自らの根拠としない人たち、自分だけのことばで語ることに邁進するすべての人々に、深い連帯の気持ちを込めて本書を捧げたい。

2017年4月 8日 (土)

三浦正輝と聖人たちの領域

三浦正輝「消せぬ風音」
──新日本文学賞受賞その後

Photo 日本に数ある新人文学賞のなかでも新日本文学賞は特異な位置を占めていた。新日本文学賞を受賞したとしても商業文壇で成功する確率は低いと分かっていた。受賞者には土方鐵や佐木隆三、波佐間義之、評論の高野斗志美らがいたが、佳作がやたら多いのに受賞者は非常に少なかった。1982年に永山則夫が「木橋」で受賞して話題になったが、獄中の殺人犯が文学賞を受賞というゴシップ性が世間ウケしたものだった。殆どの受賞作は世間の耳目を集めることがなかった。
 私にとって最も記憶に残る受賞者は、1994年受賞の三浦正輝だ。この年の授賞は三浦正輝「消せぬ風音」と古岡孝信「夏の家」の二篇の小説だった。しかし注目されたのは佳作に残った見沢知廉「天皇ごっこ」だった。右翼活動家だった見沢が殺人罪で投獄中に書いた小説を応募した。永山則夫に続いてまた殺人犯に文学賞を、ということで小さな炎が上がった。佳作の見沢知廉は作家としての名を残し新潮文庫にも収録されたが、本当の受賞者は忘れられた。それでも古岡孝信はそれなりに地方作家として活躍しているらしいが、三浦正輝の名を聞くことは今はない。
 三浦正輝「消せぬ風音」は、北海道の地方都市に住む親しい関係の中学生たちが、それぞれの如何ともしがたい理由によって別々の町に分かれていく。シゲは学校に来なくなり夜遊び回って喧嘩で怪我したことをきっかけに札幌の親戚に預けられることになる。宮田は隠していた精神障害のある妹が入院した江別に引越する。ぼくは打ち込んでいた剣道部も辞め夜遊びも止め、勉強して地元の高校に進学するが心は虚無が支配している。〈道東のさびれた港町〉で36歳になったぼくは今でも、あの頃と同じ風の音を聞いている。選者の中で「消せぬ風の音」の評価が一番高かったのは針生一郎だった。

   青年の屈折に満ちた心情を柔軟に、こまやかにとらえる文体が、このような虚無感をさぐりだしたのだが、それは自己のアイデンティティあるいは生きがいに対する疑問であるとともに、このような虚無に直面し、それをつきぬけてこそ真の創造がはじまるという意味で、作者にとって文学の原点でもあるだろう。

 シラケ世代の主人公は「あの人達が希望や理想を持って生きていたことは確かだよ。例えそれがどんな終わり方をしたとしても、自分たちの(敵)があの人たちには見えていたんだ」と語る。あの人たちというのは全共闘世代のことだ。理想に向かって闘った人々が羨ましいが自分は虚しい存在だという子どもっぽい逃避気味の虚無感を中学生に語らせた。
 三浦は翌年『新日本文学』1995年6月号に蝦夷地に住む侵略者ニッポン人の末裔としての心情を綴った「侵略者体験ツアー」を書いた。
 その後私が編集していた文芸同人誌『愚行』(第10号 1996年11月)に寄稿してもらっている。このときは筆名として「アラズ マサキ」を使った。作品は「聖人たちの領域」で400字詰め130枚ほどで「消せぬ風音」より長い。
 美大に通うMは個展会場のギャラリーで小学校の友人と出会う。佐々木友彦の絵は迫力に満ちていた。佐々木は警備員をやりながら絵を描いていた。佐々木の絵は評価され美術雑誌に掲載され、公募展に出品された絵も強烈な何かを周囲に発散し人々の視線を集めていた。Mと恋人の美智子と佐々木の歪な関係のなかで、Mは自身の存在の意味が分からなくなっていた。Mはそれまでの抽象画を止め、卒業制作には精神に障害を持った人々を描いた。〈僕は生まれて初めて自分というものをさらけ出そうと考えているのだと思う。そして、そう考えた僕は作品の中で芸術性を否定しなければならないと考え始めていた。〉無価値な存在である自分の葬送曲を作り出し、自分にとって無価値な自分の一生という小説のための「挿絵」として、精神障害者という「聖人」たちを描いた。一方、佐々木は技術を向上させながらむしろ個性的な可能性を落とし、無惨にも光を失った作品しか書けなくなっていった。
 卒業して美智子と生きていくことに決めたMは父に紹介された会社を蹴って札幌の運送会社に配送助手として就職し、毎日ぼろぼろに疲れてアパートに帰り泥のように眠る毎日を過ごした。
 佐々木の死を知り、聖人たちの絵を海に投げ捨てたMに、美智子は「お別れね……」と呟くが、Mは「……始まりだ……」と言う。希望で終わるラストに救いがあって高慢な芸術青年を描いた暗い小説に仄かな灯りを見せる。
 三浦はその後『新日本文学』1997年9月号に「消せぬ風音」同様中学生を主人公とした掌篇「壁」を発表した。続けて10月号に短篇「トイチ」を発表、心的傷害のある男が町の有力者から差別され「浄化」と称して病院に収容されるまでを描いた。(この小説は手元に掲載誌が見つからず再読できていない。)1998年9月号に「翼の影」というカラスを隠喩的に使った短篇を発表した。その外の作品については分からない。知らないものや忘却したものがあるかも知れない。
 三浦正輝が今どこで何をしているのか分からない。虚無を突き抜けた表現者として生きているのか。あるいはまだ根室で美術教師をしているのか分からないままだ。

2017年3月16日 (木)

