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2016年8月26日 (金)

金重明『幻の大国手』再読

将棋の小説も面白く読める

 『世界最強の囲碁棋士、曺薫鉉の考え方』を読んで、囲碁ではないが将棋にかかわる金重明『幻の大国手』(新幹社)を再読した。1990年の出版である。金重明は『山岳武芸帳』で1997年朝日新人文学賞を受賞して文壇デビュー、『皐(みぎわ)の民』(2000年講談社)、『抗蒙の丘』(歴史文学賞受賞、2006年新人物往来社)など東アジアを視野に入れた力のある歴史小説を書いた作家で、岩波新書『物語 朝鮮王朝の滅亡』(2013年)などの著書もある。──ついでに言えば、『13歳の娘に語るガロアの数学』で2014年度日本数学会出版賞を受賞している。翻訳も多い。
Photo 『幻の大国手』は金重明の原点的作品と言える。
 朝鮮と日本の将棋が重要なモチーフになっているので、将棋を知っているとより面白く読めるかも知れないが、私のようなまったくの無知でも、文学と近代史に興味があれば魅了されること間違いない。
 戦中「七段殺し」の異名をとりながら、ある日忽然と行方不明になった新進気鋭の将棋指し金相鎬の行方を、1980年台に生きる在日朝鮮人で日本将棋の学生チャンピオンである金民石が追跡していく。金相鎬は、強制連行されて日本に来たチャンギ(朝鮮将棋)指しであった。金相鎬は北海道の炭鉱から必死で脱出しアイヌに助けられる。最果ての森に追いやられたアイヌの生活が美しく描かれるのは、神に感謝しながら自然の恵みを受け取るアイヌの生活に、作者が強いシンパシーを持ったからに外ならない。反対にシャモ(日本人に対する蔑称)は、自然を「資源」と呼んで破壊し収奪する。作者の資本主義文明に対する嫌悪も読み取れる。
 朝鮮に帰りたい金相鎬はアイヌ部落での生活に終わりを告げ、本州に渡って日本将棋の真剣師とよばれる賭け将棋師として転戦した後、東京で将棋の名人に弟子入りして専任将棋指しになった。将棋界ですぐに頭角を現した金相鎬だったが、心の中では朝鮮へ帰ってチャンギの名人とチャンギを打つことだけを願っていた。金相鎬は将棋の修行の間にも、チャンギの新しい定跡の研究に余念無くその成果を書き綴っていた。
 現代(1980年台)の金民石は、金相鎬が遺したチャンギ研究の原稿を手に入れ、書き写して韓国へ行く。金民石は韓国でチャンギ指しの女子大生と親しくなり一緒に金相鎬を追うが、北朝鮮のスパイとして保安司令部に逮捕されてしまう。
 戦中の金相鎬はチャンギ一筋で他のことに関心を持たなかったが、日本の朝鮮支配という歴史に翻弄され、最後は同胞の裏切りにあい、大国手(チャンギの名人)白基徳と自宅で対戦中に、特高警察によって殺されてしまう。
 将棋とチャンギの天才金相鎬に魅かれて、チャンギの世界に入って行く金民石の姿には金相鎬が重なって見えてくる。金相鎬が日本の憲兵に捕まって受ける拷問と、金民石が韓国の保安司令部で受ける拷問の様子も時代を超えて二人を結び付ける。
 『幻の大国手』は日韓の近代史を将棋とチャンギを題材にダイナミックに描いた傑作だ。文体にまだ荒さがあり誤植も残っているが、作品の文学的価値を損ねるものではない。改訂版の再版を期待したい。
            (金重明『幻の大国手』1990年 新幹社発行 草風館発売 本体2000円)

2016年8月19日 (金)

曺薫鉉『世界最強の囲碁棋士、曺薫鉉の考え方──考えれば、必ず答えは見つかる』(アルク)

「考え」は時代も国境も遙かに超える
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 私は、卓球はまったく分からない。経験も殆どない。温泉卓球でも低レベルだ。オリンピックで観る卓球の解説もさっぱりだが、それでも面白いと思って観ている。囲碁番組はさすがに見たことがない。囲碁・将棋・麻雀及び賭け事に興味がないからだ。
 韓国語勉強のために賭博師を主人公にした韓国ドラマ「オールイン」は観た。イ・ビョンホン主演で、ソン・ヘギョ、パク・ソルミも出ていた。ソン・ヘギョの子ども時代を同い年のハン・ジミンが演じた。出演者だけ見ても面白いに決まっている。このドラマのモデルになった実在の人物は囲碁の世界でも活躍したことをこの本を読んで知った。私が棋士が書いた本を読むことになるとは思わなかった。『世界最強の囲碁棋士、曺薫鉉の考え方──考えれば、必ず答えは見つかる』は、温泉卓球レベル以下の囲碁知識の者にも読める。囲碁知識は有った方が良いかも知れないが無くっても差し支えない。では人材育成のハウツー本かと思いきやそうでもない。ハウツー本の持つ(あるいはそういうセミナーの持つ)単純明快な一貫した論理性にかけている。矛盾に満ちた本だ。
 曺薫鉉(チョ・フンヒョン)は貧しい家庭に生まれたが囲碁の才能に恵まれ満10歳の時に日本に留学して、80歳を越えた瀬越憲作の内弟子になる。瀬越は知る人ぞ知る日本囲碁の立役者だ。瀬越は生涯で呉清源、橋本宇太郎、曺薫鉉の三人しか弟子を取らなかった。呉清源という名は門外漢の私でも聞いたことがある。中国、日本、韓国から一人ずつ弟子を育てた瀬越憲作ににわかに興味が湧く。
 瀬越は言う「答えはないが、答えを探そうと努力するのが囲碁だ」
 瀬越は囲碁の打ち方を一切教えず放任した。自分でもがき苦しむ環境を与えただけだった。曺薫鉉は〈本当の幸せはしっかりとした自我から来るのだ〉と言う。しっかりした自我を植え付けることが瀬越の教育なのだった。
 曺薫鉉はもう一人藤沢秀行の研究会にも参加した。この二人が曺薫鉉の師である。藤沢秀行が破天荒な棋士であるということは聞いたことがある。曺薫鉉という棋士は、囲碁を芸術として道を究めた瀬越と、人情家の酔っ払いである藤沢の影響を同時に受けた。その人生は最初から矛盾の中にあったと言えよう。
 2014年に「未生(ミセン)」というドラマが韓国でヒットした。人生を囲碁にかけていた若い棋士がサラリーマンになり囲碁になぞられて人生が語られる。このドラマが大ヒットしたこともあって、囲碁は一寸したブームになったらしく、この本もベストセラーになった。「未生」は日本でもこの1月からBSで放映されたらしいが、私は観ていない。日本版リメイクのドラマもやっているらしいが今のところ知らない。
 曺薫鉉の哲学は副題にもあるように考え抜くことだ。考えに考えて疑問を持ち質問し、共同して検討する。その考えの根本に人格を置く。なんだかビジネスシーンにおけるPDCA(Plan Do Check Action)みたいだと鼻白むことなかれ。中田英寿も「何をやったかといえば、考えること。考えて考えて準備した」と言っていた。でもこの本は人生の勝ち方指南の書ではない。確かに〈高い年棒をもらうのは、それに見合う能力を認められたということ…自慢すべきことだ。〉とも書いているが、「勝利を貪れば得ることはできない」とも言う。矛盾に満ちているが、人生を知っている者の言葉だ。
 曺薫鉉はドラマ「オールイン」のモデルとなった車敏洙(チャ・ミンス)とも親しい。「オールイン」は車敏洙をモデルとしてその半生を描いたのだが、実話の方が余りにもドラマチック過ぎて嘘っぽいので、ドラマではリアルに見られるように脚色したという話題のドラマだった。
 車敏洙は囲碁の実力も大したものなのだ。アメリカでも成功した車は、1980年台まだ韓国と中国に国交がない時に、中国棋院との関係をつくり中国囲碁の発展に力を尽くした。世界の囲碁が発展するためには中国の囲碁の成長が必要だと思ったからだ。家元とか民族といった狭い枠の中に止まっていてはならない。
 曺薫鉉は幼いときから囲碁という狭い世界に囚われ、運転免許もクレジットカードも持たず、スマホどころか携帯電話も使わない。それなのに彼の「考え」は一人の勝敗より世界への囲碁の広がりへ発展していった。囲碁は時代も国境も遙かに超えていた。人生なんて短いがけっこう奥が深いのだ。
 この本には結論はない。小説ではないのでまとまりもない。途中に著者の「無心」と書いた書が挿入されている。無心なんて書く人間は無心になれないから書くのだろう。曺薫鉉は今年国会議員になった。翻訳した戸田郁子さんに尋ねたら「悪手と知りつつ打ったのでは…」と返ってきた。曺薫鉉はオンラインゲームに参戦したこともある。囲碁人口を広げるための悪手だった。なりふり構っていないなと思う。藤沢秀行なら笑うだろうが、瀬越憲作には叱り飛ばされるのでなかろうか?
 そうそう囲碁・将棋に興味がないと冒頭に書いたが、一作だけ韓国将棋指しのことを書いた傑作小説を読んだことがある。金重明『幻の大国手』だ。この作品については別途書くことにする。

2016年8月15日 (月)

リヒター『あのころはフリードリヒがいた』

 『あのころはフリードリヒがいた』という小説はドイツ人作家ハンス・ペーター・リヒター(Hans Peter Richter 1925-1993)によって1961年に発表され、1977年に上田真而子訳で日本語版が出版された。現在は2000年6月に新版が発行されている。
 ここに掲載する書評は、1993年にシアレヒムの会発行の『粒(RYU)』第7号に発表したものの再掲載だ。アベ極右政権による中国・朝鮮を敵視する排外主義扇動が排外的憎悪を導き、凄惨なヘイトクライムを引き起こしている現在に抵抗する文学だと確信するからだ。読み返してみると決して出来の良い書評ではないが最低限の紹介にはなっていると思うのでそのままアップすることにした。

歴史に対する自己批判

 しまったと思った。この本の書評はたいへん難しい。この本は、中学生向けの文学書Photo_2であり、決して小難しい社会学の本などではない。むしろ平易に書かれている。しかし、ここに描かれた人間の営みのどうしようもない愚かさをいったい人に伝えることができるだろうか。
 これから読む人のために、ストーリーを紹介するのは憚かれるのだが、主人公の少年「ぼく」やその友だちフリードリヒは、作者ハンス・ペーター・リヒターと同じ一九二五年に生まれている。そして、その年から一九四二年までを、少年の目でユダヤ人の友とその家族を追って展開していく。ヒトラーがドイツ帝国首相になりユダヤ人排斥運動が開始されるのは一九三三年である。つまり、「ぼく」はそういう時代に遭遇し自らも飲み込まれながら、フリードリヒを見詰めているのである。
 「ぼく」の両親とフリードリヒの両親は子供を介して親しく付き合っている。こんな場面がある。二人の小学校入学の日、二家族はお祭り広場で遊び、最後に六人で伸び縮みのする木馬に乗って記念写真を撮って大笑いをする。貧しくても幸せな日々だ。「ぼく」の父さんは初めのうち失業していて貧しいが、ナチスの党員になることによって職を得る。フリードリヒの父シュナイダーさんは郵便局を首になり、徐々に排斥を受けていく。
 「ぼく」は少年たちの憧れであるドイツ少年団に入る。フリードリヒも入りたがるが、フリードリヒはドイツの敵ユダヤ人である。「ぼく」が知らず知らずのうちにユダヤ人迫害に参加して行く過程は恐ろしい。破壊者たちがユダヤ人の寮を襲撃に行くのについて行き、参加してしまう。破壊者たちがドアを壊す場面がこうだ。

   そのときだった。その「よいしょ。」につられて、ぼくの口から声がでた。そして、一声一声、ぼくはドアに体をぶつけている人たちの方に近寄っていったのだ。気がついたときには、ぼくは力いっぱいドアを押していた。どうやってドアのところまできたのか、自分自身、もうわからなかった。そのときには、見物している人はもう一人もいなかった。

 恐ろしい力に曳かれて破壊者になっていく。現在のヨーロッパのファシズム台頭もこのようにして過激化していくだろう。日本の外国人差別もまた、同じ道を辿るに違いない。
 終わり近く、一九四二年ドイツは連合軍の空襲を受けているころだ。十七歳になっているはずのフリードリヒが「ぼく」の家を訪ねて来る。「ぼく、父と母の写真がほしいんです。(略)小学校の入学式の日、長い馬に乗って写したの、──あれお宅にあるでしょう。ぼく、覚えてるもの。(略)」
 フリードリヒと彼の両親がどうなったのか、歴史の示す通りである。
 訳者の上田真而子は、こう書いている。

 自分たちの歴史の、辛い一時期のあのできごとから眼をそらせて、簡単Photo_3に忘れ去ろうとするのではなく、もう一度、問題としてはっきり受けとめようとするドイツ人の態度、外国人であるわたくしにまですすめてくれた若い女店員の態度──その他、大勢のドイツ人がこの本を推薦してくれました──に、わたくしは深い感銘を受けました。

 違う文化、違う宗教を持った者を受け入れる態度と、過去の歴史を常に批判的に学ぶ強い姿勢、日本人が学ぶべきものがここにたくさんある。

(『あのころはフリードリヒがいた』ハンス・ペーター・リヒター 作 岩波少年文庫)

2016年8月 3日 (水)

葬式の話

 佐伯一麦の『還れぬ家』を読み終えて思い返すと、ここのところ葬儀の場面が描かれた小説を続けて読んでいるような気がした。振り返ってみると、山崎ナオコーラ『美しい距離』、滝口悠生『死んでいない者』などが思いついた。
 私自身もこの年までには覚えていられぬほどの数葬式を経験してきた。なかでも東日本大震災の前年冬の伯母の葬式は印象的だった。その葬式は寒い風の日の非常に簡素なものだった。89歳で逝った伯母の遺影を白い花で飾っただけの祭壇に焼香台が置かれていて、無宗教なのに焼香はするのかと訝った。その頃すでに足腰の弱っていた母は家に置いて従兄の車で荒川縁に近い葬祭場に行った。故人の娘である従姉の夫が異常にうなだれていて、隣に座った従姉の娘に「お父さん大丈夫」と訊くと、「アル中でダメなのよ」とあっさり応えられてしまった。その時は次は母の番だと漠然と思ったのだったが、90になる今年もなんとか自分の足で歩いている。
 父の葬式は1996年だから20年以上前になる。あれは大変だった記憶だけで詳しいことは覚えていない。埼玉の葬式は略式が多い。死者が出ると葬儀屋が手配して葬儀場で通夜から葬式まで行い、火葬場まで案内されるのが普通だろう。初七日も葬式の日にやってしまうし、香典返しも葬儀の帰りに一様に渡してしまうのが普通だ。ところが東京生まれの母は四十九日過ぎてからの半返しに拘った。一人ひとりに違う品を渡さなければならなかったので、喪主で会社員の私は香典をくれた数十人の同僚への香典返しが面倒だった。葬式も斎場を借りず自宅でやった。母は張り切ったが私はうんざりした。母の葬式は絶対簡略に質素にしてやると思ったものだ。葬式は故人の意向を反映しない。そもそも真言宗の我が家の葬式が日蓮宗の僧侶で行われたのを、農家出の父はどう思っただろう。死者はともかく父方の叔父や従兄弟たちは鼻白んだのでなかったか、と今になって思う。母に信仰があった訳ではない。僧侶と母は、もともと呉服屋と客の関係だった。在家仏教で僧侶になった呉服屋さんは廃業した後は仏教で身を立てている。今も法事の連絡は僧侶のほうからかかってくる。
 40年程昔に参列した父方の伯父の葬式も印象に残っている。父の実家は鴻巣あたりの農家だったので、同じ埼玉と言っても会社員家庭育ちの私からすると随分な田舎の因習のように感じられた。なにしろ遺体を担いだ列に並んで墓地まで歩いたのは最初で最後だ。土葬だったのだ。土葬は禁止されていなかったのだろうか。寝棺は寺の墓地に埋められた。映画で観るように皆で少しずつ土を被せた。古い墓穴の跡は棺桶の形に凹んでいる。墓穴の上に白木で組んだ骨組みだけの屋根が置かれたような気がするが記憶が定かでない。あったとすればタマヤ(魂屋)だったのかも知れない。
 埼玉の葬式と言えば、終始葬式の周囲の出来事を描いた滝口悠生『死んでいない者』が連想されるが、あちらは入間など埼玉県西部が舞台。浦和・大宮・上尾と高崎線で北上する地域との文化的交流は少ない。とは言え、地域性の感じられなさは同じ埼玉らしさか。葬儀会場が寺でも専用葬儀場でもなく地区の集会場である点に中途半端な田舎っぽさが感じられ、現さいたま市を中心とする県中南部とは違う気がする。この小説の葬儀は徹頭徹尾儀礼的で、地方の風俗らしきものや、地域特性といったものが感じられない。もっとも地方の人間が読んだら特異な地域性が表れているのかも知れない。埼玉に住む鹿児島出身の友人が葬儀後の精進落としに寿司が出てきたのに初めはショックだったと書いている。
 佐伯一麦『還れぬ家』で描かれた葬式にも寿司は出てくる。主人公の母親は急な仮通夜にもかかわらず無理して寿司を振る舞おうとする。悪気がある訳ではないけれど、人目を気にして頑固な自分のペースに周りを巻き込むところなど私の母とよく似ている。母親は息子に相談なく近在の黄檗宗の寺の檀家になっていた。この小説を読んでいても、母に信仰それも禅を学ぶ知的な信仰があるとは思えない。墓所を確保するという形式の安定を求めてのことだ。仏教儀礼としての法事に頓着するのではなく自分の見聞きした慣習には頑なに拘泥する。
 『還れぬ家』は認知症に罹った父をめぐる夫婦の日々を、3・11を挟んで描いた典型的な私小説で特別なドラマはないが、妙に同調するのは母・息子の関係に親和感があるのだろうと思う。それに主人公幼児期の原体験が、被害者であるにもかかわらず母親の叱責の対象だったり、家族の相互不和の原因が意外と小事であったりするところが、日本人私のリアリズム感覚と合うのかも知れない。韓国文学であれば背景に歴史的大事が設定される場合が多いし、幼い息子が辱められたと知った母親ならば大仰に相手をとっちめるだろう。そうした境遇とは著しく異なる。
 芥川賞を今回も取り損なった山崎ナオコーラの『美しい距離』は、死期の迫った妻との関係のあり方を距離という言葉で表した。生命保険会社に勤める夫は、サンドウィッチ屋の経営に生きがいを感じていた妻の葬儀から社会慣習を払いのける。自分の会社関係の立派な花輪を排除して、妻のサンドウィッチ屋を愛する人たちの小さめの花輪だけを飾る。死んだ妻の生を尊重しようとする夫の態度が、一般的な社会慣習や会社社会の常識と背理していて危なげだけれど好感が持てる。山崎ナオコーラは死者を弔う葬式を描いた。
 葬式のない死も文学は弔った。木村友祐『イサの氾濫』所収の「イサのその後、そしてあとがき」には、身寄りのない人のための施設で死んだイサじちゃんの葬儀のない火葬について書かれている。売店で買った骨壺に「白く乾いた骨」を入れて抱く様子は、金泰生の『骨片』を彷彿させる。生き別れた父の骨片を警察病院の一隅に探し当てた葬式のない死の描写だ。忘却という二度目の死は文学によって免れたのだ。
 因みに映画では伊丹十三監督「お葬式」(1984年)や、林權澤監督「祝祭」(1996年)などがあり、前者は現代日本の一般的葬式を、後者は韓国の伝統的葬式に際した人間模様を描いて面白い。