温又柔「真ん中の子どもたち」のことなど

軽快なステップを踏む多国籍文学

 欲しい本があって海外文学のコーナーを探していたところ、思いがけなく温又柔の『来福の家』 があった。温又柔は同書に併載されている「好去好来歌」ですばる文学賞佳作に選ばれた作家で、『台湾生まれ日本語育ち』で日本エッセイストクラブ賞を受賞している。1980年生まれの若い作家で台湾国籍だが、作品は日本語で書いている。もともと日本語育ちなのだ。金鶴泳や李恢成の本が海外文学扱いされたのは40年も前のことで、温又柔が日本文学か外国文学か、といった設定はもはや古いと思っていたのだが、作家の知名度のせいもあるのか。柳美里は一般の女性作家コーナーに並んでいる。釈然としない。
 それにしても長く在日朝鮮人の文学を読んできた者にとって、同じ旧植民地出身作家と言っても温又柔は軽快だ。これは世代の違いもあるだろうが、時代の差も大きいのか。他言語作家温又柔には日本語に対する恨みも反発も憂鬱も劣等感もない。なめらかだ。
 戦前、日本帝国主義の植民地・半植民地支配された地域、朝鮮・台湾・満州などでは日本語で書く作家たちが輩出された。日本敗戦後、日本に残らざるを得なかった旧植民地出身者たちやその後裔の日本語文学は戦前の強制された日本語の流れをくんでいる。1972年に李恢成が外国籍作家として初めて芥川賞を受賞すると「在日朝鮮人文学」はにわかに注目された。文芸学者西郷竹彦は、李恢成文学に対して、日本の文学伝統のなかに生い立ちながら朝鮮の音楽を響かせ、それがつなぎ合わさってイメージの流れを作っている(「民族・ことば・文芸」『李恢成対話集 参加する言葉』1974年 所収対談)、というふうに評価した。作家自身の意識とは逆に、日本人文学者は「在日朝鮮人文学」を日本文学に巾を持たせ、豊かにする要素として評価していた。しかし在日朝鮮人文学は多様な議論を生み、最も重要な作家である金石範は『ことばの呪縛』(1972年)、『口あるものは語れ』(1975年)などで独自の文学論を展開した。在日朝鮮人としての主体意識と、自らの言葉である朝鮮語を表現手段として持たぬ内実の空虚との不断の闘いこそ、在日朝鮮人の日本語表現なのだと論じた。つまり戦後在日外国人の日本語文学として代表的位置にあった「在日朝鮮人文学」は帝国主義言語としての日本語と闘い続けることによってのみ可能だった。勿論異論はあり金泰生の作品に見える文体は日本文学の獲得に向かったと読むこともでき、李恢成などはむしろその流れに沿っていた。しかしどの作家にも母語ではない母国語に対する忸怩たる拘りが重くのしかかる。
 この拘りが温又柔の場合奇妙に軽快なのだ。同じ旧植民地出身作家として一つに括ることはできない。20174_2
 温又柔は『すばる』4月号に小説「真ん中の子どもたち」を発表している。中国語が話せる父と台湾人の母を持つ琴子ことミーミーは、複数言語の狭間で根っこを探し彷徨う。台湾人の母は台湾語と中国語(普通語)をチャンポンにして日本語も混ぜて話す。琴子の家では複数の言語が飛び交っている。琴子は漢語学院で中国語を学び上海に語学留学し、父親が台湾人のリンリンや、両親が日本国籍を持つ中国人で関西弁を喋る舜哉と親しくなる。ここで初めて上海語を覚え、台湾語をやや侮蔑的な「南方口音」と呼ばれたり、先生からは厳しく普通語の発音を指導される。ミーミーは時計台から響き渡る「東方紅」のメロディーにうっとりするが、小学生のとき「君が代」を自慢げに歌っていた自分を思い出す。「東方紅」は毛沢東を讃える歌だ。「君が代」と「東方紅」をあっさり並列できてしまう感じが、例えば李良枝が富士山を美しいと思えるに至る経緯と比べると、いかにも簡単だ。ミーミーやリンリンにとって毛沢東と蒋介石も対等に歴史上の人物に過ぎないようだ。
 この小説は一種の根っこ探し、ルーツものではあるのだが、ルーツに拘らなくっても良いのじゃないかという提起もしている。〈根っこばかり凝視して、幹や枝や葉っぱのすばらしさを見逃すなんてもったいない。〉という言葉はとても新鮮だ。言語も日本語を含めて複数併用が普通な社会であれば気が楽だろう。
 今やグローバル化した経済体制の日本へ、新しく流入してきた外国籍の人々による日本語文学は例外として文学史の欄外に書き記す程度の質量ではない。ユダヤ系アメリカ人のリービ英雄、スイス生まれでイタリア系だが純粋な混血を自称するデビット・ゾペティ、イラン人のシリン・ネザマフィ、中国人である楊逸、アメリカ国籍の詩人アーサー・ビナード、それに台湾系の温又柔など多様で良質だ。日本社会が門戸を開き日本語が閉鎖性を解き放てば、日本語以外を母語とする人々やその子孫による文学作品の数はまだまだ増えるだろう。日本は台湾と国交を持たないから日本にとって台湾は一つの地域に過ぎないが、温又柔の国籍がどうであれ、他言語・多国籍の文学の今後に期待しながら見守りたい。

2017年3月 1日 (水)

多胡吉郎『生命の詩人・尹東柱』(影書房)