2016年7月13日 (水)

木村友祐「野良ビトたちの燃え上がる肖像」(『新潮』8月)

反撃は周縁から始まる

2016_2 参議院選挙の結果はアベ政権の与党自民・公明の勝利に終わり、改憲勢力によるソフト国家主義への道がまた一歩進んだ。政権に媚びへつらったマスコミの控えめな選挙報道や争点隠しのせいで、今回も低かった投票率では実際の政権支持を表していないとは言え、政治的プロセスは画期を迎えた。しかしながら原発事故汚染後、復興の遠い福島をはじめとした東北各県や、基地問題に揺れる沖縄などでは民主勢力の巻き返しも目立った。
 小説『イサの氾濫』(未來社)で東北のまづろわぬ民の怒りを表した木村友祐の新作は、前作を凌ぐ迫力で統制されようとする社会に生きる野良ビトたちを表出して見せた。トリクルダウンのオコボレにしがみつく我々に生きる意味を突きつけてくる。
 河川敷の住人の一人柳さんはアルミ缶を集めて、生活費とキャットフード代に充てている。河川敷には野良ビトだけではなく、野良猫も共生しているのだ。柳さんは近頃嫌な雰囲気を感じている。アルミ缶の買い取り価格が落ちこんでいる為だけではなさそうだ。流入者がやたら増えてきた一方で、河川敷に住む猫がクロスボウの矢で射殺されたり、空缶やダンボールを提供してくれていた商店がおおっぴらには協力してくれなくなりつつあった。
 ゲーテッドタウンと称される超高級住宅地は高い柵に囲まれ出入りはガードマンによって規制されている。柳さんたちホームレスはもちろん住民以外は招かれなければ侵入することのできない柵のなかには「火葬場と墓地以外はすべてある」と言われている。庶民とは隔離された社会が現れ、周囲に隣接する一般人の街もまた重層的差別社会へと変貌しつつある。まさに1%の富裕層をより豊かにするための法整備が進み、彼らの使った金が下層市民の所得になっていく。庶民は階層ごとに分断され相互に監視支配を強化し排撃する。そんな戦時中のような社会の復興がアベノミクスの指標だろうと、木村友祐は気付いているに違いない。
 「野良ビト」とは多摩川ならぬ弧間川河川敷に住んでいるホームレス全体をさし、彼らは近頃「野良ビト(ホームレス)に缶を与えないでください。」などという看板に行く手を阻まれている。東京オリンピックならぬ東京世界スポーツ祭典の開催を二年後にひかえ、街の再開発と美化運動やテロリストを警戒した警備体制の強化、自警団の跋扈によってホームレスは行き場を失いつつある。自警団は刺股をもってホームレスを追い回している。やがて河川敷の野良ビト共和国は柵で覆われ火を付けられる。白色テロは現実にも目の前に迫っているのだ。
 不景気煽動罪で報道が規制されるなか、最下層の人民は河川敷に貧しく暮らすことさえ赦されない。その行き先は放射能汚染廃棄物の処理労働要員かそれに類する使い捨て労働現場だ。それにしても深刻な社会問題のただ中に、一人ひとりがそれぞれの違った個人史を抱きながらも野良ビトたちはユーモラスと思えるほどに逞しく生きている。彼らを不良債権と断じるのか、貴重な社会の人材と尊重するのか人間性が問われるところだ。
 ホームレスや非正規労働者を主人公においた小説は最近少なくない。なかでも柳美里『JR上野駅公園口』は、主人公の出身地が東北ということで『野良ビトたち~』と共通点がある。柳美里は東北の人民が差別された歴史の襞を上野に見つけて書いた。木村友祐が選んだ河川敷は言わば周縁地域だ。いよいよ追い立てられ逃げに逃げた先だ。これ以上先はない。反撃は常に周縁から始まるのだ。

2016年7月 1日 (金)

キム・ヨンス『ワンダーボーイ』CUON

苦しみさえ伝えられない
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 『ワンダーボーイ』と聞いて、韓国の女性ボーカルグループ「ワンダーガールズ」や、はたまたカン・ドンウォンとコ・スが闘った映画「超能力者」を思い浮かべた人はいなかっただろうか?
 まったく違った。この小説の主人公は人の悲しみ苦しみを理解してしまう。人の心に同調し、人の思いを読んでしまう。そして自分の悲しみを他人に反映させ涙をうつす。父を失う交通事故に遭遇してから、少年は彼を取り巻く環境と正反対の能力を得てしまったのである。その時代は拷問で反政府活動家たちを葬り去る社会だ。少年キム・ジョンフンは人の心を読む能力のために、取調室で拷問を受けている男の心を読まされた。
 韓国の女性作家千雲寧も小説『生姜(センガン)』で拷問社会を描いた。しかしそこに描かれたのは韓国民主化後1988年から1999年まで、ファッショ政権の残滓たる拷問技術者とその娘の11年間だ。キム・ヨンス『ワンダーボーイ』が描いた時間は1980年から1987年まで、拷問の時代まっただ中だ。光州民衆抗争を鎮圧し権力を握った全斗煥から盧泰愚と続く軍事ファッショ政権によって自由な意思表示が禁止された時代、反政府的言動をすれば北朝鮮のスパイと断じられ、拷問によって口を割らされる(捏造される)時代だ。そして1987年の6月民衆抗争によって韓国社会が民主主義を勝ち取る端緒についた年までの7年間、孤児となった少年の成長の記録は韓国社会の希望への変遷史でもある。因みに翻訳者は著者のあとがきを〈時代背景にとらわれずに読んでいただきたい〉と解釈したようだが、時代を変えたら別の作品になっていただろう。
 1980年台を振り返って見ると、国は違ってもぼくもそれなりに走り抜けていた。李恢成や張赫宙について書き、山代巴や在日朝鮮人文学の読書会に参加し、朝鮮語の学習グループにもいた。1982年、83年、85年に韓国を旅し、作家李東哲や映画監督李長鎬に会った。10年に渡る文学同人雑誌を始め、地元の住民運動にも参加した。あの頃の若いぼくにワンダーボーイ=キム・ジョンフンのような共感と同調の能力があったなら、その後の10年に別の形の個人史が築けたかも知れない。
 閑話休題
 小説は主人公への問いなのか読者への謎なのか不明のまま質問していく。誠実な読者は立ち止まり頭を悩ませながら読み進めなければならない。ひ弱な主人公の超然に読者は身をひきながらも共感するのだろう。
〈あの子は人の苦しみをすべて理解して、それをそのまま人に伝えられる能力がある〉
 ジョンフンは男装の麗人カントたちの助けを借りて、父や生まれてすぐ死んだと聞かされていた母の実像を知っていく。背景に朝鮮の分断という民族的課題も見え隠れする。カントであるヒソンも時代の犠牲者であり、大きな傷みを抱えて生きている。ジョンフンの人の心を読む超能力は失われていたが、ジョンフンが獲得していった真理は小さくはない。ジョンフンは、自分の時間と他人の時間の流れがそれぞれ違うことを知っていたし、わかり合えないとしても、独りでは決して自由になれない、ということももう理解していた。
 人間はどんな大きな苦しみを持っていても、それをそのまま人に伝えることはできない。苦しみさへ伝わらないのだ。言葉など伝わるわけもない。心に思った表層の言葉を「超能力」で読めたとしてもその奥深く沈んだ真実の言葉の理解にはほど遠い。われわれは伝わらない言葉を必死になって伝えようと努力する。発した本人さえ充分に分かっていない言葉を表現しようとする、その努力が文学なのかも知れない。まあそう考えれば一寸ヘボい日本語訳も一興に思えなくも無いかな。
 김연수キム・ヨンスは韓国では人気作家だ。こうした質の高い文学作品が大衆的に評価されるところに韓国社会の知的センスの高さが窺える。本作が単著翻訳としては2冊目、もう一冊『世界の果て、彼女』(CUON)がある。なお愚銀のブログでは『波が海の業ならば』についても紹介している。これも翻訳出版が待たれる。

2016年6月 6日 (月)

千雲寧『生姜(センガン)』

歴史の傷痕は人間の心に刻み込まれる
千雲寧(チョンウニョン)『生姜(センガン)』 橋下智保訳 新幹社

Photo 韓国ソウル市の再開発事業に伴い、西大門刑務所の向かいに存在する옥바라지골목(okbaraji kolmok)=「差し入れ横町」の解体が進んでいる。
 韓国ソウルの西大門刑務所博物館は、朝鮮独立運動弾圧の象徴としてかつての刑務所をそのまま博物館として遺した場所で、韓国の青少年や日本人旅行者に対する歴史教育の役割を果たしている。しかし西大門刑務所に収監されたのは独立運動家だけではなかった。李承晩─朴正煕─全斗煥と続く反共軍事独裁政権に抵抗する民主化運動に参加した多くもここで苦汁を嘗めさせられた。その多くが拷問によってでっちあげられた「罪状」によってだ。
 「差し入れ横町」は収監された人々を支援する名も知れぬ市井の人民のための旅館などが集まった場所だ。中野重治が詩「その人たち」で表したような運動家を支える庶民の横町だ。独立運動や民主主義のために闘った人々を支える抵抗の痕跡を消し去ろうとするなら、それは蛮行と呼ぶべきだ。(韓国の新聞ハンギョレ掲載の藤井たけし氏のコラムを参照されたい。http://www.hani.co.kr/arti/opinion/editorial/732467.html
 ファシズムを含む全体主義政権下では、多くの抵抗者たちが拷問によって自白を強要された。戦前のプロレタリア作家小林多喜二の拷問死は、アベ政権下の日本では心ある作家の将来を憂えさせる。韓国のファッショ政権による拷問の様子は、自らの経験をルポした徐勝『獄中19年』(岩波新書)には淡々と書かれた。小説では趙廷來『太白山脈』や金石範『過去からの行進』などにも描かれたし、映画「ペパーミントキャンディ」や「大統領の理髪師」などにも拷問シーンが登場する。
 これらの中で拷問者を葛藤する一人の人間として表出したのは、光州事件を背景とした「ペパーミントキャンディ」ぐらいだ。ましてその家族の煩悶を描いた作品など寡聞にして知らない。(『生姜』に触発されて作ったというチョン・ジヨン監督「南営洞1985」は当然拷問による人間破壊が主題となっている。)
 千雲寧の『生姜(センガン)』は、ファッショ政権下で拷問を手段に民主活動家や、何の関係もない市民を「北」のスパイにでっちあげてきた男と、彼を尊敬していた高校を卒業したばかりの娘の物語だ。
 全斗煥政権に反対した者を徹底的に弾圧してきた男「安」も政権の終焉とともに凋落し逃亡しなければならなくなる。男は行き場を失い自宅の屋根裏部屋に隠れる。男の上司も部下も彼を庇う余裕を持っていない。
 娘「ソニ」は意気揚々と大学に通いはじめるが、そこでできた人間関係によって父親に保護されてきたこれまでの生活を見直さざるを得なくなる。やがて自分の父親が社会の嫌われ者で、多くの市民を虐待した犯罪者として追われていると知る。拷問技術者として悪名を轟かせた男と、まだ純情だった娘の従属と反駁の11年が、屋根裏部屋の床板である娘の部屋の天井板一枚を挟んで過ぎて行く。
 大学を中退し人気のポップソングが流れるヘアサロンで働いていたソニは、母が経営していた昔ながらの美容室で客を待つようになる。古い独裁政治の時代と新しい民主主義の時代は板一枚を隔ててせめぎ合っている。ソニは古い時代に従属しながら、そこから逃れようと足掻いているのだ。
 自己保身を正義と信じる安の姿は、ハン・ガンの小説『菜食主義者』の父親を彷彿させる。彼はベトナムでの勇ましい虐殺を誇って家父長としての自己を保っている。あるいは日本人にとっては靖国神社だ。軍国主義の亡霊を祀って心安んじるのは、その時代に死んでいった人々ではなく、軍国主義に従属し続ける人々だ。『生姜』のエピローグ、母親のアカを呪う言葉は、分裂する韓国の保守派のボヤキであり、現代日本においては反動政権に従属して軍国主義復活のオコボレを狙う「保守派市民」の声に聞こえる。
 韓国の民主主義は韓国の人民が幾多の犠牲を払って闘いとったものだが、それでも民主主義を守りぬく継続した抵抗が維持されなければ、差し入れ横町はただ取り壊され、歴史は無かったものとして葬りさらえてしまうだろう。しかし開発行政が反植民地、反独裁の痕跡を塗り潰したとしても、文学には深い傷痕として永遠に残される。

2016年6月 2日 (木)

韓国文学

韓国文学の頁を紹介します。(クリックして下さい)


キム・ヨンス『ワンダーボーイ』

キム・ヨンス『波が海の業ならば』

千雲寧『生姜(センガン)』

鄭智我『歳月』

金承鈺『ソウル1964年冬』

ハン・ガン『菜食主義者』

チョウ・チャンイン「クミョンに灯る愛」

孔枝泳『るつぼ(トガニ)』 

イ・ジョンミョン『星を掠める風』 

イ・ジョンミョン『根の深い木(景福宮の秘密コード)』

ク・ヒョソ『長崎パパ』

尹在賢『ある独立運動家の祖国』

チョン・セラン『アンダー・サンダー・テンダー』

キム・リョリョン『優しい嘘』

キム・リョリョン『ワンドゥギ』

チョン・イヒョン『マイスイートソウル』

鄭棟柱『神の杖』

2016年5月28日 (土)

津島佑子『ジャッカ・ドフニ 海の記憶の物語』

「大切なものを収める家」としての文学
    ──津島佑子『ジャッカ・ドフニ』集英社

Photo 津島佑子の遺作『ジャッカ・ドフニ』は、和人に犯されて出産したアイヌ女性の子どもの物語であり、日本の前近代史が日本人を形成していく過程で起きたアイヌ迫害という過ちが背景に描かれている。しかしこの小説は日本の近代史がそうしたように、限られた範囲にアイヌの生死を閉じ込めたものではない。これは一人のアイヌ女性の生涯を東アジアの歴史に追った壮大な虚構だ。物語は17世紀初頭を時間的トポスとし、マツマエからツガル~ナガサキを経てマカウ、バタビアへと場を移していく。つまり読者は主人公の少女とともに、北海道から九州を経て中国から更にインドネシアまで広がる旅を経験する。登場人物の中にはイスパニアまでも辿り着く者もあり、閉ざされたイメージのアイヌの可能性を大胆に押し広げて見せた。
 この小説はしかし小説の構造も展開もそう単純ではない。小説は二重構造になっていて、全体としては近世として設定されているが、もう一つの時間である現代は二人称の「あなた」の物語として過去の記憶へ向かって進む。しかしこちらは骨のような神経のような役割を持っていて作者の個人史を思わせながら、その魂の揺らぎはもちろん読者に対する問いかけになっている。津島の作品の特徴とも言えるシングルマザーが「あなた」として語られるが、あなたは息子を失った傷みを抱えながら原発事故から逃れるようにシレトコを旅する。あなたは放射能から逃れるかのようにアイヌモシリを旅し、アイヌやウィルタなどの少数民族への共感を確認している。
 一方、16世紀末アイヌと和人のあいのことして生まれた幼いチカップは軽業師の親方に売られるなどの苦難を経てキリシタンのパードレ(神父)に救われ、隠れキリシタンの一行と同行する。チカップはチカと呼ばれ、兄と慕うジュリアンの想像力によってアイヌとしての自覚を呼び起こしていく。そして美しいアイヌの歌を口ずさむまでになる。
 ジュリアンはマカウでの勉強でパードレになるという目的を持っている。キリシタン一行は激しい迫害から逃れて海を渡る。キリシタンは日本人であっても被迫害マイノリティである。キリシタンに対する普通のニホンジンの憎しみをジュリアンたちは理解できない。理解しないという抵抗が描かれる。一方的に襲いかかってくる暴力の醜さは、屈辱であり人間が崩れ落ちる怖さなのだ。
 一行には子どもの頃チョウセンから連れてこられたペテロがいて、マカウでのチカの助けになる。秀吉の朝鮮出兵の残像がペテロに照射されている。その他にもマカウやバタビアでは混血の人々が多数登場するのが印象的だ。津島佑子の他の小説例えば『ヤマネコドーム』と同じように、単一人種幻想を打ち捨てたハイブリッド感覚が表出される。
 津島文学は男尊女卑的家制度に対する抵抗、単一民族幻想に対する批判を根幹にしている。成長したチカの自由な生き方にはその両方が表れている。届くかどうか分からないジュリアンへの3通の手紙は文学の根源的な形を見せ、途中に挟まれる代筆者の言葉こそ文学評論の譬えなのだろう。この作品自体がジャッカ・ドフニ=大切なものを収める家としての役割を果たしている。これを叙事詩と呼んで差し支えないと信じる。

 筆者はアイヌの文化や文学に関して無知だが、16年前の5月、韓国の都市光州から近い智異山の宿舎の一室で上西晴治の『十勝平野』(筑摩書房)を薦められたことがある。薦めてくれたのは哲学者・住民運動家で北海道大学教員経験のあるH氏だ。『十勝平野』は騙され続け奪われ続けたアイヌ民族の来歴を徳川時代から戦後までに渡って描いた壮大な歴史ドラマであり、アイヌ現代文学の金字塔と言える。また、岡和田晃編『向井豊昭傑作集 飛ぶくしゃみ』(未來社)には「うた詠み」「耳のない独唱」などアイヌをモチーフとした小説が収録されている。参照されたい。

2016年5月11日 (水)

崔実「ジニのパズル」

繊細で壮絶な抵抗
  ──崔実「ジニのパズル」(『群像』6月)第59回群像新人文学賞受賞作

 崔実(チェ・シル)「ジニのパズル」は「当たり前のこと」にされていることに異議を唱える小説だ。主人公のジニはどこにあっても異分子だ。
 ジニはオレゴン州の高校に留学しているが退学しかかっている。学校生活になじめないジニはマギーとだけは親しく話す。マギーはジニのただ一人の友だち。マギーとの会話は筆談だ。おそらくマギーは聾唖者なのだろう。ここに作者の言語との格闘の真摯が窺われる。読み書き話すことは自明ではない、という当たり前の前提を作家は提出している。
 しかしこの小説は岩城ケイ『さよならオレンジ』のような、外国に行った日本人が言語を獲得する過程で人生を再確認するといったドラマではない。なぜならジニは在日朝鮮人なのだ。ジニは東京、ハワイ、オレゴンと漂流するが、日本語を母語とする〈日本生まれの韓国人〉として実存する。母方の祖父は北朝鮮に「帰国」している。小学校までは〈日本学校〉に通っていたが、ある決意をして中学から朝鮮学校に通う。1998年のことだ。長野オリンピックが開催され、サッカーワールドカップフランス大会に日本代表が初参戦した年。新しい歴史教科書を作る会が日本の戦争犯罪を隠蔽した戦前回帰の教科書を作ろうとして、所謂自由主義史観という日本主義的言説がもてはやされていた。北朝鮮のミサイル発射訓練をネタに在日朝鮮人にたいするヘイトや暴言が広まっていた。戦後民主勢力の一翼を担った社会党はとうに壊滅し後継の社会民主党も分裂、民主党が結成された。日本社会の右傾化は目に見えていた。
 街頭では右翼の宣伝カーが「朝鮮人は、出ていけー。朝鮮人は国へ帰れー」とがなり立てている。そんな時代にジニは育ちチマ・チョゴリと呼ばれる民族衣装で通学する朝鮮学校に入学したのだ。「在日韓国人」と言っても朝鮮語は殆ど分からない。まるで異文化の教室にジニは神経を尖らせて、猫が毛を逆立てるように入って行く。朝鮮学校の生徒たちのなかには敵意を剥き出しにする者もいるが親切に接してくれる友もいて、先生もまたジニが学校に溶け込めるように配慮している。クラスの授業をとうぶんのあいだ日本語で進めてもくれる。
 しかし北朝鮮バッシングと在日ヘイトのうねりの中で、ジニは自己の存在に嫌悪を抱き始める。黄英治『前夜』では在日でありながらヘイト団体に加わる共田浩規の重い役回りを、崔実はまだ幼い少女に負わせた。社会の現実はジニが思うより過酷だ。成長とともに少しずつ見えてくる恐怖に立ち向かうにはジニは幼すぎた。壊された魂は朝鮮学校の友人たちや職員に向かわざるを得ない。ジニの生は優しい親切な友の心を壊すことでしか確認できなかった。こんな残酷な小説が書かれるのは、この日本が腐敗しているからに外ならない。ジニの魂の恢復がアメリカでなされようとする展開に納得しつつ悄然とする。納得の部分は、小説では描かれない背景にもう一つの言語(英語)との闘いが潜んでいる筈だからだ。
 日本人であることが自明であると、何も疑うことのない足枷を我々は塡められている。日本人であるから日本語が喋れると思い込んでいる。しかしインターネット上には理解しがたい「日本語」が溢れている。日本人であることにしがみついて他者ヘイトを繰り返している人々の日本語リテラシーの低さは度し難い。朝鮮学校の生徒・学生たちははっきり意識して朝鮮人になろうとしている。これが民族教育だ。努力せず、せいぜい戦前の大日本帝国への回帰しか念頭にない自称「右翼」は恥を知るべし。
 朝鮮学校を描いた小説は今までにもあった。姜一生『私の学校』(1982年 同時代社)や權載玉『青春教師』(1995年 朝鮮青年社)は繊細で毀れやすいが希望に満ちた民族教育を教師の立場から描いた。金城一紀『GO』(2000年 講談社)の主人公も在日で、朝鮮高校に通う学生たちが登場する。これは映画にもなった。映画では「パッチギ!」が有名だ。どちらもエンターテインメントで面白おかしく在日の青春を表現した。
 しかし、「ジニのパズル」ほど切なく厳しい朝鮮学校の青春を描いた作品があっただろうか。そこには一色に染まらない多様さへの希求がうっすらと見えてくる。単一民族幻想に染まった「島国」での生きがたさは打破されなければならない。魂を揺さぶる繊細な文体の裏側に読者が読み取るべきものは少なくない。

2016年3月31日 (木)

金承鈺『ソウル1964年冬』

屈従と暗澹の不条理な社会に生きる
         ──金承鈺 青柳優子『ソウル1964年冬』(三一書房)

1964 ユ・シミンは韓国現代史には二つの主体が存在すると書いている。〈ひとつは5・16軍事クーデターと産業化の時代を代表する勢力〉〈もうひとつは4・19革命、光州民衆抗争、民主化の時代を代表する勢力〉だ。(『ボクの韓国現代史』)
 「4・19革命」とは李承晩独裁政権を倒した1960年の学生革命のこと。学生を中心とした民主主義勢力よって独裁政権は打倒され、思うが儘に権力を振るった李承晩はアメリカの庇護の下ハワイへと逃亡した。ところが翌1961年、朴正煕らによる5・16軍事クーデターが起きた。民主主義への短い希望の時間は消え再び軍事独裁政権が成立した。結局〈1948年の大韓民国成立から1987年までの40年間、国民は国家権力に屈従して生きてきた。〉
 日本を振り返ると2016年3月29日安全保障関連法が施行され、国会前や大阪、沖縄など各地で反対集会が開かれた。全体主義国家への回帰を怖れる多くの市民が安倍政権に反対する声を上げている。「経済成長」の名の下に、報道が統制され政権の思いのままに法が解釈される。司法も立法も政権の支配下に置かれる。戦前の日本がそうだったが、1960年から40年間の韓国も恐怖政治に支配されていた。そんな社会で生きる屈従と暗澹を金承鈺は描いた。
 金承鈺は1941年12月生まれ。4・19革命と5・16軍事クーデターのときはソウル大学の学生だった。学生時代から作品を発表して注目され、1965年雑誌『思想界』に発表した「ソウル1964年冬」で東仁文学賞を受賞してを同世代(4・19学生革命世代)を代表する作家として認められるようになった。しかし1980年の光州民衆抗争の敗北を経て、執筆活動を止めてキリスト教の修道生活に入ってしまった。
 金承鈺の小説はこれまでも翻訳されていたが、青柳優子訳『ソウル1964年冬』(三一書房)は金承鈺作品だけを集めたものとしては初の単著だ。表題作「ソウル1964年冬」の冒頭は〈一九六四年の冬をソウルで過ごした人なら誰でも知っているだろう〉で始まる。この意味深な出だしは、直接には立ち飲み屋台の雰囲気を表している。しかし実のところ誰であれこの時代の閉塞性を感じるだろうということに思える。
 1964年と言えば、前年末朴正煕第五代大統領の第三共和国が発足、軍事独裁政権の地歩を固めた年だ。この年の春には軍事政権の進める韓日条約に反対する学生デモが頻発し、ソウル一円に非常戒厳令が敷かれた。夏には人民革命党事件がでっちあげられ、「4・19革命」派の勢力がことごとく逮捕された。民主主義が排除され「産業化」の時代が到来した。
 「ソウル1964年冬」の読者は夜の屋台で偶然出会った3人の男たちの空論に付き合わされる。士官学校を落ちて区役所で働いている田舎者と、金持ちの息子である大学院生、月賦書籍売りのさえないサラリーマン。しかし彼らの空論は切実なのだ。自分が独自の存在であることが否定される時代だ。夜間外出禁止令が出されたソウルの夜、ノンポリ青年たちの一晩はたわいないが無情だ。妻の遺体を売った金を火事場に投げ入れてしまうサラリーマンの絶望は凄まじい。僅かな支えを失った瓦礫の崩落を思わせる。他の二人の状況も大差ない。健全な生への執着が失われ、諦観から来る自己欺瞞が良心をねじ曲げるのだろう。独裁経済の成長は人間の希望を踏み台にする。武器輸出を可能にし戦争経済で儲けようという安倍自公政権のあり方の先に韓国第三共和国がぼんやり見えてくる。金承鈺が描く不条理は独裁経済と全体としてリンクしている。それはその時代のその場だけの特殊ではあるまい。
 「ソウル1964年冬」と並ぶ代表作「霧津紀行」などについては、かつてさいたま市のミニコミ『市民じゃ~なる』に「不条理な社会に個人の厭世は対峙しえるか――金承鈺『霧津紀行』」として書いた。PDFで読めるので参照願いたい。作家紹介と作品解説は青柳優子氏の解説に譲る。そのほかに、韓国歴史問題研究所研究員である藤井たけし氏の「切れて繋がる─朝鮮戦争における〈残された人々〉」(『現代思想』2003年9月号)は金承鈺を読み解く上では重要な評論だ。

2016年3月24日 (木)

まづろわぬ文学

木村友祐『イサの氾濫』(未來社)
 朝日新聞の日曜版Globeの連載「世界の書店から」は各国のベストセラーを順番に紹介していて、特に戸田郁子「ソウルの書店から」を面白く読んで参考にしていたのだが最近のは読んでいなかった。去年の10月から朝日新聞のだらしなさに怒ってという名目で、安い東京新聞に切り替えてしまったからだ。その旨をメールで戸田本人に伝えると、2月の記事は反響が大きかったとPDFを送ってくれた。
 紹介されたのは、尹東柱(ユン・トンジュ)『空と風と星と詩』の復刻版、金素月(キム・ソウォル)『つつじの花』の復刻版、申榮福(シン・ヨンボク)『監獄からの思索』の3冊と、お坊さんの書いた新刊1冊。
 尹東柱『空と風と星と詩』は日本でも数冊の翻訳があり最近は比較的良く知られ、追悼会や朗読会など遺業を顕彰する運動も各地で開催されている。尹東柱は1945年治安維持法違反で服役中の福岡刑務所において28歳の若さで死去した。彼の死には様々な疑問が呈されていて小説(イ・ジョンミョン『星を掠める風』)にもなっている。
 金素月もまた32歳という若さで死んだ。表題となった「진달래꽃(ジンダッレ)」はツツジの一種で、大村益夫『詩で学ぶ朝鮮の心』(青丘文化社)には「山つつじ」と訳されている。これは戦前の詩だが今日まで朝鮮の南北を問わず愛され、2003年には韓国の歌手MAYAがこの詩をロック調に編曲して歌いヒットした(maya born to do it+@)。「ジンダッレ」は日本の一般的なツツジとは違う品種のようだが、ツツジとサツキの区別も儘ならぬ身としては写真を見ても説明をつけられない。
Photo_3 申榮福は聖公会大教授で哲学者として知られるが今年1月に逝去した。申榮福は詩や書芸にも秀でその書と詩が韓国で人気の焼酎「처음처럼チョウンチョロン(初めてのように)」のラベルに使われている。韓国では申榮福に対する嫌悪からこの焼酎を飲まない輩もいるようだ。申榮福は戸田郁子も書いているが1968年に「統一革命党事件」で逮捕され20年に渡って獄中に囚われ、仮釈放後の1988年に出版された獄中書簡などをまとめて1998年に編まれたのが『監獄からの思索』だ。監獄生活が彼を哲学者にしたということのようだ。戸田郁子の引用から又引する。
「人を助けることは、傘を持ってあげることではなく、共に雨に打たれながら歩いて行く、共感と忍耐の確認なのです」
 この言葉に東日本大震災を想起した。

震災後は、だれもが急に善良な人になっていた。テレビCMを筆頭にいきなりみんな「日本人」意識にめざめて連帯を口にし、これまで東北のことなど見向きもしなかったくせに、貧しさのイメージが余計に同情をそそるのか熱いエールを送りはじめた。

Photo これは木村友祐の小説『イサの氾濫』の主人公将司の苛立ちだ。将司は40歳になっていたが、東京での暮らしを止めて八戸に帰り、刃傷沙汰の絶えない荒くれだったイサ叔父について調べていた。『イサの氾濫』は全体が東北弁(南部弁?)で満たされていて、その音楽的なリズムには明治以降の日本近代史において作られた標準「日本語」に対する抗いが感じられる。西から来たやつらの支配に従わぬ蝦夷の子孫としての矜持が、荒ぶるイサの氾濫として描かれる。〈蝦夷征伐で負けで、ヤマトの植民地さなって〉〈戊辰戦争でも負け〉〈震災ど原発で痛めつけられ〉た無言の民としての東北が、荒々しく雪崩を打つように東京に攻め込み弓引く小説なのだ。イサこそは荒ぶる東北の象徴である。おとなしく黙って「頑張れ日本」という言葉に収斂されようとする東北よ怒ってよいのだ、と語りかけているようだ。
 東日本大震災後全国に散った避難民や地元の仮設住宅に身を寄せる方々に、当初は同情的だった世論のなかに、最近は罵詈雑言が混じってきた。「避難民ヘイト」である。そもそも雨に濡れる人に傘を差し掛ける程度の軽佻浮薄な同情で、震災後の東北に接した我々に、共に雨に濡れながら歩く共感と忍耐などなかった。東北人の生活も破壊された原発の汚染処理も後回しに、東京オリンピックに巨額を投資して「頑張れ日本」と声を上げる笑顔に汚染されてはなるまい。連帯を模索すれば自分も傷みを伴う。東北の傷みを踏み潰して目の前のささやかな餌にとびついてなるものか、と作者の自問は読者の自問でもある
 木村友祐の作家としての煩悶と闘争は併録された「埋み火」にも表れている。公害を垂れ流して東京という資本に収斂されていく者と、東北の無言の暗さに止まり非文明の象徴としての鏃(やじり)を保管する者との再会と別離。後者の姿に柳美里『JR上野駅公園口』の福島県相馬郡出身ホームレスを連想した。ともに3・11後の小説で主人公は東北出身だ。
Photo_4 未來社発行の『イサの氾濫』の帯に白崎映美の写真が載っている。もと上々颱風のボーカルだ。『すばる』掲載時に「イサの氾濫」に触発された白崎映美は「とうほぐまづりオールスターズ」を結成、ライブを行いCDを作った。『まづろわぬ民』だ。これも東北弁満載でエネルギッシュだ。しかも木村友祐による「イサの氾濫」朗読も収録されている。「まづろわぬ」言葉、標準語の支配を受け入れない言葉が音読によって生き生きと再現された。
 東北の怒りと怨念を解放する文学には、「ガンバロウ日本、ガンバレ東北」などという空虚なコピーを打ち落とす冷徹な叡智で連帯したい。

*木村友祐さんの作品に関連した頁です。
 地方語・民族語・帝国主義語

2016年3月14日 (月)

ユ・シミン『ボクの韓国現代史』(三一書房)

民主主義は闘い続けなければ奪われる

 昨年、済州島四・三平和賞を受賞した在日朝鮮人作家金石範が、大韓民国成立時の李承晩(イ・スンマン)政権についてその正統性を問う発言をした。これに韓国の右翼勢力が反発し金石範の韓国入国が拒否された。金石範の李承晩政権批判は今に始まったことではない。朝鮮半島の南半分だけで、アメリカの支配下に成立した李承晩の大韓民国は、日本植民地時代の旧親日勢力を免罪糾合して人民支配の手足とした。金石範が生涯の文学的イシューとした四・三事件は、李承晩の南朝鮮のみにおける単独選挙と単独政府樹立に反対する運動から始まった。
Photo ユ・シミン『ボクの韓国現代史』は1948年に起きた四・三事件に紙幅を多く割いてはいない。しかし韓国の現代史を考える上で大韓民国の成立を無視して語ってはいない。
 ユ・シミンは植民地支配から解放された新生国に三つの条件を付加している。第一に、祖国解放を目指して努力し献身した人々が国を打ち立てて運営しなければならない。第二に、民衆を貧困から解放し物質面で暮らしを改善しなければならない。第三に、憲法によって自由と人権を保障し、主権在民の原理を実現して政治的正統性を有する政府を打ち立てなければならない。李承晩政権は〈ひたすら権力の甘い汁を吸うことにのみ没頭〉したからそこに民主的正当性は無い。
 韓国民の現代史は、民族史的正統性を持たないというマイナスから始まり、国家権力に屈従した歳月を経て民主主義を闘いとった。
〈いま僕らにできることは、韓国が民族史的な正統性を欠いたまま出発した理由とプロセスを厳しい目で評価し、哲学的に消化することのみである。〉
 さて、『ボクの韓国現代史』には「1959-2014」という副題が付くが、これは1959年生まれである著者の個人史と重なるということを示している。ユ・シミンは歴史は主観的な記録であるという正直な前提のもとにこの本を書いた。だから韓国現代史の中で著者がどう生きたかを読者は見せられながら読む。ユ・シミンは韓国現代史を二つの勢力の矛盾として書いている。5・16軍事クーデターと産業化の時代を代表する勢力と、4・19革命、光州民衆抗争、民主化の時代を代表する勢力だ。著者は後者に属している。
 著者の生まれた翌年1960年「4・19学生革命」が起き、李承晩は大統領の座を追われハワイへ逃げた。〈4・19は新生国である韓国が正統性を有する国民国家へと向かって踏み出した第一歩だった。〉しかし、翌年5・16と呼ばれる朴正煕(パク・チョンヒ)による軍事クーデターによって、その後延々と軍事政権が続く。朴正煕は民主主義を徹底的に残酷なまでに弾圧しながら、一方で「開発独裁」という手法で韓国経済を成長させた。(現代韓国が抱える財閥偏重の歪んだ資本主義はその後遺症ではないかと思う。)
 その後1980年の光州民衆抗争を経て、1987年の6月民主抗争で全斗煥政権を倒すまで、独裁政権は続いた。そこまでだけでもどれほどの犠牲を払ったか。どれだけ死者を出したのか。〈専制政治を打倒する民主主義政治革命の唯一の方法は、民衆が抵抗権を行使すること〉なのだ。著者自身も死を覚悟したことがあった。私たち日本の国民にそれほどの覚悟が出来るだろうか。懸念が脳裏をよぎる。
 今はまだ存在する民主主義を奪われてはならない。立憲民主主義を支持し戦争に反対する全ての日本の市民も知るべし。一度三権分立の箍が外され政権担当者が独裁的権力を振るい始めると、民主主義を取り戻すまではたいがいなことではない。膨大な犠牲と歳月を払うことになる。
 金石範は朴槿恵政権が歴史を逆行しようとも、選挙で選ばれた政権を否定したりはしていない。なぜなら韓国国民が自ら主体となって〈当初ゼロだった大韓民国の正統性をみずからつくりあげた〉からだ。日本人民学ぶべし。民主主義は闘い続けなければ奪われるのだ。