若き民族詩人の生を追った意欲的評伝

Photo 今年は詩人尹東柱生誕100年だ。韓国ではもちろん日本でも様々な催しが企画されていると聞く。
 私が尹東柱に初めて出会ったのは1977年頃、大村益夫先生の教室だった。読んだのは「序詞」「星を数える夜」「たやすく書かれた詩」「また違う故郷」だった。1970年台まだ尹東柱の翻訳は殆ど無かった。金学鉉が『季刊三千里』に韓国詩人群像を紹介した連載の一つとして1977年5月夏号に書いたものがあった。これは1980年11月に柘植書房から発行された『荒野に叫ぶ声』に収められた。もう一つ『詩学』1977年12月に呉世栄が書いたものがあったと思うが雑誌が見つからないので確認できない。大村先生は1985年には尹東柱の墓を発見するなど、尹東柱とは浅からぬ因縁を結んでおられた。因みに大村益夫編訳で解放前後に渡る対訳現代詩アンソロジー『詩で学ぶ朝鮮の心』が1998年に発行されている。
 韓国で国民詩人と呼ばれる尹東柱とは誰か。尹東柱は1917年12月30日中国東北部のキリスト教信者の家に生まれた。朝鮮はすでに日本の植民地に組み込まれていた。詩を書く青年であった尹東柱は1942年渡日し立教大学に入学、秋には京都の同志社大学に転学した。翌年7月独立運動をしたとして治安維持法で逮捕される。そして1946年2月16日、収容されていた福岡刑務所で衰弱した詩人は帰らぬ人となった。27歳の若い命だった。尹東柱は本当に独立運動をしたのだろうか。彼は朝鮮語で詩を書いていた。それだけだ。『生命(いのち)の詩人・尹東柱』を読んでも独立運動らしい動きは見つからない。尹東柱は詩人に過ぎなかった。
 尹東柱の初の作品集である伊吹郷訳『空と風と星と詩』が出版されたのは1984年11月だった。それをきっかけに日本でも尹東柱を知る人びとが増えた。『生命の詩人・尹東柱』の作者多胡吉郎(たごきちろう)も伊吹訳『空と風と星と詩』で尹東柱詩人に魅了された一人だ。多胡吉郎は1995年にNHKのディレクターとして尹東柱のドキュメント番組を制作した経験を持つ。多胡はその後も尹東柱に拘りその生涯を追っていた。尹東柱の詩友上本正夫や同志社大学の同窓生たちの証言を探し出し、詩人の人となりを辿ることに成功した。特に同志社大学の級友たちと尹の送別会を兼ねた宇治川ピクニックの写真を発見したことはそれだけでも賞賛に値する。初夏の川辺に遊ぶ若者の姿は政治とは無縁な幸せなものだ。逮捕される直前のことだった。
 多胡の追究は尹東柱を巡る事実調べとリンクしながら詩の解釈にも進む。英国生活の長い多胡は英詩との比較によって朝鮮語単語を分析し、また蔵書に遺された尹東柱のメモや痕跡まで丹念に調べて詩人の実像に迫った。多胡は自分の翻訳を一点だけ紹介している。

     「序詞」
   
    逝く日まで空を仰ぎ
    一点の恥のないことを
    葉合いに起こる風にも
    わたしは心痛んだ
    星を歌う心で
    すべての逝く身なる生命(いのち)を愛さなければ
    そして わたしに与えられた道を歩み行くのだ
    今宵も 星が 風に瞬いている

多胡がなぜこう訳したかは本書を参照されたい。多胡自身の尹東柱の詩引用は殆どが伊吹郷訳に依っている。
 尹東柱の詩を読んで分かることは、尹東柱は決して独立運動や民族主義を高らかに歌うような詩人ではなかったということだ。あくまでも抒情詩人だった。それもキリスト教精神に則(のっと)った詩人だった。しかし尹東柱が書いたのは死んでいく民族の復活の願いが込められた抒情詩だった。これは日本語で書けるはずがなかった。尹東柱の直接の死因がなんだったのかは分からないが、大日本帝国の治安維持法によって殺されたのは間違いない。
 いつも控えめに恥じ入りながら佇んだ詩人の死を、われわれはどう受け止めようか。尹東柱は最期のきわに何かを叫んだと、遺体を引き取りに来た両親に看守が伝えた。朝鮮語であったため、日本人の看守にはその意味がわからなかった。

   今となっては、その言葉を確かめようもない。
   それはもはや、私たちひとりひとり、尹東柱と向き合う者のそれぞれの胸に、こだまするものなのだろう。

 日本語で読める尹東柱の詩集や評伝などについては「あとがき」に紹介されている。

*韓国の人気作家イ・ジョンミョンに囚われた尹東柱を描いた『星を掠める風』があるが、監獄の生活はイ・ジョンミョンの想像をはるかに越えていたようだ。

2017年2月20日 (月)