※この本だけでも充分に韓国現代史を学ぶことができるが、1945年以後、朝鮮戦争の時期も含めて全体的に把握しようと思えば、文京洙『新・韓国現代史』(岩波新書)が読みやすい。また現代韓国の経済的繁栄の基盤となった朴正煕時代の開発独裁について考えたければ、曺喜昖『朴正煕 動員された近代化』(彩流社)も参考になる。

2016年2月 3日 (水)

差別から何が生まれるのか──尊敬すべき白丁の文化

鄭棟柱 『神の杖』 解放出版

Photo 白丁(ペクチョン백정)が朝鮮の被差別民であることは知っていた。彼らが屠殺を生業とするということも読んでいた。この点は日本の被差別部落民と似ている。16世紀半ばの民衆反乱の指導者林巨正(リム・コクチョン)が白丁出身だったことも知っている。林巨正は腐敗した朝鮮王朝と闘った英雄だ。小説やドラマ・漫画で現世にまで伝えられる。
 だがしかし白丁がいかに迫害されてきたかという知識はなかった。彼らは賤民以下の動物扱いされた。強姦されようが、殺されようが、人間に対する罪にはならなかったのだ。人身売買の対象でもあった。
 インターネットブログ「ヌルボ・イルボ 韓国文化の海へ」で紹介された鄭棟柱『神の杖』は1997年発行だから20年近く前の本だが、ヌルボ氏が再読にもかかわらず2015年に読んだ本の中で唯一感動した本だと書いているし、なかなか興味深かったのでインターネットで探して861円で購入。定価は3800円だった。この本が凄い。
 大学教授で小説家の女性が地方の寺を訪ねる場面から始まる。主人公である朴異珠(パク・イジュ)は〈白丁の職業である屠殺と寺の関係から生まれた隠語を収集して研究してきた。〉白丁は職業・婚姻・習俗を差別されたほかに、言語も一般人と同じ言葉を使うことを禁止された。そのため白丁の間だけで通じる独特な言葉が使われたのだ。白丁は支配階級である両班(ヤンバン)とは異なる独特の文化を持っていた。支配階級の文化に対するカウンターカルチャーを、最下層の被差別民が持った意味は一考に値する。
 朴異珠は自身が書いたベストセラー小説『不遇』にまつわる訴訟で憔悴している。それに夫との不和も抱えている。20年前には、不仲だった妹が「自殺」とされる死を遂げている。寺を訪ねた日は偶然妹の命日だった。
 小説は過去と現在を行き来しながら、朴異珠の生い立ちと訴訟相手との攻防を描いていく。朴異珠の曾祖母にあたる鄭順介までさかのぼる物語は、小説中の小説『不遇』とリンクしている。白丁として迫害され、女性として二重に差別される世代を隔てた女性たちの物語でもある。鄭順介の娘、朴異珠の祖母は身体障害者であるための虐待も受け、三重の苦しみの中に死んでいった。
 朴異珠は自分が白丁出身であることを隠し続けて生きてきた。持って生まれた向上心で出世したが、友だちも作らず愛のない結婚をし、生まれた娘の世話も家政婦に任せっぱなしだった。朴異珠の書いた小説『不遇』は〈李氏朝鮮時代に抑圧され差別を受けた一つの身分階層である白丁の生の哀歓と、現代社会で抑圧され差別を受けている階層の実情を、絶妙に比較しながら描い〉ていたが、作者である朴異珠自身が白丁出身であることを読者は知らされなかった。
 表題の「神の杖」は屠殺に使う包丁を示す。屠殺は単に商業的価値を追い求めるものではない。そこには命に対する畏れがあり、神聖な行事としての手順が決められている。自然と生命を尊んだ作業なのである。
 知っているようで知らない白丁の習俗、仏教との繋がり、特殊な言語、何より現代に繋がる差別の実態、軍事独裁政権時代を含む現代韓国史の抱えた歪み。軍事政権と闘った朴異珠の妹明珠は恋人とともに死んだ。朴異珠は妹の死を単なる自殺と思いこむ(ことに決めている)。

  知性人は自分の知識で社会を救うけど、知識しかない知識人は社会が自分の利益のために腐敗することを望んでるの。忘れないで。姉さん自身が積み上げてきた知識のかけらが、いつか姉さんの胸に突き刺さる刃物になるかもしれないってことを。

 明珠の言葉どおり、今まさに朴異珠の胸に刃物が刺さり苦悶の果てに寺を訪れたのだった。この小説を韓国版『破戒』と読むこともできる。また一方で知識人のあり方を問う文学と捉えることもできる。朴異珠は私であり、あなたでもある。もちろん差別一般を告発した小説として読むのが一番一般的かも知れない。
 現代世界は排外主義的ポピュリズムに溢れかえっている。差別する側はいつも卑屈に怖れている。両班は自分の不幸や地位の危機を他人、究極には白丁に責任を着せて迫害する。この両班の精神腐敗はネトウヨと同じだ。恵まれない(と思い込んでいる)既得権益者が、自己の薄幸を難民や外国人や性的少数者のせいにして吐く言辞はヘイトスピーチと呼ばれる。差別によって無能で脆弱な自己を保っているのだ。根拠の無い虚栄心を持つため誰かを迫害せずにいられない。嫉みの社会構造が出来ている。
 自己を隠して栄達の道を歩んでも虚しい。マイノリティーの文化こそ誇るべきだと『神の杖』は教えているようだ。

2016年1月 7日 (木)

宋恵媛『「在日朝鮮人文学史」のために──声なき声のポリフォニー』

在日朝鮮人文学史を根本から見直す、
脱植民化
の実践

Photo 在日朝鮮人文学史はこれまでも多々書かれてきた。その代表は川村湊の『生まれたらそこが故郷』だ。また在日朝鮮人文学論の嚆矢として知られる磯貝治良は『〈在日〉文学全集』を編纂した後も、『〈在日〉文学の変容と継承』などで〈在日〉文学史を展開してきた。筆者もまたこうした努力をしてきた一人に入れて貰えるだろう。『在日朝鮮人日本語文学論』(1991年 新幹社)等で在日朝鮮人文学史の構築を試みた後も、「『在日朝鮮人文学』とは何か」(2003年4月『民主文学』)、「『在日朝鮮人文学』の変容とは何か」(2009年2月『國文學』第54巻2号)などで、日本文学史の中に在日朝鮮人の文学を位置付けようとしてきた。しかしそれは日本語作品に限ったもので、「日本文学史」を「日本語文学史」に書き換えようという試みではあったが、「日本文学」のボーダーを破るものではなかった。「日本語の文学」までは広げたとしても「日本に於ける文学」とまでは追究されなかった。
 私たちが編集した『新日本文学』2003年5・6月合併号の特集「〈在日〉作家の全貌」では、〈日本に在住して、その間に日本語による小説・詩集等の文芸単行本を発行している朝鮮人〉と限定して94人の作家・詩人を紹介した。そうしたこれまでの研究の間隙を埋め、なおかつ文学の存在そのものの見方にアンチテーゼを示したのは宋恵媛だった。宋恵媛『「在日朝鮮人文学史」のために』は、少なくともこれまでの在日朝鮮人文学史の概念を覆した。
 宋恵媛はまず朝鮮人女性の識字運動から戦後在日朝鮮人文学史を始めた。それは母国語を奪われた民族が言語を回復する地点から在日朝鮮人文学を検討したということだ。特にそれまで教育を受ける機会のまったく少なかった女性たちから始めたのは慧眼と言えよう。エリート男性日本語作家中心の在日朝鮮人文学史に比し、その出発点から異論を唱えたことになる。
 言語の回復、それは当然の帰結として朝鮮語作品を「在日朝鮮人文学」の重要な一部として取り扱うことに繋がる。朝鮮語と日本語の錯綜と対峙が戦後在日朝鮮人文学発祥の根源として見えてくる。
 宋恵媛は丹念に朝鮮語の作品も発掘した。朝連の準機関誌の役割を持った『解放新聞』や在日朝鮮文学芸術家同盟(文芸同)の『文学芸術』などの紙誌を調査し、文学の痕跡を辿った。
 また死と直結すると悪名高き大村収容所内で発行された『大村文学』(1957年8月創刊)などの稀少雑誌や、戦後圧倒的に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)系の運動が大きかった時に非総連系の『白葉』(1957年)や『韓国文芸』も詳細に検討している。これらの雑誌では金学鉉・金一勉・金慶植・金潤らが活躍した。──因みに『文学芸術』に朝鮮語作品を書いた故金秉斗氏と筆者は些か交流があったので、知らなかった一面を知り、また懐かしくもあった。
 戦後在日朝鮮人文学の嚆矢として語られる金達寿について、日本の「進歩的知識人」からの視点を外して、朝鮮人文学者として再検討して見ると、違った面があぶり出される。〈金達寿は、日本人の間では最も名の通った朝鮮人作家だったが、識字教育と渾然一体となっていた初期の在日民族文化運動の中では、むしろ孤立していたといえる。〉
 そう考えると新日本文学会の金達寿に対する持ち上げ方にも、やや不公平感を感じてしまう。戦後日本の民主主義文学をリードした新日本文学会には朝鮮語作家たちを視野に入れる器量は無かったのだろう。後になっても新日本文学会周辺では、晩年の中野重治「民族エゴイズムのしっぽ」発言は殆ど理解されなかった。
 在日朝鮮人たちは〈旧宗主国の内部で脱植民地化を行うという困難な条件〉のなかでの戦後在日朝鮮人文学の果敢な闘いを展開したのだった。しかし宋恵媛も書いているとおり、〈民族語で書き、読まれるという、「解放」直後にふくらんだ民族文学の夢は一部しか実現しなかった。〉
 そんな中でもいくらかの成果はあったはずだ。例えば宋恵媛が紹介する金民(キムミン)の〈注目されることの少ない平凡な人々が、素朴な筆致でていねいに描き出された〉〈日本文学の影響がほとんど感じられない作品群〉に日の目を見せることは出来ないのだろうか。今更ながらに思ってしまう。彼らは〈脱植民化の実践〉者なのだ。
 宋恵媛『「在日朝鮮人文学史」のために』は、作品論には殆ど切り込むスペースを持たないが、それでも在日朝鮮人文学史のみならず、文学そのものの意味を原初的に考えさせてくれる。この出版そのものが現在的に脱植民化の実践ですらある。

(宋恵媛『「在日朝鮮人文学史」のために──声なき声のポリフォニー』岩波書店)

2015年12月13日 (日)

金石範「終っていなかった生」 (『すばる』1月)

闘う老作家の生きる意欲を見た

 金石範の小説の特徴に夢がある。とにかく夢か現かの状況が頻繁に出てくる。「終っていなかった生」も夢から始まる。夢の中でKの下半身には尾鰭がついていて人魚のようだ。眼を覚ますと下半身が動かない。血圧は異常に高い。幻聴も聞こえる。夜中に病院に行くが原因がはっきりしない。
 Kは作家でこのとき書いている小説は済州島四・三事件当時虐殺された島民の死刑場であった、現「済州」国際空港の遺体発掘をモチーフとした作品だ。この書きかけ小説の冒頭部は、金石範が『すばる』2014年2月号に発表した「地の底から」と同じだ。従って、時制は2013年に設定されていることになる。元来大酒飲みのKだが、このときはほぼ禁酒している。Kである金石範はこの頃既に88歳という高齢だ。
 痛む頭の中で現と夢と幻想が交差する。睡眠は夢を呼び夢はKをソウルへと導く。60年前の時空を超えたソウルから銃殺された親友チャンの声が届く。〈チャンたちは済州島四・三虐殺と同じく、場所とやり方は違うが、イ・スンマンテロ国家権力のもとで殺された。〉金石範は1945年日本帝国主義の敗北後の11月に、朝鮮独立運動に参加すべくソウルへ渡りながら、翌年夏大阪に一旦戻ったまま朝鮮への再渡航の手段を失ってしまう。その間に独立運動の同志たちは殺されていったのだ。金石範はこの10月(2015年)に韓国政府によって入国を拒否された。それは大韓民国の成立が金石範やその同志たちが目指した南北統一政府でなく、李承晩(イ・スンマン)による朝鮮半島の南半分に於ける反共政権だったことと無関係ではない。
 Kの夢は更に時空を超える。今度は夢の中で夢ではない、夢の中の現実として女性詩人ミニの山中での死と遭遇する。零下二〇度の山中で深酒自殺だ。小説の中に紹介される詩の一節は、金石範が紀行文集『国境を超えるもの』(文藝春秋)に収録した「鬼門としての韓国行」に紹介した「鳥たち あの冬の夜中へ」だ。作者は金民姫。「苦難の終りの韓国行」(『文學界』2001年11月)にも出てくる。〈ミニは明日のことを、かりに飢えに直面するにしても思い患いません。でも彼女の恐怖は、いま生きて生活していることなんです。うん、じゃ“存在”に対する怖れなんだろうか。〉
 体調不良のKは生涯の課題である「済州島四・三事件」六十五周年記念集会の準備も欠席した。精神科に通ってようやく小康状態を取り戻し、「発病」以前の散歩コースを歩けるようになった。
 小説が時制通りに進んでいると仮定すれば「回復した」Kはあるときアルバムの写真を手に取り、娘と二人での写真を見て妻に問いかける。Kは忘れていたが、一九六二、三年頃組織方針で日本人妻と別れるよう指示があったとき妻は離婚の覚悟をして実家に帰っていたが、Kは別れない道を選んだ。金石範がたとえ小説としてであれ、自分の妻との関係を在日の組織問題を介在して文章にしたことはない。
 「終っていなかった生」は、超然とした作家の姿ではなく、妻子を含む身辺に現代史をぐっと引き寄せて描いた作品だ。Kが住み散歩して歩く地方都市W市は、現実に金石範が居住する埼玉県の蕨市を思い浮かばせる。W市からKの〈混沌自在の頭の空間〉は自在に時を超え空を飛び、済州島やソウルを行き来する。そしてW市に戻り、森を彷徨い女性の満月のような臀部に魅了され、ホテルでの性交に及ぶ。尻を丸出しの女Rは人魚の身体となって海の暗い奥の方ほうへ泳ぎ去っていく。どこまでが夢でどこからが現か相変わらずはっきりしない。この小説は、文体は私小説風ではないが内容は事実と整合する部分が多いので、作家自身の体験や気分の変遷をそのまま書いていると取れる。
 性の感触は生を感じさせるに十分で、Kは不随でない自己を確認する。「終っていなかった生」とは「終っていなかった性」でもあるのだろうか? この生きる意欲は『火山島』に繋がる次作を呼び起こすに違いない。それには日韓の右翼勢力との政治的対決も付随するのだろう。何しろ齢90の老作家が自分の生きる意欲をまだ終わっていないと確認した作品だ。この小説を読み解くには金石範文学に通じていなければ困難だろうが、逆に金石範文学の全体を解き明かすにこの小説はヒントにもなっている。

*金石範文学の全体像については「虚無と対峙して書く─金石範文学論序説─」(『社会文学』第26号 2007年6月)を参照頂きたい。また、金石範の韓国訪問と創作の関係を論じた「金石範文学論・在日の実存を済州島に結ぶ」が2016年3月発行予定の『神奈川大学評論』第83号に掲載される。
*金石範文学の「私小説」的傾向に関しては『同行者大勢』第11号に発表した「『泥酔の四十二階段』の問題」がある。これはpdfで読める。http://kghayashi.cocolog-nifty.com/blog/doukousya11.htmlから入って頂きたい。
*金石範「地の底から」に関しては、
http://kghayashi.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/post-4bd5.html に書いている。

2015年11月14日 (土)

チョン・セラン『アンダー・サンダー・テンダー』(クオン)

人生は隠れた悪意に翻弄されるが……

Photo 青春は辛い。甘く悲しく辛い高校時代なんてありふれている。作家チョン・セランはそうした青春の場に坡州(パジュ)を選んだ。坡州は38度線に近い。北朝鮮に接し市内に非武装地帯がある。坡州からおんぼろバスで学校に通う6人の高校生たちは、窓外に迷彩服を着て匍匐前進をする兵士と目が合ったりする。不穏な空気が漂う場だ。銃を持ったままの兵士が脱走する事態が町を騒がせる。映画「猟奇的な彼女」でも銃を持った脱走兵が登場したが、遊園地に隠れた脱走兵はコミカルに描かれ悲壮感のないギャグでしかなかった。チョン・セランの脱走兵は首を括り、更なる悲劇を遺していった。
 ある意味坡州は80年台までの韓国的状況を縮小して90年台に遺した場だったのかも知れない。わたしは82年に、光州に入る高速バスに銃を持った兵士が入って来た光景を思い出す。道ばたに埃っぽい兵隊たちが歩く姿も散見された。当時の韓国の人たちにとっては珍しいことではなかったのだろう。20世紀末の坡州に再現されたこうした不穏な空気は次のようなことばで表象される。

  殺すのなんか簡単だ。そんなふうに、唐突に攻撃されながら生きていく。考えてみれば、私たちはそうした不運から生まれ出た存在でもあるのだ。私が三十八度線を越えた祖父の不運から誕生したように。私のルーツは不運であり、私を育てたのも不運、私が最後に到達する結末もやはり不運だ。

 歴史の不運と空間の不運を重ねた場所として坡州は描かれた。現在の坡州は出版・印刷関係の会社を集めた出版都市として日本でも有名だし、パジュプレミアムアウトレットやヘイリ芸術村のある観光地としても注目されているようだ。しかし観光としては「北朝鮮」を遠望する統一展望台があるなど、前線地帯である現実は変えようがない。
 小説『アンダー・サンダー・テンダー』は二重構造になっている。「私」は30代で映画美術を仕事としている。そして高校時代のバス友たちを撮っている。あるいは撮りながら回想しているのかも分からない。つまり高校時代と大人になった現代が交互に描かれ、それぞれの「成長」に読者であるわたしはため息をつく。
 前半はペ・ドゥナ主演の映画「子猫をお願い」を思いだした。出世から外れた商業高校を卒業した5人の女性たちの友情と、遣り切れない生活、捨てられた子猫のように自由を希求する少女たちの精神の純粋がみずみずしい映画だった。
 しかし小説『アンダー・サンダー・テンダー』は希望を持たせない。バス友たちはそれぞれ問題を抱えていて、彼らを悩ます問題は変化する。主人公の私が愛したジュワンは撃ち殺され、私は壊れる。彼女を壊したのも彼女を支えたのも坡州に住む人々だった。6人の仲間は互いに壊し壊されながら、それでも支え合って成長する。恋人の死、兄の死、弟の殺人を経て、折れ曲がり変化していく青年たちの姿は希望というより存在の実感だ。希望では癒やされない。登場人物のひとりミヌンの「ひどい家に生まれたなら、愛さなくてもいい」という言葉が沁みる。
 大人になって就職した彼らを迎えたのは矛盾に満ちた社会だ。彼女たちは仕事を持ち、その仕事から離れ、また別の仕事に出会う。坡州から離れ韓国から離れてもまた坡州に帰り集まっては別れる。現実は厳しいけれど現実の中にしか生きる場は存在しない。希望といえば、経験を経て生きる逞しさを得ていくこと。別れだって必要なこともある。憎しみだけでは生きられまい。
 チョン・セランは朝井リョウとの対談でこう言った。

  何かを嫌いだと言うことが、何かを好きだと言うことよりも簡単ならば、それは健康ではないと思うんです。社会を全般的に覆っている嫌悪の感情に、文学界の中も向き合おうとしていて、私もそのうちの一人です。
   朝井リョウ+チョン・セラン「未来の世代の読者へ向けて」(『早稲田文学』2015年冬号)

 チョン・セランは正義を語らず、されどブドウ畑のバラのように来たるべき被害に警鐘を鳴らしたり、ひっそりと隠れた悪意を浮かび上がらせたりするのだろう。好感の持てる若い作家と出会った。

2015年10月21日 (水)

金石範さんの入国を韓国政府が拒否!