死六臣公園を歩く

麗羅の『山河哀号』の主人公成文英は死六臣の一人成三問の子孫だという設定だった。私はかつて死六臣が祀られた死六臣公園を訪ねたことがある。前回記事の付録的意味で死六臣公園を訪ねた際の記憶を写真など見ながら辿って見ようと思う。因みに現在はこの時よりだいぶ整備が進んでいるらしい、写真も古いので悪しからず。
Dsc00067 死六臣公園はソウル市銅雀区(ドンジャング)鷺梁津(ノリャンジン)にある。地下鉄1号線鷺梁津駅を下りると瞬間生臭ささが漂ってくる。近くにソウル一番の水産市場があるのだ。鷺梁津は漢江の南、国会のある汝矣島(ナジド)を東に出た側に位置する。この辺りは鍾路や明洞などの中心街とは趣を異にして郊外の感すらある。けたたましく車が走り抜けていく幹線道路の両側にはずらっと予備校が並んでいる。Dsc00069
 五・六分も歩くと鬱蒼とした林のようなところが見えてくる。整備された公園入り口の巨大な門柱に銅板に刻まれた「死六臣公園」という文字が見える。舗装されてL字溝まで設えた意外と広い道を上がっていくと、通りの喧噪を木々が塞いでくれる。大きな赤い鳥居状のものの下を通る。これは紅サル門(홍살문)とか、紅箭門(홍전문)とか、たんに紅門(홍문)と言われ、いわば神聖な地への入り口である。陵などの前に建てられている。日本の鳥居の親戚のようなものだろう。もともとこの辺り一帯の堂山として祀られている地域なのだと思われる。山頂の広場に置かれた四阿で笛の練習をしている若い人がいた。夏だったのでポプラからアメリカシロヒトリが墜ちてきた。鵲(カチ)が低空飛行して目の前を過ぎる。近隣の住人や学生の憩いの場となっているらしい。Dsc00071
 街を見下ろそうとすると、目の前を巨大なアパート群が塞ぐ。反対側に出る道の途中から松林の中の小径に足を踏み入れると、ほどなく緑の広場が目の前に開けこんもりまるい墳墓がいくつか見える。墓地の裏側から入ってきたのだ。墳墓は横から見ると正円ではなく、オタマジャクシの尻尾のようなものがついている。緑の墓地は松林で囲まれている。松の木は「トリソル(도리솔)」と言って霊魂が天に昇るときに乗る媒体なのだそうだ。墓地周囲の土手をぐるりと回ると、墳墓の正面にはそれぞれ小さな碑が置かれて姓が刻まれている。「成氏之墓」「柳氏之墓」……と。しかし、数えてみると墓は七つあった。正面から右の端の方に「金氏之墓」というのがあるが、六死臣には金某という人はいない。Dsc00079
 そもそも死六臣とは誰かというと、成三問・朴彭年・河緯地・李塏・兪應孚・柳誠源を言う。彼らは、朝鮮朝第四代の世宗の信任が厚く、病弱な五代文宗からは幼い嗣子(端宗)を良く補弼するよう顧命を受けた者たちだった。ところが、文宗が死に端宗が11歳で即位すると、叔父の首陽大君は勢力を拡大してついに1453年、端宗の後見だった皇甫仁・金宗瑞と実弟の安平大君を粛正して権力を握る。これが世に言う「癸酉靖難」だ。首陽大君は1455年端宗から王位を剥奪し自らが即位した。これが第七代世祖である。Dsc00082_2
 上記の6名はすぐさま端宗の復位を企て、同調者を糾合して機会を待った。彼らは1456年6月明国使臣の歓送の宴において世祖一派を処断しようとしたのだったが、事前に漏洩して挫折する。
 同志の一人であった金綢(김질)らが裏切って世祖に端宗復位陰謀の全貌を密告し、世祖は関連者をすべて捕まえ自ら彼らを問責した。成三問は真っ赤に焼けた鉄で脚を突き刺し、腕を切り落とされる残酷な拷問にも屈せず世祖を「전하(殿下)」と呼ばず「ナリ(나리)」と呼んで、王として対することはなかった。残った人々も真相を自白すれば許すという言葉を拒否して刑罰を受けた。成三問・朴彭年・兪應孚・李塏は灼刑で処刑、河緯地は惨殺され、柳誠源は捕まる前に妻とともに自殺した。
 また、死六臣の家族も男は皆殺害され女は奴碑として連れて行かれた。死六臣以外にも金文起・權自愼ら七十余名が謀反嫌疑で禍を被った。この金文起という人が死六臣墓地に死六臣とともに奉られていた7人目である。公園内に設置された説明文によると、墳墓はもともと朴彭年・成三問・兪應孚・李塏のものがあって、後に河緯地・柳誠源・金文起のものが祀られたという。この金文起を忠臣死六臣に加えるべきかどうかで近年論争があるそうだ。
 死六臣は1691年、粛宗によって官職が復帰され、愍節という賜額が下されたことによって鷺梁津堂山墓所の下に愍節書院を建て神位を奉って祭祀を行うようになった。
 私が訪ねたとき、五六人の老人が書院に続く石畳から上がってきた。みな体格良く、杖をついてよぼよぼ歩いているようには見えるが、どことなく殺気を押し殺したような雰囲気がある。一人は「テジャンニム(隊長)」と呼ばれていたので、退役軍人だろうか。忠臣の墓参りだ。
 墓所から木槿咲く垣根を巡って雨に濡れた石畳を踏み、愍節書院の裏側の小径に降りていった。小門を入ると「義節祠」と額のかかった書院の横にでた。書院の中には木製の位牌のようなものが、これも七つ並んでいる。振り返って石段を降りると庭園には芝生が広がる。六角の石塔は死六臣碑である。これは1955年に建てられたそうだ。Dsc00096
 大きく緑豊かな柿の木を右斜め背後にして不二門から外に出ると、公園の木々の間を白黒の鵲が歩き回っている。不二門も丹青(단청)と呼ばれるカラフル彩色だ。陰陽五行説に基づいて方位や位置など一定の秩序に基づいて五色の原色で彩られている。緑豊かな公園にマッチしている。韓国人の美意識や思想が凝縮されているようですらある。
 入ってきた坂を下っていくと梢の間から下の幹線道路を隔てた向かいに旅館が見える。祭祀のときには賑わったのだろうか。公園の外は喧噪のソウルだ。
 「死六臣」は死後230年以上復位することもなかったのだから歴史的には敗者と呼べる。死六臣が敗者なら世祖と世祖に与した輩は勝者であろうか。世祖が権力を握る過程で、これを助けた功臣たちは、その後も世祖の側近として批判勢力を弾圧し世祖に優遇された。彼らは後に「勲旧派」と呼ばれるようになる。しかし韓国で勲旧派といえば悪役らしい。日本でも流行った韓流ドラマ「大長今」(日本版タイトル「宮廷女官チャングムの誓い」)に出てくる悪役「オギョモ」も勲旧派の末裔である。
 崔碩義氏の『韓国歴史紀行』(影書房)によれば、どうやら嫌われ者勲旧派の代表選手は、韓明澮(ハン・ミョンフェ)だったようだ。この人物は世祖に従って権勢を振るった。風流人を気取って漢江のほとりに別荘を建てて「狎鷗亭」と名付けた。狎鷗亭洞(アックチョンドン)といえば現在韓国では高級なファッションストリートということになっている。死六臣公園のある鷺梁津は水産市場と学習塾の街であり死六臣を祀る堂山のある街である。最先端のファッショナブルシティ狎鷗亭洞とは対照的だ。しかし歴史に敗者と勝者の区別はないかも知れない。麗羅の『山河哀号』のもう一人の準主役である韓哲相は韓明澮の末裔ということになっていた。

2017年2月18日 (土)

麗羅『山河哀号』

「学徒兵世代」の描いた朝鮮民族の傷痕

 大日本帝国はPhoto_2富国強兵のスローガンの下、台湾・朝鮮を植民地とし、1931年からは中国で侵略戦争を展開し偽満州国を建て、1937年からは中国との全面戦争に突入した。1941年からは太平洋まで戦線を広げたが戦争は完全に行き詰まっていた。弾薬不足、食糧不足に加え兵隊が不足し、徴兵が免除されていた学生も戦線へ駆り出されるようになった。1943年10月21日の明治神宮外苑での出陣学徒壮行会の映像は度々TVでも放映されている。しかし朝鮮出身者に対する徴兵は翌年まで始まらない。その代わり特別志願兵制度に志願させられる朝鮮人青年は多かった。『石枕(トルペゲ)』の張俊河(チャン・ジュナ)『凍土の青春』の尹在賢(ユン・ジェヒョン)は特別志願兵制度で学徒出陣し中国で兵営を脱出して朝鮮独立のための光復軍に合流している。
 1924年慶尚南道咸陽郡に生まれ東京の工科学校で学んだ鄭埈汶(チョン・サムン)も、1943年日本陸軍に特別志願兵入隊した。後のミステリー作家麗羅だ。麗羅は『わが屍に石を積め』(1980年)や『桜子は帰ってきたか』(1983年)の作者として知られる。しかし麗羅の原点的作品は『山河哀号』だ。『山河哀号』は1949年に書き始め、1952年に初稿を上げたが出版されたのは1979年集英社だった。(1986年に徳間文庫版が発行されている。)

   祖国と民族が不幸に沈淪していた時代を、私は水に流される泥舟のように生きた。ただただ風向きに逆らうまいと心がけ、ひたすら沈まないことを願っただけだった。
   …略…
   私は、自分が作家になったら、まっ先にその悔恨を書こうと思った。いや、それが書きたいから作家を志望したと言える。

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 麗羅は韓国で言う「学徒兵世代」李炳注より3歳下、在日では金泰生や金石範と同世代だ。1943年明治大学講堂で開催された在東京朝鮮人学徒出陣決起大会には麗羅自身も参加しただろうと思われる。この大会に出席した青年たちの行く末は悲惨だ。『山河哀号』の主人公成文英も朝鮮人青年に出陣を強要する大会に主席させられていた。演台には当時朝鮮の最高の知識人と言われた崔南善、李光洙らが立った。彼らの演説は余りにも稚拙な論理で出陣を促すものであるのはもとよりだが、朝鮮民族を辱める内容だった。東京帝大生で朝鮮史を勉強していた成文英は思わず立ち上がり李光洙を批判してしまう。
 波田野節子はその著書『李光洙』(中公新書)で〈志願しなかった留学生は「非国民」の烙印を押されて休退学や除籍になり、あるいは遅まきながら志願に応じて軍隊で悲惨な待遇を受け、あるいは朝鮮総督府に送還され、あるいは日本で労働に従事して監視処分を受けた。〉と書いている。波田野は李光洙の学徒兵志願勧誘について同情的だ。『山河哀号』でも立ち上がった成文英を諫めようとする李光洙が描かれている。しかしこの小説の主人公はあまりにも潔癖だった。結果成文英は逮捕され拷問の末禁固十年の刑を受け秋田刑務所に送られた。
 一方、李光洙の演説に感激した者もいた。出陣決起大会には前列に第一陣に志願した学生たちが日の丸襷を掛けて座っている。その内の一人が北村哲也こと韓哲相だった。徴兵されるよりは志願したほうが待遇が良いだろうと自ら志願した麗羅自身は、この北村に近い立場だったと思われる。出征した北村は京城郊外の特別志願兵訓練所で優秀な成績を送っていたが、所内は支給される筈の糧食が中間搾取されるなど不正がはびこっており、訓練生たちは暴力で押さえつけられていた。北村の同僚のなかには逃亡する者もあった。
 日本の敗戦、朝鮮の解放を迎え成文英はようやく帰国できたが、アメリカ統治下の南朝鮮で様々な政治勢力の台頭に翻弄される。一方、8月14日に形だけの反乱を起こして独立運動家になった韓哲相は政治的野心を大きくする。左右の対立は民族を統一から遠ざける。人々は植民地時代に親日行為をした負い目から激しく反日を旗幟とした政治運動へと導かれていた。一方学究として生きたい成文英は京城帝大に転学し、できるだけ目立たないようにしているが状況が許してくれない。また資産を持つ名家出身の成文英は結婚相手も自由には選べない立場だった。解放後親日派から左翼に転身した若者たちからは嫌悪される立場でもあった。親日とは何か、民族とはどうあるべきものか。歴史にいたぶられる成文英の姿はそういった問いを読者に投げかける。
 小説の背景には実在の人物や事件が配色される。李光洙らの文化人だけでなく、呂運享などの政治運動家も登場し歴史小説的リアリティーを持たせている。筆者としては「始原の光」と呼ばれた作家金史良が連座した朝鮮芸術座事件の逸話には心そそられた。あらゆる歴史が丹念に調査され描かれている。主人公成文英の設定が死六臣の一人成三問の隠された子孫ということになっている点も朝鮮の民族性を感じさせる。成三問はあらゆる拷問に耐えて殺された忠君と言われる人物だ。死六臣を扱った李光洙の『端宗哀史』は『山河哀号』中にも紹介されている。近年ではテレビドラマ「王と妃」にも出てくる。
 『山河哀号』は虚構に依って歴史の真実を追った小説であり、民族史に託された作家の精神の痕跡でもあった。

*この小説に主人公成文英は死六臣の一人成三問であるが、死六臣を祀った公園がソウルにある。その死六臣公園の紹介記事も書いておいた。http://kghayashi.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/post-5c82.html

2017年2月 9日 (木)