済州島四・三事件の歴史学的解明は大韓民国成立の正統性に疑義するか!?

01_2 10月、在日朝鮮人作家金石範(キムソッポム)さんの韓国訪問が妨げられた。金石範さんは済州島4・3事件をテーマにした長編『火山島』などで知られる作家だ。『火山島』は今年韓国で全巻の翻訳が出版され、ソウルで記念行事が開かれることになっていた。報道によると、金石範さんが韓国訪問を申請したところ、韓国政府が入国を拒否したとのことだ。在日韓国大使館は「旅券法に基づき審査した結果」とだけコメントした。
 金さんは今年4月、済州4・3平和賞を受賞し韓国を訪問、済州島で授賞式に臨んでいる。この賞は「済州4・3平和財団」が創設したもので、韓国政府や地元自治体も関係している。李承晩による大韓民国の成立に批判的な考えを持つ金石範さんに、韓国の右翼団体や保守マスコミが授賞取り消しを求めるなどの動きがあった。在日本大韓民国民団も盛んに金石範さんを批判し〈金石範氏の受賞で汚された「済州平和賞」〉とまで言っている。こうした論調に韓国の保守的な現政権が同調したと思われる。
 そもそも「済州4・3平和賞」とは、済州島4・3事件の真相究明に貢献したり、世界平和や人権伸長に寄与した人に贈られる。済州島4・3事件とは、1948年4月に済州島で起こった島民の蜂起に伴い、島民が軍や警察などに虐殺された歴史を仮にこう呼んでいる。金石範さんは事件が公にならない内から追求し解明に心血を注いできた。受賞に相応しい。
 しかし問題は大韓民国成立の正統性に関わる。金石範さんは以前こんなことを書いている。

   慰霊堂に祀られている一万三千余の犠牲者たちは「領民虐殺」による受難者であり、それ以外はゲリラ、アカの同調者だから殺されて当然とする島民を二分化する論理であって、これは全島民的な意思の代弁である四・三闘争の否定である。……実質的に「四・三事件」が抗拒の蜂起であり、抗争であり、民族解放闘争であることの位置付け、「歴史的定立」が必要だ。
   ……
   解放後一九四八年八月、四・三抗争のさなかに米軍占領下で成立した大韓民国は、過去歴史清算を葬った民族反逆者、親日派による政権、政府であるのは、韓国の極右勢力も否定できるものではない。憲法「前文」の臨時政府の法統(伝統)を継承した大韓民国政府というのは牽強付会となるだろう。
   しかしこの大韓民国の正統性の上に、四・三特別法も四・三委員会も成立しているのであって、この論議は“国家”の介在なしにはむつかしい。改めて大韓民国の「正統性」は何かを問われねばならぬことになるが、これはまず不可能。とすると、「正名」は統一のその日でなければできぬことになる。
   学問とか真理への道はそうであってはならぬだろう。真理は普遍的であって、国家の枠とか制度の枠を超えて明らかにされねばならない。歴史家たちはこの「国家の正統性」を超えて、「正統性」を否定しかねない論議をすべきではないか。親日、民族反逆、反歴史的な「過去」を清算することによって、建国当初の大韓民国の「正統性」は弁証法的に再び新しく定立される。四・三論議はその聖域まで踏み込まねばならない。それにはやはり一方の「国家」を超越する普遍の、自由の場の早期の実現を待たねばならぬか。しかし、学問はそのタブー、聖域に挑んで踏み込むものだろう。
                                  (「悲しみの自由の喜び」『すばる』2008年7月号)

 ここで言う「正名」とは「정명 ジョンミョン」、四・三という名称は記号で曖昧だから、内容をはっきりさせる定義をしようということだ。右翼勢力は四・三事件の犠牲を「良民虐殺」と定義し、共産主義者やその同調者を排除して定義しようとしている。金石範さんのように、李承晩政権の軍・警察と手下になった暴力団によって殺されたゲリラたちすべてを犠牲者と考える立場とは対立する。
 4・3事件の発端は南朝鮮単独政権樹立に反対する運動だった。即ちそもそも大韓民国建国に反対する運動だったのだ。南朝鮮労働党が指導するゲリラと米軍政、李承晩政権、右翼暴力団との闘いは熾烈を極め、双方及び無垢の島民を含め8万人もの犠牲者を出したと言われる。島民は、日本に脱出した人々においても事件について語ることは長い間禁忌とされていた。
 韓国の現政権が李承晩、朴正煕、全斗煥と続いた軍事独裁政権の正統を継ぐものであれば、金石範文学は敵性文学だ。しかし、韓国は民主化された社会だ。民主主義を渇望した国民の長い民主主義運動の勝利だ。ではなぜ金石範さんの入国は拒否されたのか。
 世界的な右傾化と無関係ではないだろう。日本では安倍ネトウヨ政権が特定秘密保護法や安全保障関連法を強行成立させ、全体主義国家化を進めている。排外主義が跋扈し、街頭で在日外国人やアイヌ、性的少数者、原発事故避難民などの対するヘイトスピーチが叫ばれ! 政治家は国民は国家のために働けと嘯く。そんな国粋主義的、民族主義的風潮は世界に広がっている。もちろん韓国でも右翼的民族主義運動の流れは止まらない。
 金石範さんは韓国を訪れる度に紀行文を書いてきた。朝鮮籍の金石範さんにとって韓国に行く場合韓国政府当局との折衝は大変な苦労だった。しかし金大中・盧武鉉と民主政権が続くと手続きも楽になってきて、紀行文のタイトルも「敵のいない韓国行」(『すばる』2005年6月)、「自由な韓国行」(『すばる』2007年1月)となって来ていた。韓国政府による金石範入国拒否は、韓国の民主主義の危機であると同時に済州島四・三事件の歴史学的解明が暗礁に乗り上げる危機も感じさせる。

2015年9月18日 (金)

波田野節子『李光洙──韓国近代文学の祖と「親日」の烙印』

朝鮮近代文学の栄光と挫折を独りで担った作家

Photo 李光洙は朝鮮人学生に対して学徒兵志願を勧誘した。波田野節子によると、李光洙の対日協力行為として韓国で誰もが第一に挙げるのがこれだ。『石枕』の張俊河、『長征』の金俊燁、『ある独立運動家の祖国』の尹在賢などは強制的に志願させられて日本軍に入隊したが、脱出して韓国光復軍に加わった記録を残している。朝鮮近代文学の祖と言われる李光洙はなぜ、軍国主義日本に屈服するのみならず、前途のある朝鮮人学生たちを戦地に送ったのか。
 李光洙は、朝鮮近代文学の祖であると同時に朝鮮人による日本語文学の最も初期の作家でもあった。にも関わらず、あまりにもこれまで知らなかった、というのが波田野節子『李光洙』を読んだ率直な感想だ。
 1983年友人に誘われて韓国の映画監督李長鎬の宅を訪ねたことがある。その家でたまたま観たテレビドラマが李光洙原作だった。ドラマの終盤「ああ、夢だったのね」と美しい李長鎬夫人が言ったのが印象的だった。私にとってもその程度の感慨しかない。殆どの日本人は李光洙を知らないだろう。しかし韓国では大きな存在だ。韓国近代文学の祖と呼ばれながら「親日」の烙印を押されているとは複雑だ。愛されているのか嫌われているのか分からない。(一応確認しておくが、「親日」というのは日本帝国主義の朝鮮支配に手を貸したと言う意味で使われる)
 李光洙は貧しく生まれ育ったが、天性の才能とたゆまぬ努力で文学的才能を発揮した。〈崔南善、洪命憙とならんで「三天才」と呼ばれ、一八歳にしてすでに小さな名士だった。〉若くして愛国啓蒙運動家として名を挙げ、1919年には三・一独立運動の先駆けとなった二・八独立宣言を起草し、大韓民国臨時政府の樹立に加わった。また、1917年に25歳で発表した「無情」は〈韓国近代文学史で近代長編小説の嚆矢〉とされる。なのにその後の李光洙は転向に転向を重ねていく。若き日よりの友人洪命憙が筆を折って田舎で〈志操を守る態勢に入った〉のと対照的だ。洪命憙だけを讃えているのではない。こもって高邁な精神を守るのか、できうる限りの抵抗と民族を生かすためによりましな方策を講じるのか。李光洙は後者を選んだ。

  植民地時代の文章を読むときには、それがいつ、どこで、どのような状況で発表されたかを見極めることが重要である。

 波田野は〈当然のことだが〉と言っているが、こういうことは忘れがちだ。自由の無い時代の発言が深層にどういった意を沈めているのか、我々は丁寧に捲り挙げなければならない筈だった。波田野節子は実に丁寧に読み解いている。李光洙をだけではない。李光洙の生きた時代の文化史的解釈や明治期以来の日本人の精神性の変化を前提にできる深い知識を根拠とした評伝だ。
 明治期日本人に起こった〈他者を見下すことで自己を確立したと錯覚する安易な傾向〉は、今また起こっていて、政治と密接に関係している。彼らは、今日の日本を覆う戦前回帰の薄汚い主張がどれほど幼稚なものか自覚しないだろう。
 日本人学生たちが学徒出陣した後、朝鮮人学生だけ残って勉強できる訳が無かった。非国民扱いされ酷い目に遭ったのち徴用されるだろう。李光洙は若い同胞の命を戦争に追い込むしか、民族の明日を考えられないところまで追い込まれていた。
 1945年の植民地解放後、李光洙は正直な執筆を再開するが、「親日派の弁」と捉えられ人々の反発を買った。1950年朝鮮戦争の際に朝鮮人民軍に連行され、その後の詳細は詳らかではない。
             (波田野節子『李光洙──韓国近代文学の祖と「親日」の烙印』中公新書)

2015年9月10日 (木)

栗林佐知『はるかにてらせ』

生きがたい人生に寄り添う短編集

Photo 作家栗林佐知について最近まで名前も知らなかった。2002年小説現代新人賞、2006年太宰治賞を受賞している。ところが単行本の発行はこれまで2冊で、昨年11月に7年ぶりに発行されたのが短編集『はるかにてらせ』だ。出版は未知谷というロシア文学など外国文学に強い出版社らしいが、こちらもまさに未知の出版社だった。
 寡作だから売れない作家であると同時に売らない作家とも言えようか。
『はるかにてらせ』の表題作はこう始まる。

  結婚して三年。
  夫婦の枕元に、女の幽霊があらわれて、
  「結婚しないって、言ったのに」

 幽霊は妻であるサワちゃんの高校時代の先輩で、3年前にガンで死んだアリサー先輩だ。サワちゃんはアリサー先輩が死んでいたことを昨日の夕方まで知らなかった。主人公のサワちゃんは幽霊のアリサー先輩と出会うことによって過去の青春を回想する。軽音学部に属して歌を歌っていたサワちゃんは本当は歌手になりたかった。軽音のバンド仲間の何人かは今はプロになって活躍している。でもサワちゃんはコンビニでアルバイトする主婦になってしまった。〈自分で自分を嗤ったこと。歌いたい気持ちを自分で本気にしてあげなかったこと。〉そんなことを後悔した。幽霊のアリサー先輩につきまとわれたサワちゃんは〈「コンビニのおばさんの歌姫」なんてのが、世界に一人くらいいたっていいんじゃないだろうか。〉と思うようになる。ユーモラスな展開が読者を飽きさせない。
 タイトルは、和泉式部の「暗きより暗き道にぞ入りにける遥かに照らせ山の端の月」からとっている。はるか山の端から暗闇を微かに照らす月の明かりに希望を託す。「人生なんてあっという間だ」凡人の軽口が重く響く。
 あっという間に過ぎていく人生の、未来の自分が今の自分を見守っているかも知れない。過去の自分に助けられるかも知れない。「恩人」は自己を貶めるものも輝かせるものも結局は自分だと思わせる。悪意も善意も自分の中にあるのだと。
 「身代わり不動尊」の不動尊や「券売機の恩返し」の券売機は、「はるかにてらせ」の幽霊のようにきっかけであり話し相手である。主人公の心情を汲み取ってくれるが、結構人間的で一寸厳しく接してくる場合もある。これら非人間の人間性に読者は主人公の孤独を感じるのだが、同時に微かな希望が照らし出される。サワちゃんの歌のようにそれぞれに芸術的衝動がある。栗林佐知の太宰治賞受賞作「峠の春は」(解題されて筑摩書房から『ぴんはらり』として出版)に描かれた、戦国時代の少女の、唄に対する執着こそ希望だ。サワちゃんたち現代人も、生活から一歩離れた執着を再発見する。
 「コンビナート」のしまちゃんのような、はた迷惑な悪意の無い純真が憎悪を生むことも知っている。しまちゃんはアリサー先輩にも通じる表象だが、彼らは結局何ものもなさない。
 栗林佐知の小説は、読む側の精神状態によっては、面白おかしかったり、とても悲しかったり、恐ろしい小説だったりする。どんな要素も持っていて、毒の中にもユーモアがあり、悲しみの中に怒りが見え隠れしたりする。生きがたい人生の多様性にうっすらと希望を照らす山の端の月としての小説、と言ったら大袈裟か。悪霊を払う為におばさんがくれた交通安全のお守りほどの役割かも知れない。

2015年8月30日 (日)

尹在賢『ある独立運動家の祖国』 나남

朝鮮学徒志願兵の抗日闘争

 張俊河の『石枕(トルペゲ)(日本語訳 安宇植訳 サイマル出版会 1976年)に次のくだりがある。

   わたしは『ともしび』に収録された短篇小説がたいへん好きだった。これはいっしょに編集を担当している尹在賢同志の作品だった。日本で同志社大学に学んだころ、文学を志した同志だったから作品のほうも驚くくらいよい出来栄えだった。