李炳注『関釜連絡船』のぎりぎり

学徒兵世代の文学再評価を

 第二次世界大戦末期つまり日中15年戦争末期、学徒動員以後も朝鮮人学徒は徴兵されなかった。しかし「志願」させられ大陸へ出兵していった。朝鮮人学徒の強制的出兵志願について、韓国では張俊河の『石枕』などが有名だ。張俊河は兵舎を脱走し重慶へ向かい大韓民国臨時政府の光復軍に加わった。戦後は雑誌『思想界』を創刊するなど活躍したが登山中に謎の死を遂げる。李承晩、朴正煕と続く軍事政権に批判的だったことと無関係ではないと言われる。
 朝鮮人志願兵の実際をモチーフにした作品として日本語で書かれた作品としては、尹在賢『凍土の青春』麗羅『山河哀号』などがある。麗羅『山河哀号』は戦中から戦後にわたる青年の苦闘そのものが朝鮮の近代史として読者の前に立ちはだかる。これらの作品はほぼ忘れかけられていたが、『凍土の青春』は2014年3月に韓国で翻訳出版されている。『世界文学の構造』などの著書を持つ韓国の評論家ジョ・ヨンイルも『すばる』2月号のインタビューで『凍土の青春』に触れ〈学徒兵はこれまで歴史学からはもちろん、文学界からも疎外視されてきました。〉と言っている。克服すべき対象だったのだと。
 ジョ・ヨンイルは、〈近代文学は戦後文学と同義語なのです。近代国家になる「国民戦争」という共通の経験を通して成立するものなのです。〉と言い、また長編小説を指すとも言う。「国民戦争」という民族統一の経験を持たず、ろくな長編小説もないから韓国には近代文学は成立しなかったと言いたいようだ。長編小説が近代文学の前提であるかどうかは疑義を挟む余地があるがここではさておいても、私たちが李光洙を「朝鮮近代文学の祖」と呼ぶのは間違っているのだろうか? 『林巨正』の洪命憙や韓雪野や李箕永など北朝鮮に行った作家たちをまるっきり無視して良いものだろうか。確かに日本の近代文学史に比べれば李光洙からプロレタリア文学までの期間が極端に短い。だからといって近代文学の規定を、柄谷行人に任せて朝鮮の民族文学に当て嵌めて解釈するのが妥当だろうか。因みに大村益夫は北は中国の朝鮮族自治区から南は済州島までを朝鮮文学の地理的範囲としている。最近在日朝鮮人作家金石範の『火山島』が韓国で翻訳出版されたことが民族文学理解に投じた意味も小さくない。Photo
 さて韓国の作家李炳注(1921-1992)も朝鮮人学徒兵としての経験を持つ一人だった。作者死後25年も経って今年『関釜連絡船』が日本語訳された。『関釜連絡船』の主人公たちも学徒兵として出兵している。物語は、1966年「私」であり「李先生」である語り手に日本留学時代の友人から手紙が届くところから始まる。柳泰林を探して欲しいという。柳泰林がこの小説の実質的主人公と言える。語り手である李先生が反共右翼としての立場を明確にしているのに比して、柳泰林は政治に対して超然としたいという立場ながら、思考の端々に容共的発想を表し、左翼的独立運動家であった呂運享に対する尊敬を隠さない。訳者あとがきによると、『関釜連絡船』は1968年4月から1970年3月まで雑誌『月刊中央』に連載された。朴正煕軍事独裁政権の時代だ。自由に語れない時代の文学作品をどう読み解くかは難しい。独裁政権下での文学に制限があるのは仕方ないとしても、文学を支える精神が阿てはいけない。李炳注『関釜連絡船』はぎりぎりのところではないだろうか、というのが筆者の見解だ。
 小説は「柳泰林の手記」をあいだに挟みながら、朝鮮が日本に植民地支配されていた1930年台から朝鮮戦争が始まる1950年までと現在である1966年を往来する。私や柳の日本でのややデカダンだが知的でもある学生時代の描写のなかにも、常に官憲の目にさらされている朝鮮人としての苦悶が表れる。日本と朝鮮が平行に描かれるが、朝鮮の舞台は主に「C市」として表記される晋州だ。解放後、私や柳泰林はC市高校の教師として左右政治勢力の闘争に巻き込まれ悪戦苦闘し、柳泰林は朝鮮戦争時に消息を失う。
 戦前戦後の混乱の中で朝鮮民族が味わった苦渋のどれほどを、我々は知っているだろうか。しかしその抵抗と苦渋のなかに民族の文学は身悶えしていなかったか。帝国主義戦争を闘った側だけに近代文学は成立したのだろうか。否、植民地支配された側にも近代文学は成立した。ただその成立過程と性格が異なるため朝鮮近代文学には多分に抵抗的要素があり、また見かけ上はいくつにも分断されている。柳泰林や登場人物たちと同様、作者も朝鮮の特権階級出身、日本で知的教養を身に付け日本の軍人とし出兵した学徒兵世代だ。学徒兵世代の知的教養に関して翻訳した橋本智保はこう書いている。

  李炳注にとって日本(語)を媒介に接した近代文学とは、人類普遍の価値を体現するものであり、植民地になった朝鮮の運命や、学徒兵になった自分の運命を、親日・反日という図式を超えたところで説明してくれる根拠になっていると考えられる。
                                         (訳者あとがき)

 林鍾国が『親日文学論』を書き、金允植は『傷痕と克服』を書いた。韓国文学は一旦強制された日本語、帝国主義言語としての日本語を徹底的に批判しなければならなかった。文学に於ける帝国主義の克服は、韓国文学に於いても日本に於ける朝鮮人の文学に於いても必須だった。だから訳者あとがきの当たり前の言説も新鮮なのだ。最近、韓国では学徒兵世代の教養が見直されているようだ。同時に独裁政権時代の文学も見直されなければならない。植民地支配や軍事独裁とせめぎあいながら書かれた文学の再評価の時が来たのかも知れない。

2017年1月26日 (木)

柳美里『人生にはやらなくていいことがある』

柳美里文学の旋回─孤独から連帯へ

 柳美里と鷺沢萠が2日違いという近い年齢で親しい関係だったということは知らなかった。(私とは띠동갑だ。)そもそも私のなかで柳美里と鷺沢萠は結びつかない。柳美里は在日韓国人家庭に生まれ育ち、その崩壊した家族との格闘からアイデンティティを築いた作家だった。在日朝鮮人である実存性ゆえの誹謗中傷を受け続け闘い続けた。(愚銀のブログ「『貧乏の神様』を読んで『仮面の国』を再読する」 を参照されたい)つまり柳美里のアイデンティティは否応なく在日朝鮮人として存在し、柳美里の文学はそうした実存からいかに飛びだすかという藻掻きだった。
Photo_2 逆に鷺沢萠は常に自分の依るべきアイデンティティを探していた。鷺沢の初期の作品は、経済発展する資本主義日本において、帰るべき故郷を失った人々の彷徨を描き、ついには東京大森界隈に根っことすべき場を発見したかに錯覚した。しかし所詮せんない空理で心を満たすことなく、次には祖母の出身地である韓国にアイデンティティを探す。鷺沢萠は朝鮮人の血が4分の1混じるクオーターだ。韓国に自分の根っこを探し、留学して韓国語を勉強した。鷺沢萠が、どうしようも無く在日朝鮮人である柳美里にシンパシーを感じようとしたのは自然な成り行きだった。しかし柳美里は鷺沢萠が〈朝鮮半島にルーツを持つ同胞だからという理由で親しくしていたわけではなかった。〉探しに探して書いた鷺沢萠に対して、柳美里は〈多くのことを諦め、行き場を失ったわたしに残された唯一のもの、それが「書くこと」だった〉と言う。二人の方向性は真逆なのだ。
 しかし柳美里は仲違いした鷺沢萠に謝罪したかったと言う。柳美里は10数年前自らの出自への旅と深く関わる『8月の果て』(2004年8月)を書いている。北朝鮮に行くと『ピョンヤンの夏休み』(2011年12月)を書いた。鷺沢萠が自殺したのは2004年4月だった。

    人は、物語がないと生きられないのではないでしょうか。
   生まれてから死ぬまで、自分が生きてきた物語はもちろんですが、自分が生まれる前のファミリーヒストリーを求めているのではないか。それは、自分は何故ここに居るのか?というアイデンティティの問題にも関わってくるわけです。自分はこれからどこへ行くのか、その行き先を知るためにも、物語は必要なのです。

  2011年の3月11日、東日本大震災は柳美里の生を変えた。柳美里は居住する鎌倉から福島まで通って臨時災害放送局「南相馬ひばりエフエム」に無料で出演していたが、2015年4月からは南相馬市原町区に移住して現在に至っている。18歳で書くことで生きると決め、書くことだけで生活費を稼いで来た柳美里にとって、お金にならない「書く」行為の意味はなんだろうか。それは名誉でもない。社会的地位の確立でもない。〈本を読む人は「消費者」ではなく「読者」なのです。〉読者は、柳美里が泥臭く地を這うように書いてきたことを知っている。道徳行為の受け手としての生き方から担い手としての苦闘を生きていきたいという発想は、高1で中退した彼女が高卒認定試験に合格して大学で学びたいという指標にも結びついている。絶望の文学から希望の文学へ。孤独から連帯へ。柳美里文学は緩やかに旋回していた。
 『人生にはやらなくていいことがある』は柳美里の近況と思考を書いただけのものではない。熱心な読者であれば文章読本とも読める。ようやく小説の頂きが見えてきたような気がすると言う柳美里の「書く」方法論としても読み逃せない本だ。

2017年1月15日 (日)

梁英聖『日本型ヘイトスピーチとは何か』(影書房)

レイシストヘブン差別の王国 日本を撃て

Photo 崔実『ジニのパズル』で表出された在日朝鮮人を覆う日本の現実は、読者の一部がいかに曲解しようとも、悪の北朝鮮教育をする朝鮮学校などではなく、レイシズムに犯され傷つく少女の姿であり、朝鮮学校は彼女を懸命に支えようとしながらも力足りず、ジニの同級生の心さえ痛めてしまうものだった。ジニや朝鮮学校の同級生たちが安んじて学べるほどには、日本の市民社会は成長していない。梁英聖(リャン・ヨンソン)の言葉を借りれば〈日本社会に反レイシズム(反民族差別)という社会規範が成立していない〉のだ。
 朝鮮学校は高校無償化の対象から外されている。このようなあからさまな上からのレイシズムがヘイトスピーチ、ヘイトクライムを生んでいることは言うまでもないだろう。
 在日朝鮮人はなぜ日本に住みながら日本国籍を持たないのか。そして朝鮮学校は制度的に差別され続けるのか。1952年法一二六によって〈無理やり国籍を失わせた在日に対し、当面は日本にいてよいとする、極めて場あたり的で差別的な措置〉が行われた。かつて帝国臣民として労働や売春を強制した朝鮮人から日本国籍を奪い、一般の外国人と同じ扱いにするという見事な歴史抹消がなされた。つまり歴史否定主義政府にとって、侵略も植民地支配もしなかったがアメリカとの正々堂々とした戦にたまたま負けた日本なのであって、不名誉な歴史を証明する朝鮮人や朝鮮学校はそもそもあってはならないものなのだ。だから安倍政権は慰安婦を象徴する小さな少女像の設置に血眼になって抗議し対抗処置まで講ずる。
 日本では政治空間からの差別煽動(上からに差別煽動)が公然と行われ、朝鮮人従軍「慰安婦」の否定、南京大虐殺の否定などの歴史否定がまかり通っている。これは人種差別撤廃条約を批准している欧米各国とは根本的に異なり、欧米極右勢力の目指す見本・目標とさえ思える。もともと安倍晋三は塩崎泰久、菅義偉
(スガヨシヒデ)、高市早苗、下村博文らの現官僚たちとともに、従軍「慰安婦」関係の教科書記述の撤廃や日本の戦争犯罪の歴史否定を進める政治家グループに属していた。彼らは歴史否定を主眼とする国家主義者政権を運営し、ヘイトスピーチに力を与えている。しかし在日朝鮮人に対するレイシズムは今に始まったことではない。戦後すぐに戦前の体制を受け継ぎ、旧植民地出身者の日本国籍が剥奪された1952年体制の成立とともに差別構造は確立された。
 梁英聖は日本に於ける在日朝鮮人差別の実態の歴史を追い、その根源を明らかにしながら、欧米と比較しながら民主主義の行くべき道を明らかにしようとした。その視線は日本の資本主義的構造にまで及ぶ。新自由主義的市場原理及び日本型雇用システムが生む差別構造だ。
 黄英治の小説『前夜』では製パン工場で非正規労働者として働く在日朝鮮人青年を通して、工場での重層的な差別体制内での絶望的な労働に焦点を当てた。彼はやがてヘイト団体に加わって活動していくようになる。日本型雇用システムが生み出したものは単純に貧困労働者だけではなく、それを赦し補完する思想だった。〈市場原理にゆがめられた「戦後日本的人間らしさ」は、人権侵害に奇妙なほど寛容であり、場合によってはそれを「美徳」とみなし助長さえしてきた。……吹き荒れる生活保護者への異常なバッシングは、むしろ市場原理に侵食された「人間らしさ」から正当化されてこなかっただろうか。〉
 反レイシズム規範の確立を妨げる日本型資本主義に、私たちは充分に対抗できていなかった。労働運動が盛んな頃でさえ、運動内部に女性差別や民族差別は蔓延していた。民主市民派の選挙運動のさなかでも同じだった。レイシズムに対抗し、これを規制する連続した闘いこそあらゆる民主主義運動に通底しなければならないのではなかろうか。そのための指針としてこの本は間違いなく役に立つ。
 *『日本型ヘイトスピーチとは何か』は在日朝鮮人に対するレイシズムを中心に論じているので、
岡和田晃 マーク・ウィンチェスター編『アイヌ民族否定論に抗する』なども併読されたい。