 張俊河は解放後の韓国において雑誌『思想界』を発行した出版人として、また朴正煕軍事独裁政権に異を唱える民主主義運動家として知られたが、独裁政権によって逮捕され身体を壊して保釈中に「不慮の事故」で死亡した。『石枕』は張が学徒志願兵として日本軍に入隊し、脱走して金九が率いる大韓民国臨時政府のある重慶を経て祖国を目指す行程を描いている。日本帝国主義時代の抗日運動を描いたノンフィクションとしてあまりにも有名だ。
 『ともしび』というのは、張俊河らが、1944年安徽省臨泉の中国中央軍官学校臨泉分校韓国光復軍班で80名の同志と共に訓練を受けていた頃に発行した手書きの雑誌だ。仙画紙に手書きの貧しい雑誌を2冊作って回覧した。その時張俊河、金俊燁と共に編集に携わったのが尹在賢だった。張俊河が言う短編小説が残っていれば、解放前の1944年に朝鮮語で書かれた小説としては希有なものだ。当時、朝鮮語は禁止され日本語の常用が義務づけられていた。作家たちも日本語で書いたし、でなければペンを折るしかなかった。
Photo 尹在賢は韓国でも最近まで殆ど知られない作家だった。昨年甥である大学教授金賢柱によって編集された『ある独立運動家の祖国』の発行までは、無名な独立運動家で作家だった。この本には生前の尹が遺した3冊の本『我が臨時政府』『死線を彷徨い』『凍土の青春』がまとめられた。『凍土の青春』については以前に紹介した。
 『我が臨時政府』は大韓民国臨時政府の成り立ちと正当性を説いたパンフレットのようなものだ。1945年11月にようやく帰還した著者がただちに執筆し翌年発行した。三・一運動に起因して成立した亡命政府である大韓民国臨時政府と光復軍の歴史と価値について記された。末尾に金九による「臨時政府当面の政策」が掲載されている。
 『死線を彷徨い』は学兵脱出から帰還までの自伝的ルポルタージュ即ち体験記だ。1946年に執筆は完成しているが発行されたのは1948年。金賢柱の解題によると、光復節と大韓民国政府成立に合わせた発行になった。志願とされながら実は強制だった学徒兵の実態と、植民地の学生である作者自身の如何ともしがたい心情が描かれた。尹在賢はソウルの龍山(ヨンサン)第25部隊に入隊し日本兵となり、中国の戦線へ汽車で向かう。山海関で水を汲みに出たときをはじめ、脱走の誘惑と躊躇が繰り返される。同行した学徒兵たちは天津-済南-徐州-貴徳と移動しながら次々と配属され、拓城というところから著者を含む6名が淮陽まで徒歩で進むことになる。
 著者は前線である淮陽に配属されて訓練を受ける。訓練には生きた中国人を銃剣で刺すようなものもあり、日本軍の実態が見られる。著者は友人のキム・チュンジョンとともに、この淮陽の兵舎の下水溝をくぐり、淮陽城の城壁と壕を越えて脱出した。中国人歩哨に日本語で怒鳴って正門を出て行く体験や、逃亡中の渡河場面などは後の日本語小説『凍土の青春』に生かされている。
 無事日本軍から逃げおおせたと思ったら、中国軍に捕獲され縄で縛られ囚人扱いで長い移動が始まる。絶望的状況にうちひしがれる様子は痛々しいが、安徽省臨泉で11名の朝鮮人に出会った喜びは計り知れない。彼らの殆ども学徒兵として徴兵され脱出していた。その臨泉は中国第一戦区の捕虜収容所だったが、朝鮮人兵らは捕虜扱いされなかった。その後も朝鮮人脱出兵は増え30名くらいになった頃、第一戦区幹部訓練団内韓国光復軍班として訓練所に入った。
 ところで、日本人捕虜についての記述も少しだが出てくる。豚小屋のような所に収容され惨めだったようだ。中国軍に捕まった日本軍捕虜に関する史料は少ないのではないだろうか?
 臨泉での体験は張俊河『石枕』の記述と重複するところも多い。しかも『石枕』のほうが詳しい。『石枕』によると中国中央軍軍官候補生たちの訓練が凜々しいものだったのに比べ、光復軍のは銃に手を触れることのない中学の教練のような駆け足・整列などだった。尹はこう書いている。

  夢にまで見た光復軍になれたことはこの上なく嬉しかったが、臨泉で過ごす時間は暇で退屈だった。中国軍官学校正式訓練とは異なり我々には簡単な制式的訓練がすべてだった。時間を有意義に使うために、我々だけで雑誌を作ったらどうだろうかと、私が提案すると数名の同僚が名乗り出た。雑誌のタイトルは「ともしび」と決めて、各自専攻分野の内容を載せ、詩、小説、随筆などを集めて雑誌を発行したのは感激だった。雑誌を作ろうと忙しく働いたので時間はそれなりに流れ、臨泉に到着してすでに4月が過ぎ、11月になった。

 『ともしび』については冒頭の引用で説明した。張俊河は尹在賢の小説を高く評価している。その後、朝鮮人学兵一行は重慶へ向かう。そこには金九率いる大韓民国臨時政府があった。尹在賢は日本軍の兵営を脱出して8ヶ月後、ようやく目的地に到達した。
 ここで彼らは独立戦争への参加を宣言し、熱烈な歓迎会を催された。〈その日その場に集まった眼の色も皮膚の色も異なる世界各国の人々が自由の旗の下、一つにまとまったのだった。〉実際に中国、アメリカ、朝鮮の他にどの国の人が集まったのかは書かれていない。しかし『石枕』によると米英をはじめ連合国側の相当数の人々(軍人だけでなくマスコミや医師なども)が重慶に滞在したことが分かる。
 しかし彼ら光復軍が朝鮮に進軍する前に日本軍は降伏してしまう。ルポ『死線を彷徨い』は戦後最も早く書かれた朝鮮人学徒兵、光復軍、臨時政府などに関わる貴重な証言である。私は大韓民国の成立が必ずしも民族独立を果たしたものとは考えていない。しかし、日本の植民地支配に対して朝鮮民族が何ら抵抗せず、アメリカとソ連によって作られた国家は戦勝国ではない、といった一面的な論調には同意できない。「死線を彷徨い」は朝鮮民族の抵抗の貴重な報告として読むことができる。後に書かれた『石枕』が『死線を彷徨い』を参考にしたであろうことは想像に難くない。
 また、ルポ『死線を彷徨い』は解放後最初期の文学作品としても評価されるべきだろう。尹在賢はこれだけの文学的才能を持ちながら、1948年アメリカに留学、生物学を学び遺伝子学の研究者として成功する。その後は、1979年に日本語小説『凍土の青春』を発行するまで、尹の文学は世に出なかった。

2015年8月 8日 (土)

尹在賢 『凍土の青春』

 痛哭して壇君の後裔に祈る。期してこの恨みを晴らせ

 尹在賢(ユン・ジェヒョン)という名を知っている人間がどれだけいるだろか? 1979年に『凍土の青春』という小説を講談社から出版した作家である。しかしそれ以外に情報がなかった。
Photo_4 『新日本文学』で「〈在日〉作家の全貌─94人全紹介」と銘打った特集を編集したことがある。No.643、2003年5・6月合併号だ。〈在日〉というのは「在日朝鮮人」を朝鮮籍、韓国籍、日本籍に拘わらずトータルに捉えた呼称として使った。──因みに磯貝治良は1979年に発行した自著『始原の光』に「在日朝鮮人文学論」と副題を付けたが、2004年に出した本のタイトルは『〈在日〉文学論』としている。
 『新日本文学』の編集時に、尹在賢が些か気になった。彼は在米韓国人で〈在日〉ではない。正確な生年も不明なまま「作家総覧」に4行で紹介した。「作家総覧」の注記に、1945年の日本の敗戦以後日本に在住して日本語で出版した作家・詩人を紹介した旨を記したので、尹在賢は例外とした。
 ところが最近偶然に尹在賢の名を目にした。インターネットハンギョレ한겨레の2014年3月の記事「もう一人の張俊河、尹在賢の生(또 한 사람의 장준하, 윤재현의 삶)」だ。『ある独立運動家の祖国(어느 독립운동가의 조국)』という本の紹介だった。去年の記事に今頃気がついたのだから間抜けだ。Chosun Media pubにももう少し詳しい記事が出ていた。早速本を取り寄せた。『ある独立運動家の祖国』の作者は尹在賢윤재현で、甥にあたる大学教授金賢柱김현주が編集した。
 尹在賢は1920年8月14日咸鏡北道會寧회령市に生まれた。會寧は朝鮮北東部(現在の朝鮮民主主義人民共和国)に位置し、豆満江두만강を挟んで中国吉林省延辺朝鮮族自治区龍井용정と向きあっている。
 1939年尹在賢は日本に留学、京都の同志社大学で英文学を学んだが、3年後学徒出陣で日本軍の兵役に引っ張られた。中国河南省淮陽部隊に配属されたが、1944年6月兵営を脱出して翌月光復軍に合流した。1945年1月には重慶の大韓民国臨時政府に到着し光復軍総司令部に副尉として服務した。朝鮮本土侵入直前の8月には西安に移動し、OSS(米軍戦略情報機関Office of Strategic Service)に所属して国内浸透工作のために待機中に日本の敗戦を迎えた。朝鮮に帰還したのは11月だった。国内では赤十字社で働いたが、朝鮮で過ごしたのは僅か3年程だったという。尹在賢はアメリカに留学し遺伝学を学び、1959~85年ボストン大学で生物学教授として勤務。人生の大半をアメリカで過ごし1994年4月ロサンゼルスにおいて74歳で他界した。韓国では無名だった。
 『ある独立運動家の祖国』には、「我が臨時政府(우리 임시정부)」(1946年)、「死線を彷徨い(사선을 헤매며)」(1948年)、そして上記の「凍土の青春」の三編の作品が集められた。これについては改めて紹介したいが、日本語で書いた『凍土の青春』についてだけ簡単に書いておきたい。
 『凍土の青春』は朝鮮、日本、中国を舞台に、1930年から1945年末頃までの激動の時代を疾走する主人公たちの青春ドラマだ。大日本帝国によって植民地支配された朝鮮、物語は作者の出身地である朝鮮半島の付け根部の町会寧から始まる。遊郭や兵舎で火事が起きる。独立軍の攻撃に対抗する日本官憲の取締と見せしめは凄惨で、関係のない庶民に犠牲が強いられる。主人公の李哲は割と裕福な家庭に育った学生で、家庭教師の李斗成の影響で民族独立の意志を強くしていく。李斗成は光州学生運動に関わった後、秘密裏に独立運動を遂行していた。他に斗成の同志で材木商を営む徐星やその妹で哲と愛し合う静淑などが登場する。時代は満州事変から盧溝橋事件を経て日中全面戦争時代へと移り、日本は戦線を拡大しアメリカとも戦争を始める。
 東京に留学した哲は卒業すると家族や恋人にも黙ったまま、東京の留置場で知り合った親友の待つ北京へ向かってしまう。着いたその日に北京から逃亡して、重慶にある朝鮮の臨時政府を目指して逃避行が始まる。「朝鮮の臨時政府」というのは大韓民国臨時政府のことだ。小説の中にも「上海時代」と出てくるように元は上海で組織されたが、日本軍の大陸進出に追われて1940年重慶に移った。小説で「上海の鷲」と呼ばれる主席とは金九を想定してのことだろう。一方、徐星はアメリカに亡命しOSSという特務機関に属してやはり中国にいた。OSSは作者尹在賢が実際に勤務した機関で現在のCIAの前身とされる。対日戦に力を尽くしたらしい。
 『凍土の青春』では、主要な登場人物の多くが過酷な運命を辿るが、主人公の李哲と恋人の徐静淑は長い別離期間を経て再開する。作者自身の日本軍脱出と臨時政府勤務という経験なくして、この現代史をダイナミックに捉えた小説は書けなかったに違いない。大韓民国臨時政府や光復軍について日本では殆ど知られていない。無視されてきた日朝関係史の一断面を見る思いで読むことができる。とは言え主人公は作者自身より6~7歳年上の設定で、事実そのものではないし、充分にロマンチックに再編されている。第二次世界大戦の終結から30年以上の歳月は作者に客観的視野を広げさせたに違いない。
 作者は作品を単なる悲劇に終わらせなかったし、反日憎悪一辺倒のドラマにもしなかった。哲は解放後、日本人避難民の中に、中学生の時警官の暴行から彼を救った警部を見つけ複雑な感慨を持つ。尹在賢は大日本帝国の支配者や軍部と国民をハッキリ区別していた。長い異郷での暮らしが冷静冷徹な判断をもたらしたのかも知れない。
 〈痛哭して壇君の後裔に祈る。期してこの恨みを晴らせ〉とは作中に出てくる言葉で、三・一運動の際に息子を殺された老父が遺した。戦後の朝鮮に絶望した尹在賢の恨みは『凍土の青春』によって晴れたろうか。
 作家には誰でも書かなければならない原点的作品がある。尹在賢は遺伝学者として生涯を過ごしたが、やはり作家だった。あとがきによると『凍土の青春』は出版を前提にしないで書かれた。ではなぜ尹はこの書かれなければならない作品を日本語で書いたのか? それは誰にも分からない。ただ知られざると言えども、文学の普遍的価値は民族、言語、地域そして時間を軽々と超えるのだということだ。
*この短文を『新日本文学』「〈在日〉作家の全貌─94人全紹介」の補足としておきたい。

2015年7月24日 (金)

朝日新聞 「声」 (没)

*朝日新聞「声」欄に投稿してことごとく没になっています。一部をブログに公開します。

 政治と連続する嫌韓・反中の雰囲気
 (2015年7月16日投稿)

 国会内外で安保法案が取りざたされている。違憲だから反対という意見に対して、中国の軍事大国化など国家の危機的状況に備えるべきだとの意見がある。韓国人や中国人を嫌い敵視する風潮は世間に溢れている。在日朝鮮人は直接攻撃の対象にさえなっている。日中国交回復後の中国ブームや、最近の韓流ブームを知っている者としては暗澹とした気分だ。
 フジテレビが6月5日に放送した「池上彰緊急スペシャル! 知ってるようで知らない韓国のナゾ」で、韓国の若い女性が日本に対する印象を語った。字幕には「嫌いですよ。だって韓国を苦しめたじゃないですか」と書かれたが、実際には「文化がとても多い。そして外国人が本当にたくさん訪れてくれるようです」と応えていたことが後で発覚した。嫌韓・反中の雰囲気はこうして作られてきたと感じた。デマや捏造はこれだけではないだろう。
 ヘイトスピーチ街宣はカウンターと呼ばれる差別反対運動によって今のところ押し込められている。本屋の棚を賑わせた嫌韓・反中本も、峠を越えた。しかし作られた危機感は安保法案に繋がっていないだろうか。歪んだ正義感は相手の本当の姿を見えなくさせる。確かに日本は危機的な状況にあると思う。しかしそれは本当に隣国のせいだろうか? 冷静に考えなければならない。


 朝日新聞の社説にがっかりする(2015年3月1日)

 3月1日の朝日新聞社説は〈ヘイトスピーチ包囲網を狭めよう〉というもので期待して読んだ。ところが内容はそれほどでもなかった。
 社説は、大阪市の有識者審議会の答申にふれたものだ。第三者機関がヘイトスピーチと認定すれば事実関係や改善措置を公表し、大阪市が被害者の訴訟費用を支援するという。その条例化にあたって社説で指摘しておきたいという。
 それは「表現の自由」の問題だ。答申が公共施設の利用を制限することもあるとした点に関して社説は〈公共施設は開かれた表現の場だ。過度な制約にならないよう、慎重に検討していくべきだろう。〉と言う。被害者を想定しないピントのずれた議論だ。公共施設からも路上からもレイシストは完全に追い出さなければ民主主義は守れない。
 政府に対して被害の実態調査を勧めるに至っては、一年時期が遅れてるだろうと、開いた口がふさがらない。新聞社なんだから社で取材して政府に問うべきだ。人種差別団体が自民党の選挙応援をしているので、政権が怖くてまっとうにヘイトスピーチも批判できないのだろう。欧米のマスコミに「極右政権」と呼ばれる安部政権に及び腰の新聞に存在意味はない。権力に媚びを売るな。


 朝日新聞は社説で差別を批判せよ(2015年2月24日)

 24日の朝日新聞に精神科医の斎藤環氏がコラムを書いている。先に曽野綾子氏が産経新聞に書いたアパルトヘイト容認コラムに関してである。斎藤氏は曾野氏の弁明も含めて差別主義者の発言を残念に思う以上に、曾野氏の差別発言に対する批判が概ね海外からのものだったことを惜しんだ。曾野綾子はああいう人だから今更批判してもニュースにならないという態度が差別を免責しているというのだ。正論である。
 ツイッター上などインターネット空間では批判もあったが、マスメディアの対応は鈍かった。せいぜい「ニューヨークタイムズ」はこう報じたとか、南アフリカ大使が産経新聞に抗議したとかいう受け身の報道しかしていない。いったい日本のマスメディアは差別に対抗する気があるのだろうか?
 朝日新聞はネトウヨ政権に気を遣い過ぎていないか。これは自重ではない。報道の自由を自ら放棄した自己検閲だ。差別記事批判をなぜ個人の寄稿に任せたのか。産経新聞のように「個人の見解です」と言い逃れるためか。ここは社説を以てハッキリ曾野綾子氏と産経新聞に抗議すべきだ。朝日新聞社の方針として差別扇動発言を批判するのだという態度を見せて欲しいものだ。


 公人の人種差別扇動発言は許されない(2015年2月13日)

 ヘイトスピーチをがなり立てる街宣活動の醜悪さが報道されるようになって、世間の顰蹙を買っている。ところが優しい言葉での民族差別はこの国に溢れていて止まることを知らない。
 産経新聞のコラムに、作家の曽野綾子氏が、日本の労働人口減少に関連して移民を受け入れた上で、人種で分けて居住させるべきと書き、ツイッター上ではかなり話題になっている。曾野氏は、南アフリカのアパルトヘイトを例に出し、住居は別にした方が良いとまで書いている。黒人差別人権侵害の制度として、かつて世界の批判の的となりその後廃止された人種隔離政策に賛意を示し、日本でも労働者を輸入して隔離して働かせろと言っているようだ。
 こういった他民族に対する優位意識の表れは新聞や雑誌上だけに止まらない。フジテレビの番組『とくダネ!』(2/12)で司会の小倉智昭氏は、韓国の「ナッツリターン事件」報道のなかで、
「韓国の人は自分の責任を感じるよりも、まず他人のせいにしたがるの?」
とコメンテーターとして同席した在日韓国人医師に執拗に詰め寄った。
 これも民族差別に他ならない。一人の犯罪被告を以て韓国人全体を貶めている。
 差別扇動表現は、乱暴な言葉使いだから悪いのではない。丁寧に言っても同じこと。特に公共の場でのヘイトスピーチは厳に慎んで欲しい。

2015年6月17日 (水)

黄英治『前夜』

絶望的状況下、在日朝鮮人は実存する

Photo 在日朝鮮人は見られてこなかった。
 1973年に韓国の民主活動家だった金大中が韓国中央情報部(KCIA)によって日本のホテルから拉致されて、ソウルで軟禁状態に置かれるという金大中事件が起こった。1970年代には詩人キム・ジハの投獄に大江健三郎や鶴見俊輔が抗議した。また多くの在日韓国人が韓国の独裁政権によって政治犯として囚われた。日本の知識人や市民は金大中やキム・ジハの救援に動いた。そして金鶴泳が文芸賞、李恢成が群像新人賞に続いて芥川賞を受賞すると在日朝鮮人作家たちが注目されるようになる。ようやく在日朝鮮人が見えはじめた。
 1980年、光州民主化抗争に伴う軍部の虐殺に日本の市民は抗議し、一部では在日との連帯が試みられた。しかし1988年のソウルオリンピック後の小さな韓国ブームでも、在日朝鮮人が日本人の視野に入ってくる機会は少なかった。この頃にはバブル経済が破綻する一方で、韓国をはじめ新興資本主義国の台頭に日本人は「自信」失いはじめていた。
 2002年日韓ワールドカップを経て、2003年にNHKで放送された韓国ドラマ「冬のソナタ」が火付け役となり、2004年に「宮廷女官チャングムの誓い」が放映されると韓流ブームが広がり続け、2000年代後半にはK-POPもブームとなった。しかし在日朝鮮人は脚光を浴びない。
 韓国や中国に対する日本人の持ったこれまでの優越意識は、一部では嫉妬にも似た感情を生み出していた。新大久保界隈にコリアタウンが広がり、韓国料理が珍しくなくなってきた頃、非正規労働という不安定で差別的な労働形態が一般的になってきた。暗く疲弊した日本人の、明るい韓流ブームに対する嫉みは韓国や在日朝鮮人にも向けらるようになっていった。インターネット上に差別的言辞を吐くネトウヨなる輩が増殖し、一部は路上に出て「行動する保守」と自称した。
 2012年12月に第2次安倍内閣が誕生すると「日本」を自画自賛しながら、韓国や中国を敵視し蔑視する風潮が顕著になった。
 黄英治の小説『前夜』は、韓流ブームが起きても嫌韓になっても日本社会において実態として見えない朝鮮人に光をあてて見せた。
 主人公のひとり共田浩規は大学を出てもパン工場の非正規労働者として働き、単調で過酷な労働で心身共に疲れている。父は製薬会社のリストラ担当部長で鬱病。浩規の両親は帰化朝鮮人で、浩規は父の暴力などから連想する「朝鮮」が嫌いだった。肉体的にも精神的にも疲弊して将来を展望することのできない浩規は、いつしかレイシストのデモに参加するようになる。
 一方、在日朝鮮人の尹奉昶(ユン・ポンチャン)はZTグループの朝鮮人学校襲撃にショックを受けている。奉昶は恋人の羅淳子(ナ・スンジャ)とともにレイシストに対して抗議しようとするが、黒い星屑と称されるレジスタント安三悦(アン・サミョル)が抗議を始めると集団暴行されたあげく警察に逮捕されるのを見て、恐ろしくなり何も出来なかった。
 共田浩規はZTグループのデモに加わって、気分が高揚し自分が強くなった気がしていた。浩規はデモで知り合った男を通じてグループと深く関わっていく。
 デモの現実に圧倒され傷心するが再び抵抗の計画を練る尹奉昶と、製パン工場の夜勤で体が鉛のように重くなりながらも高揚していく浩規、二人の青年は何度もすれ違いながら徐々に近づいていく。これはヘイトスピーチを扱っているが、ヘイトスピーチに抗議するための小説ではない。無論作者が「あとがき」に書いているように、意図するところは〈炭鉱のカナリア〉なのだろう。『前夜』に書かれたものは酸素の薄まった坑内で懸命に働く坑夫たちの姿だ。しかし『前夜』は絶望的状況を描いただけに終わらない。
 右傾化して排外主義がはびこる世界において、人間がいかにしたら恢復できるのか読者に問うた小説なのだ。そして少数者であるけれども在日朝鮮人がここにいるのだと、その実存を見せつけようという試みでもある。
 黄英治の文学はこれまでの『記憶の火葬』(影書房)『あの壁まで』(影書房)や単行本未収録の作品も、決して告発の文学ではない。むしろ自省の文学と呼んで良い。黄英治の批判の矢はまず先に自己を貫いて闇を照らす。

                                      (黄英治『前夜』コールサック社 1500円+税

2015年6月 3日 (水)

『さらば、ヘイト本! 嫌韓反中本ブームの裏側』 ころから

歪んだ欲求から生み出された嫌韓反中本は終焉に向かうべし!

Photo_2 ヘイト本とは、〈よその国を十把ひとからげにし、他民族を嘲笑したり、排外主義を煽る本〉のことだ。要するに『大嫌韓時代』や『マンガ大嫌韓流』などのことだが、本書で章を設けて批判されている『関東大震災「朝鮮人虐殺」はなかった』などの一見まじめな本のように見える本でも、中身がデマで、歴史的事実をねじ曲げて特定の民族を貶める本も含まれる。
 出版社のからころは、すでに『NOヘイト! 出版社の製造責任を考える』などを出版し、差別憎悪扇動に荷担する出版に抗する動きをしてきた。
 伝説的漫画誌『ガロ』の版元である青林堂が、今日のヘイトを代表する出版社に変わっていく過程はまさにリアル。単なる儲け主義に走っただけではなく、〈スピリチュアルから右翼、そしてネトウヨの世界に近づいていった〉のだった。自分の存在に対する不安が、国家や「日本」に結びついて他者を排撃していく。これはオウム真理教などのカルトと変わらない。幸福の科学などの宗教団体の排外的な政治活動とも通じる。戦前の国家神道も、神社信仰の長い歴史を破壊して誕生したカルトだった。外国の価値観や共産主義に対峙して国民(臣民と呼んだが)を軍国主義に統合する精神的支柱として創造された。そういう意味でネトウヨを「信者」と呼んでも過言ではない。恐ろしいことだ。もちろん編集者としての「望むべき社会像」を持たないで、売れることを第一目標に掲げる花田紀凱(かずよし)のような人物もいて、嫌韓反中の風を煽っている。
 この本はヘイト本が作られる過程を紹介しただけに留まらない。制作者の心の問題にまで踏み込み、立ち直りを促す。ネトウヨは〈どうも気に入らない存在、どうしても攻撃したくなる存在〉を自分の内面に持ち、それを外部に投影する。分析心理学では、それを「影─シャドー」と呼ぶそうだ。深沢潮の小説『ひとかどの父へ』において、主人公朋美の美人で向上心豊かな友人ユリに対する感情がこれだ。朋美は劣等感から厳しい母に対しても僻み、幼いときに失踪した父が朝鮮人であることを知ると、大いに恐れおののき、結局は自己の内面を覗かなければならなくなる。
 ネトウヨにとっての「影─シャドー」は韓国・朝鮮、中国そして在日が主だ。そこにアイヌや震災避難民、障害者、被差別部落民など攻撃しやすい諸々のマイノリティーならなんでも入ってくる。攻撃には快感が伴う。これは麻薬のようなものなのだろう。しかし本書で指摘されている様に、日本は長い中国や朝鮮との関係性のなかで存在する。単独では日本民族だっていないのだ。だから人類学的にも文化的にも我々はすべて混血だ。民族はあっても純血な民族なんてあり得ないことを知るべきだろう。
 ヘイト本の出版は単純に金儲けだけのためのものではなかった。もちろん「仕事」として依頼されて参加するケースが多いのだろうが、おおもとは上記のような歪んだ欲求に依拠している。これはもう「悪意」にしか過ぎない。もう一つ、ネットユーザーの多くがヘイトスピーチを悪口や批判と誤認している点も糺されなければならない。これが意外と面倒なのだ。悪意を深く内在した者にとって、マジョリティーに依拠してマイノリティーを攻撃することは普通の悪口にしか感じられないのだ。その非道が理解できない。だから日本に対するヘイトとか、カウンターのヘイトなどと訳の分からないことを言い出す。ヘイトスピーチに関する正しい理解が国民に普及しなければ、日本は戦前と同じ道を歩むだろう。
 安倍晋三からトップダウンで排外主義的空気が降りてきて日本を覆っている今日、この靄を吹き飛ばす良心の声を大きくする拡声器として、出版関係者や書店員に限らず、一般読者、ネットユーザーにも広く読まるように願う。そして嫌韓反中のヘイト本出版は割が合わない社会になってほしい。

2015年5月24日 (日)

深沢 潮『ひとかどの父へ』朝日新聞出版

我が内なる憎悪と対決せよ、混血こそ純血だ

 ヘイトスピーチ対策法案が民主党、社民党、無所属で参議院に提出された。大阪市にもヘイトスピーチ抑止条例案が提出された。人種や性別、生まれた地域など共通の属性を有する不特定の者に対する、不当な差別的言動を禁止しようというものだ。これらの法案・条例案が可決され、民族差別などを煽る憎悪表現に法的な頸木がかけられることを切に願う。
 しかし問題は法的な処置だけでは治まらない。差別扇動表現は法によって制限されても心の問題は残る。
 倉数茂は、「〈おぞましき母〉の病理」(『アイヌ民族否定論に抗する』河出書房新社 所収)に於いて、〈ヘイトスピーチの規制はあくまで対処療法である。困難はその先にある。〉と書いている。文学的命題が横たわっているのだ。
Photo 深沢潮『ひとかどの父』は人の深層の差別を、母・父・友ら他者との関係性から解いていこうとする試みと読める。主人公の朋美は何事にも消極的で、大学を卒業してもしっかりした目標も持たず、先輩の紹介で出版社でアルバイトしている。朋美の母はエステ事業などを展開する浜田コーポレーションの社長だ。朋美は一重瞼で太り気味の自分と比較して、美人で上昇志向の強いやり手の母に反発している。父とは幼い時に別れて朋美は私生児扱いだ。
 朋美は子供の頃から友だちが少なかった。小学校のときは従姉妹の幸子を除けば友だちがおらず、勉強はできたが向上心はなかった。母のお陰で経済的には恵まれたが、他人のあたたかい家庭、豊富な友人関係、向上心、美貌、そういったことがすべて妬ましく思えて、逆に目標も持たずに、人ともあまり関わらないようにしている。自分が持っていないものを他人が持っていることへの嫉妬心は根深い。
 そんな朋美の唯一人の友人がソン・ユリという在日韓国人だった。ソン・ユリとは二人でヨーロッパに卒業旅行するほど仲良かったが、朋美は韓国人に良い感情を抱けない。〈朋美よりもずっと優れた容姿を持ち、あたたかな家庭に恵まれたユリへの屈折した嫉妬心は、〉ユリが在日韓国人であることへの差別へと結びついている。しかも母は独立心が強く目標を持った生き方をするユリを好み褒めた。朋美は母に対する劣等感から親友に差別感を持つが、ソン・ユリは社会的に差別されても悔しさをばねに自分の道を切り開いて行き、報道の仕事に就きニュースキャスターを目指している。母に反発する朋美は、在日韓国人であるユリを下に見ることによって自己を保とうとしている。
 ところが、朋美の母浜田清子が選挙に立候補したことで、醜聞が広がる。「浜田清子が未婚の母で、一人娘の父親は北朝鮮の工作員ではないか」というスクープ記事が週刊誌に出たのだ。朋美は〈もしかしたら自分が朝鮮人の子供なのかと思うと、不安な気持ちと母への怒りの感情が同時に湧き上がってくる。〉

  母に抱かれ、母の乳房を吸うことで、自他一体の海にたゆたっていた乳児は、やがて言語の世界に参入するためにも、どこかで自分と世界とを切り分けなければならない。そのために乳児は母の身体を「棄却(アブジェクション)」する。つまり、危険でおぞましいものとして押しのける。しかし、同時にそれは自分自身であり、また母子が一体化していた原初的な満足の痕跡であるために、永遠の魅惑を放ちつづける。
                                                                 (倉数茂「〈おぞましき母〉の病理」)

 朋美の母との葛藤は、母からの自立の為の産みの苦しみとも言えるが、自分似の父を奪ったものとの闘いでもあったろう。奪われた父を取り返す過程を除いて朋美の自立はない。父を取り返すことは同時に朋美にとって純血神話から脱却することをも意味する。母の過去であり、朋美の出生の秘密が明かされていく過程で、内在する差別の精神構造が明らかになっていく。
 あらかじめ失われた享楽を他者を排除することに見出そうとするレイシズムは、不遇な自己を更に凄惨な不幸に追い込むだろう。純血という神話を作ったのは誰か、小説には答えがない。しかし我々の原初を見定めていけば、そこに母があり父がある。母父にも母父があり、混沌とした混血の末裔としての自己が存在する。純血ではないおぞましい異物こそ自身の原初なのだと知るべきだ。この小説には沢山のヒントが隠されているように思える。
(深沢 潮『ひとかどの父』 朝日新聞出版 1800円+税)

2015年5月10日 (日)

山代巴 模索の軌跡

牧原憲夫『山代巴 模索の軌跡』而立書房

主体性の確立による変革は可能か

Photo 1980年11月、山代巴の『霧氷の花』が出版された。私が山代巴の名を知ったのはその少し前、『季刊三千里』1980年冬号に「トラジの歌」の連載が始まったときだ。戦中の軍国主義下、日本の民主化を目指し治安維持法幇助で囚われる吉野光子と、朝鮮人少女金命芳との交流を描いた作品で、『山代巴文庫第一期 囚われの女たち』の第4巻に当たる。『囚われの女たち』は、『霧氷の花』を第1巻として全10巻で構成される。1942年頃から1945年夏まで3年間の山代巴自身の歩みが光子に託された小説だ。
 当時東京や広島などに読者サークルが作られ、盛んに読書会が開かれた。東京の「山代巴を読む会」は、『囚われの女たち』の発刊とほぼ同時に牧原憲夫さんを中心に結成された。全国に会員を持つ会として会報も発行した。若い私も会報の編集に参加させて貰い、いろいろ学ぶことがあった。編集後記など読み返すと恥ずかしいくらい意気揚々としている。『囚われの女たち』の読者にしては、私は若く独善的に過ぎたようだ。
 『囚われの女たち』の完結後、『山代巴文庫第二期』全8巻が発行され、牧原さんはその解説を担当されるなど山代巴の思想と直接的に関わり続けた。私の方はその後読み返すこともなく、『山代巴獄中手記書簡集』の発行も知らなかった。(もしくは目にしても気にかからなかったのかも知れない)
 『山代巴 模索の軌跡』は山代巴の評伝だ。これを書けるのは牧原憲夫しかなかったろう。山代の思想の軌跡を丁寧に追いかけるなど至難の業だ。山代巴は常軌を逸している。「幹部のやったことを批判するのは危険分子と思われても仕方がない」のに共産党組織に連なりながら、幹部を批判する。党中央の決めたことを無闇に信じず、自分で考えて行動する。選挙に立候補しろと言われても断ったり、党中央に平然と逆らう。
 革命運動家山代巴の行動と思想は、それまで書かれてきた歴史の正統性から著しく隔たっている。非転向を貫くよりも、転向してでも仲間を守る道を模索した。非転向で出てきて、集まった同志を一網打尽とされるより、孤独に耐えて守るほうの価値を支持した。
 山代巴の現代史には徳田球一や宮本顕治よりも、丹野セツや田中ウタが重要な位置を占める。どれほどの人が彼女らを知るだろうか。田中ウタについてはかろうじて菅原克己『遠い城』に出てくるが、菅原だってそう有名ではない。
 牧原憲夫はこう言っている。

 国家(権力)が「歴史」を独占したり不都合な記述を抹殺してはならないように、仲間内だけの党史でであっても、なにが重要な事実かをめぐる率直な議論を抑圧すべきではない。「歴史」は自己正当化ではなく自己客観化のためにある。

 官僚主義が運動組織に共通する病根である事実を山代は無視できなかった。〈広汎な人々を結集しきびしい現実を切り拓くにはどうすべきか〉という人民戦線の思想、夫山代吉宗とともに築いた京浜グループの精神を生かした運動を模索した。
 そこには〈人権こそ解放の基礎〉という運動論が基本になっている。吉宗は、〈労働者一人ひとりが主体的に状況を切りひらく力をもつためには、指導者は理論や「正しいこと」を押しつけるのではなく、まず「質問の出る雰囲気」つまり不満や疑問を口に出せる関係をていねいにつくる、そして質問に誠実に答えるとともに「日常茶飯に人権の折り目をたたむ」、この二つを基本に「自己の哲学をみがく」努力をつづけねばならない、と結論したのである。〉
 山代巴の文学も運動と離しては考えられない。「一人で百の作品を書くよりも、百人が一つずつの作品が書ける仲間づくりの道」が山代巴の文学的立場だった。山代巴の文学は社会運動としての文学だ。そのために、当時評価の分かれた島尾敏雄の「ちっぽけなアバンチュール」などには否定的な感想しか持てなかった。

 現在の急速な右傾化に山代巴だったらどう対峙したろうか? ネトウヨなんて想像すらできないだろうが、嫉み妬み、被害者意識と優越感からヘイトスピーチを繰り返す人々。嫌韓嫌中本は溢れ、軍国主義時代の戦艦をモチーフにした美少女アニメに熱中する若者も少なくない。SNSで大半が意味不明の言説が飛び交っている。
 山代巴の「泥臭い言葉」の文学で対応できるだろうか? ただ日本を戦争へ追い立てる「論理のない感動」「感動の美学」には敏感に反応しただろうが、3・11以後の頑張れ日本的な、日本国自画自賛の雰囲気にどう対抗していったろうか。
 台頭する排外主義、ヘイトクライムにカウンターを名乗り対抗する人々がいる。その中には右翼を名乗る人から、新左翼、そもそも政治的党派を嫌う人々、日本共産党も入っているいる。これは果たして人民戦線に繋がるのか? そう単純ではない気がする。
 山代巴は、〈中央集権的な官僚国家ではなく、自主的に考え行動するとともにみずからの社会的責任を自覚する個人を基礎にした自治(自己決定)の社会〉としての社会主義を目指した。だが本当に主体性の確立なんて可能なのだろうか? 希望も見え隠れするが混迷は更に深い。

2015年4月15日 (水)

『貧乏の神様』を読んで『仮面の国』を再読する

柳美里『貧乏の神様 芥川賞作家困窮生活記(2015年4月 双葉社)
柳美里『仮面の国』(1998年4月 新潮社)

Photo 柳美里の『貧乏の神様 芥川賞作家困窮生活記』を読んで、思わず小説家にならなくって良かったと思ってしまった。柳美里は書くことでようやく自己確認できる、書かなければ息ができない、書くことでしか生きられない作家だ。