2016年12月16日 (金)

ハン・ガン『少年が来る』雑感

霊魂の言葉に耳を傾けよ!

 2000年5月、光州ビエンナーレの帰り、終点の道庁前でシャトルバスを降りると運転手も降りてきて尚武館(サンムガァン)を教えてくれた。1980年の民衆抗争時に犠牲者の遺体が安置された建物だ。ハン・ガンの小説『少年が来る』の冒頭、二人称で語られる少年はこの尚武館の入口階段に座っている。この小説は光州事件をモチーフにしている。
Photo_3 光州事件とは光州民衆抗争とも呼ばれる。朴正煕暗殺後に芽生えた短い民主化の春を踏みにじる全斗煥による所謂「粛軍クーデター」に始まる軍事独裁政治に対峙した光州市民の民主化運動と、それを徹底的に弾圧した軍との凄惨な抗争だった。光州事件は1987年の6月民衆抗争で結実する韓国民主化運動の原点とも言われる。歴史的事実については文京洙『新・韓国現代史』(岩波新書)などに譲るが、空挺部隊による残虐は臨月の妊婦の腹を銃剣で切り裂くほどの非道に至っていて、韓国の表現者は小説、詩、映画など数多くの芸術作品を生んだ。『少年が来る』もその中に加えられる。
 今年(2016年)作家
ハン・ガンは『菜食主義者』でブッカー国際賞を受賞したので、日本でも知る人が増えたと思う。ハン・ガンは光州市生まれで事件の時は満9歳だった。父親は韓国の大物作家、韓勝源(ハン・スンウォン)だ。
 『少年が来る』は二人称の「きみ」で語られる少年の視線を通して、無惨に殺された人々を描きながら、少年の周囲の人々の時間的経緯をも複数の始点から描いていった。
 まだ中学三年生だったトンホ少年は、ソンジュ姉さんや女子高生のウンスク姉さん(血のつながりのある姉ではなくとも親しい年上の女性を「누나」姉さんと呼ぶ)らとともに尚武館で遺体の管理を手伝った。民主化運動に参加して軍人に殺された人々の遺体だ。少年の知っていたイム・ソンジュは忠壮路にあるブティックの裁縫師だった。しかしその前、ソンジュはソウルの紡績工場で働いていた。そして労組員として仲間とともに闘い、私服刑事に蹴られ踏まれて腸破裂し、入院中に解雇され、光州に帰って裁縫師見習いとして働いていた。
 戒厳軍によって鎮圧された市民軍の中に彼らはいた。幼く無抵抗の少年たちにさえ銃弾は撃たれ、銃剣は無惨に刺し込まれた。きみを語る僕であるもう一人の少年チョンデとともに、この小説は文字通り魂の小説、殺された霊魂が語る文学でもある。

   彼らの顔を見てみたい、寝入った彼らのまぶたの上でゆらゆらしてみたい、夢の中にすっと入り込んでみたい、その額、そのまぶたの上をゆらゆら飛び回ってみたい。彼らが悪夢の中で血を流している僕の目を見るまで。僕の声を聞くまで。なぜ僕を撃ったんだ、僕をなぜ殺したんだ。

1282_08_12 光州闘争で逮捕収監されたソンジュは、アカと呼ばれ〈地方都市のブティックに四年間潜伏して、スパイの指令を受けてきたというシナリオを完成させるために〉毎日出血で気を失うまで拷問された。
 ウンスクは4年前に浪人してソウルの大学に入ったが、そこも全斗煥政権打倒を訴える学生たちと彼らを阻止しようとする私服警官たちの闘争の場であった。結局学費が払えず教授の勧める出版社に就職して働いた。指名手配中の翻訳者の本を担当したため当局に呼ばれ、頰から血を流してもびんたされ続け脅される。〈おまえみたいな女はここでどうなろうが誰も知らんぞ、薄汚いアマ。〉指名手配中の男の高校の同級生である出版社の社長兼編集長は警察署に呼ばれても、無傷で戻ってきている。取り調べの場にはミソジニー(misogyny)が満ちている。
 この小説には無論個々の名前のある人間が多数登場するが、実のところ固有名詞で語られない。主人公は「きみ」であり「僕」であり、「あなた」であり「私」である。普通名詞で呼ばれる大勢が犠牲になったという意味もあり、また彼らの犠牲は普遍性を持っているからとも言える。私は1982年に光州を訪問したさい知り合った同世代の青年にまだ17歳の幼い妹がいて、裁縫の修行をしていたのを思い出した。
2000年光州民衆抗争20周年記念集会に参加したとき、死んだ娘の顔写真の入った名刺をそのお母さんから貰った。明るい笑顔だ。今日光州は韓国民主化闘争の聖地と呼ばれる。韓国の民衆は光州でもソウルでも、勝ち取った民主主義を奪われまいと闘い続けている。
 光州事件の犠牲者が埋葬された旧望月洞墓地へ通じる小道に石碑が埋め込まれていて、人々が踏んで行くようになっている。それは近在の村に全斗煥大統領が立ち寄ったさいに記念して建てられた石碑だそうだ。私が見たときは전の字が見にくかった。地面に微かに浮かんだ「전두환」の三文字はまだ見えるだろうか。土に埋もれても石が削れても、この石碑を踏み続けて民主主義は守られるに違いない。

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