    書くことで自分に他人を宿し、読まれることで自分を他人に託すことによってしか生きられないので、生きているうちは書くことを手放せないと思います。

 30年来の読者なので、そこまでは知っていた。しかし書くことでしか収入のない生活は大変だ。水道や電気などの公共料金が払えないほどの貧乏をしながら、書くことしか考えられない。コンビニでバイトとかは考えない。書かなければならないのに不払いの原稿料の催促に時間を取られる。経済的にも書くことでしか生きられぬ不遇までは考えが至らなかった。
 それなのに「貧乏話は脚色」「ギャンブルで大金を擦っている」「豪華な生活をしている」など、柳美里に関するデマが流される。
 柳美里に関する流言飛語・デマ中傷は昔から流れていた。嫌われ者なのだ。『貧乏の神様』を読んで古い本を思いだしたので再読した。1998年に出版された『仮面の国』だ。
 『仮面の国』は1997年~翌98年にかけて雑誌『新潮45』に連載された社会時評だ。帯に著者に対する悪口が列挙されている。帯には普通推薦文などの本に賛意を示すものが載せられるが、この本の帯には〈連載中に寄せられた異論反論の一部〉が掲載されている。小林よしのり、田中康夫、そして脅迫犯のメッセージまである。
 そもそも『仮面の国』はなぜ書かれたか。1997年2月、東京と横浜の4書店で『家族シネマ』と『水辺のゆりかご』のサイン会が開かれる予定だった。そこに〈独立義勇軍〉〈新右翼〉を名乗る男から脅迫電話があり、書店でのサイン会は中止に追い込まれた。サイン会は結局6ヶ月後に、版元である講談社・角川書店の要請で日本出版クラブ会館で開催された。この一連の事件に対して小林よしのりが雑誌『SAPIO』に書いた記事でいちゃもんをつけた。被害者である柳美里が「在日韓国人」であるが故に、朝日新聞が「従軍慰安婦」問題とリンクしてキャンペーンを張ったというものだ。そして柳美里は朝日のキャンペーンに乗って被害者特権を発揮して儲けてると言いたいようだ。このとき今の所謂「在日特権」論は始まった。『仮面の国』の帯に西尾幹二が『新潮45』に寄せた言葉が載っている。「在日韓国朝鮮人であることの弱みを特権化」「弱い女であることの特権まで振り回して……」だ。これは現在、在特会系のヘイト(憎悪扇動)団体が、「在日特権」「アイヌ特権」「障害者特権」などと頻繁に使う言葉と同じだ。
 因みに柳美里は従軍慰安婦について、国家・軍の強制に関しては疑義を持っていて、櫻井よしこの意見に同調している。ただ、柳美里は〈朝鮮人慰安婦問題は他国の女性を自国軍の慰安婦にしたという事実に尽き、強制連行か商行為だったかなど無意味だと考えている。〉柳美里の認識は私のとは微妙にズレがある。植民地支配下の女性をどのような形でも連行し、日本軍に従軍させ、帰りたいと言っても帰して貰える訳もなく、売春は嫌だと言っても止めさせてもらえない状況で連れ回した事実を「強制連行」と言わずに何という。小林よしのりのマンガは「女たちはこのときばかりに稼ぐ」という愚劣なものだが、価値のない軍票を戦地で与えられて稼ぎになろうか。
 ここで考えたいのは従軍慰安婦問題ではない。小林よしのり・西尾幹二ら新しい歴史教科書をつくる会や柳美里サイン会脅迫犯の言説だ。彼ら歴史修正主義の謬論が巷に支流となって広がり、それを虚しい根拠にネトウヨや在特会系のヘイトスピーチが垂れ流されている。今の日本は、「日本最大級の国粋主義者団体」と呼ばれる日本会議のメンバーが閣僚を占め(公明党員以外)、歴史修正主義者が首相を務めている。彼らの意志が教科書検定に反映され、教科書が歪んでいく。
 『仮面の国』には脅迫犯の終結宣言的電話の記録も掲載されている。犯人は、「柳美里」に「ユミリ」とルビをふるのはおかしい。「ハングル読み強制は日本叩きだ」と言っている。竹島問題で韓国に怒りがあるとも言っている。部落、天皇、創価学会、朝鮮人、外国人労働者問題がタブーになっているのもけしからん、と続ける。これらの問題(?)は今日ネトウヨや排外主義者が声高に叫ぶヘイトスピーチのネタだ。しかしこの犯人は意外と憎めない。〈ユウさんの文学のファン〉だと言い、ヤンソギル、金石範、李良枝、李恢成も読んでいると言う。〈今度の件〉で『水辺のゆりかご』読んで彼女がいじめの被害者だと知ったが、知っていたら脅迫しなかった、と言う。被害者意識が強く、自分の生がうまくいかないのは誰か(韓国とか在日とか)のせいだと思い込んでいる。だからイジメにあった人間には同情する。やったことは犯罪だが、小林・西尾らほど悪質ではない感じがする。だいいち結構読んでいる。最近のネトウヨの悪罵は、当該書籍を読んでいない発言だ。
 例えば、雑誌『創』が柳美里に原稿不払いで問題になった件ではこう言っている。

    反日発言してきた韓国籍の作家なんかが書いてる雑誌なんて売れなくて当然じゃないかな。しかも日本の小説って表現の自由を謳いながら、在日問題や、日本人に対する在日のヘイトスピーチすら題材にする人が殆どいないし、小説に出てくる在日はいつも被害者で、「常に日本人が悪かったごめんなさい」みたいな風潮でしょ。文学の世界はあまりにも意識が遅れていて、つねに左翼と在日であふれかえってるような気がする。

 先の脅迫犯と違ってまったく文学作品を読んでいないことが分かる。柳美里も含めて在日朝鮮人の作品など見たこともなかろう。お仕着せの、誰かが言った言葉の繰り返しで、自分で読んで自分で判断してはいない。単純明快で理解しやすいが、中身がない。amazonの『鶴橋安寧アンチ・ヘイト・クロニクル』に送られたネトウヨのレビューも大方こんなものだ。右翼の議論はここまでは劣化してしまった。脅迫犯には焦燥感があったが、ネトウヨのは上っ面で誠実さにかける。こんな輩(やから)がのさばる嫌な世の中になったものだが、根源の悪は1990年代後半の歴史修正主義者の台頭だった。小林よしのり等のヘイトスピーチをその当時叩き潰せず、市民権を与えてしまった我々にも責任の一端はあるだろう。
[関連]柳美里『JR上野駅公園口』

2015年4月 8日 (水)

辺境から日本の歴史を再構築する試み

瀬川拓郎『アイヌ学入門』講談社現代新書
岡和田晃『北の想像力《北海道文学》と《北海道SF》をめぐる思索の旅寿郎社

 木村友祐の「ひのもとのまなか」(『すばる』2014年2月)に「日本中央」と刻まれた石碑が出てくる。青森の東北町というところにあるという。これは壺の碑と呼ばれている。
 20年前に八戸から上京した青年が、都会人になっていく過程で失っていったものに気づく緩やかな精神的変遷を描いた小説だ。大学生の峯田利文は方言が恥ずかしくて無口であったが、かえって寡黙な雰囲気が好まれて女友達が出来る。同時に東京の大学生である利文は故郷で出会った女性と付き合うようになる。郷愁を捨てて女と別れた利文は20年後、東京での暮らしからも身を引いて東北に向かっている。道程で立ち寄ったのが、「日本中央」の碑である。『旧唐書』に「日本國者倭國之別種也」とあることから、先入観なしに考えると蝦夷の国を「日本國」、西の大和朝廷を「倭國」と想定することになる。ただしこれには諸説あり、日本列島を含む古代東アジアの政治的区分は不明瞭だ。
Photo_2 瀬川拓郎『アイヌ学入門』で学んだことがある。
 14世紀の北海道に3種類の蝦夷(アイヌ)がいた。「日の本(ひのもと)」「唐子(からこ)」は和人と言葉が通じず、「渡党(わたりとう)」は和人に似て言葉も通じた。渡党と呼ばれるアイヌは和人文化の影響を受けたクレオール的存在だが、日の本と唐子は和人から見ると全く異形の者であった。金田一京助は、日の本を太平洋側の人々、唐子を日本海側の人々と考えた。それぞれ10世紀に成立した太平洋沿岸集団、日本海沿岸集団の末裔と見られる。これは北海道の話だが、東北北部にアイヌが生活していたことや、アイヌの先祖が古代縄文人だったことなどは知る人のあいだでは周知の事実だ。日の本が東北にあっても不思議ではない。
 「日の本」「唐子」「渡党」という名付けは和人によるものであるから、和人が日の本を自分たちと異なる民族集団の一部と認識していたことになる。しかし渡党が倭人文化の影響を強く受けたアイヌであったならば、逆に東北の倭人集団のなかにはアイヌ文化の強い影響を受けた集団もあったかも知れない。彼らを含めてヤマトの中央政権は、東北の人々を蝦夷(エミシ)と呼んだ。蝦夷のなかに自らを「日本」と呼んだ部分があったとしても不思議ではない。
 ヤマト王権~室町政権期に至るまでの日本人の多くは「日本」を自分の国の名称とは思っていなかったと言っても過言ではあるまい。『アイヌ学入門』によると、『諏訪大明神絵詞』ではアイヌの一部を「日の本」と呼んでいるのだ。
 しかし8世紀には『日本書紀』も成立している訳だし、ヤマトの国号は7世紀には「日本」とされた可能性が高い。政権が対外的に使用する公式な国号とその国・地域に住む人々が普段使う言葉とのあいだにズレがあるのは普通だ。まして古代から中世にかけて、教育も交通も通信も現代とは格段に低い水準だった時代に、国号など理解の外だったに違いない。
 そもそもアイヌとは何か、蝦夷とは何か? 『アイヌ学入門』が示したアイヌ民族の姿は、民族衣装をまとい狩猟をして雪の森で原始的な暮らしを営む人々の姿ではない。もちろんそうしたエコロジーな民族性のすべてが否定されるものではない。しかしそれはすべてではなかった。鎧兜を身に付けモンゴル兵と戦うアイヌを想像したことがあるだろうか。アイヌは千島・サハリンから大陸まで闊歩し、元や明とも交易した海の民族だった。狩猟もするが農耕もした。砂金を掘り交易に使った。彼らはアイヌ語をはじめ独自の文化を守りながらも、長い民族史の中で変容を繰り返してきたのだ。
 昨今の日本自画自賛的マスメディアの氾濫、頑張ろうニッポン的空想の純血日本民族説に支えられる、他民族排除、アイヌ民族に対する愚弄言説は科学的史実によって覆される。アイヌが北海道や千島列島における先住民族であった事実は尊重されなければならない。

    重要なのは、アイヌ・琉球人・和人が、同じ縄文人を祖先にもちながら、それぞれがちがった歴史を歩んできた事実であり、たがいに異なる集団と認識してきた事実です。
     ………
    アイヌはみずからの文化伝統を守りながら、同時に異文化を受容して豊かな文化を築いてきた
     ………
    近現代の「民族」としてのアイヌは、このようなエスニシティ、つまり集団としての高度なアイデンティティという民族的な実体をその基礎にもつものだった

 アイヌ民族は縄文人の子孫でありながら、後の日本人にとっては先住民だった。これは誰にも否定できない。
 まさにアイヌ民族の地であったために、大日本帝国の辺境としての役割を担った北海道を巡る文芸を紹介した批評が『北の想像力《北海道文学》と《北海道SF》をめぐる思索の旅』だ。編集した岡和田晃は次のように言っている。

    北海道は、日本という国民国家(ネーション・ステート)の内部に留め置かれながらも、常にナショナリティの枠組みから逸脱することを余儀なくされてきたトポスであった。
     その要因として、北海道の「内地」(本州)と大きく異なる気候風土がよく指摘されるが、同じくらいに決定的な要因として「アイヌ」から土地を収奪して開拓を行ったという成立事情が挙げられる。

Photo_3 前近代帝国主義による収奪は琉球同様だが、古い段階から植民地支配された北海道(蝦夷)は、より深く帝国に組み込まれてきた。今や北海道を他言語他文化とのグラデーション地区=国境地域と見る識者は少ない。しかし強権政治の下排外主義・レイシズムが横行する現在、偏狭な民族主義幻想を打ち破る意味でも北海道を読み直す行為は重要だ。
 『北の想像力』は、20名にも及ぶ執筆者によって、「北海道」に対し、アイヌの口承文芸から武田泰淳・安部公房・向井豊昭に至る現代文学、またSF文学やSF文学を読む視点からの北海道文学の解読など多様な観点からアプローチしている。正直読んでいない、観ていない作品が多すぎてこの本の全貌を批評出来ない。候孝賢からガメラまで登場する『北の想像力』の広さは、そのまま深さに直結していて手に負えない。
 辺境の解読が我々にもたらすものについて考えてみよう。我々はどこにいるのか。我々は誰なのか。偏執な空想的民族主義に自己の立ち位置を託して、差別と排除によって劣等感の裏返しの優越感をむさぼり、おこぼれの銭をトリクルダウンと称してかき集める、そんな卑しい人間にならないために。
 さて冒頭の木村友祐「ひのもとのまなか」だが、地方語を多用した文体といい、本州最北端の「日本中央」の碑にアイデンティティーを探る端緒を見つける方法といい、帝国に身を置きながら辺境を生きる方向へ向かっているようだ。

[参考]
岡和田晃と向井豊昭の闘争──辺境から立ち上がり国境を壊す

2015年3月15日 (日)

歴史修正主義に対峙するテキスト続々

水野直樹/文京洙『在日朝鮮人 歴史と現代』(岩波新書)
金時鐘『朝鮮と日本に生きる──済州島から猪飼野へ』(岩波新書)

 李信恵の『#鶴橋安寧 アンチ・ヘイト・クロニクル』には、「在日の街と人と」の章があり、著者の家族や友人など在日朝鮮人の個人史と生活について語られている。知らないことによって生み出される偏見を淘汰するためには、この捨て身の表現は必須だったのだろう。
 在日に対する憎悪扇動(ヘイトスピーチ)は必ずしも知識がないからと言うわけではない。もちろん無知な青少年に排外的憎悪を植え付ける「大人」の罪は大きいが、排外主義者のうち少なくない部分が自分、及び自分が認定した仲間以外の他者も、自分と同じ人間なのだと分かっていながら憎悪扇動しているのだろう。
 しかし何ら根拠のないデマでも100回も聞いている内にそんな気になってくるものだ。何の知識も経験もなければデマに流されるだろう。カウンター側、アンチヘイトの側も事実を知らずに誹謗中傷に対抗するのは疲労だ。デマには事実で対峙するしかない。
 在日朝鮮人は見えにくい。民族性を主張すれば差別の海に自らを晒すことになるからだ。自分を日本人と思っている多くの人にとって、そばに居ても見えず、マスコミや小説でやっと知る存在だ。ネトウヨによってばらまかれるおぞましい「在日朝鮮人」像がデマか、デマに基づいた妄想である事実を知るには努力が必要なのだ。
Photo 水野直樹/文京洙『在日朝鮮人 歴史と現代』(岩波新書)と、金時鐘『朝鮮と日本に生きる──済州島から猪飼野へ』(岩波新書)は時宜を得た出版だ。
 これまでも在日する朝鮮人は描かれてきた。歴史も書かれてきた。在日朝鮮人作家たちの営みは1970年代に豊穣期を迎え、戦後日本で生きる在日朝鮮人たちの姿を見せてくれた。金泰生『私の日本地図』(未來社)や鄭承博『裸の捕虜』(文藝春秋のちに新幹社から再刊)、高史明『生きることの意味』(ちくま文庫)などの自伝的作品は在日朝鮮人の歴史的実像をわれわれに見せつけた。その後も有名・無名の在日朝鮮人の表現は続き、集英社新書『在日一世の記憶』(小熊英二・姜尚中編)は、在日朝鮮人民衆の声を集つめて興味深い。塊ではない一人ひとり事情の違う在日の記憶を集めた貴重な証言集だ。この中に詩人金時鐘の証言も収録されている。
 『朝鮮と日本に生きる──済州島から猪飼野へ』は、済州島生まれの皇国青年であった金時鐘が、済州島四・三事件を経て、日本で生きることになる道程を自ら明らかにしたものだ。
 在日朝鮮人と一括りに言っても一人ひとり違う人間だ。日本の敗戦、朝鮮にとっての解放の日である筈の日の迎え方もそれぞれだ。特攻隊になるという思いだけをたった一つの恐ろしい出口とした高史明は呆然として迎え、翌日暴れ回った。金泰生は〈これまでの長い異国暮らしの中で最も楽しかったといえる日を一つだけ挙げろといわれれば、ぼくはためらうことなく、あの、八・一五  一九四五年八月一五日をあげるだろう。〉(『私の日本地図』)と言っている。
 金時鐘はその日を落胆して迎えた。彼は皇国青年だったのだ。
〈ついにその日がきました。植民地統治の頸木から解き放たれる、回天の八月一五日がやってきたのです。落胆のあまり見上げた空はまっ青で、そのまま消え入ってしまいたい私でもありました。〉
 金時鐘は強制連行された労働者ではない。日本帝国主義の収奪にあってやむなく日本に生活の場を求めた朝鮮人でもない。皇国青年だった金時鐘は解放後民族主義者になり、社会主義者に成長して済州島四・三民衆蜂起に加わり、凄惨な弾圧から逃れて密航して渡日した。朝鮮半島の南半分を分断支配しようとしたアメリカと李承晩の手足となったのは、かつて日本帝国主義に忠誠を誓った「親日派」人士だった。〈総督府吏員は現職に留まれとの軍政通達で、……社会の仕組みはまたたく間に親日右翼によって占められていきました。〉そもそも日本の植民地支配なくして済州島の民衆虐殺も、それに繋がる朝鮮戦争もなかった。
 金時鐘は大阪猪飼野の朝鮮人密集地域に住みこみ、在日朝鮮人運動に携わりながら、一方で詩人小野十三郎の影響を受けて詩人として頭角を現す。今や日本語詩人として第一人者と言っても過言ではない。
 排外主義に毒された人間も、一人ひとりの在日朝鮮人を知るべきだ。トリクルダウンのおこぼれ金欲しさの嫌韓本読んで何になる。
 日本軍に強制的に売春させられた朝鮮人女性たちや、強制連行されて炭鉱などで働かされた朝鮮人労働者の存在自体を否定しようという、あまりにも馬鹿げた歪んだ「在特会」的あるいは「頑張れ日本」的発想は、記憶を発掘すれば雲散霧消しそうなものだが、現実には「歴史修正主義」と呼ばれるコピペデマ史観がはびこっている。
 東アジア共同ワークショップなど、強制連行された朝鮮人労働者の遺骨発掘を続ける地道な調査で、事実を裏付け証明し、過去を清算して東アジアの民衆連帯を模索する運動もある。また、誠実な歴史研究者たちの研究も少なくない。
Photo_2 在日朝鮮人の歴史と実際を客観的に知るためには、『在日朝鮮人 歴史と現代』が優れた教科書となる。
 明治期から現代に至る在日朝鮮人の実態を、微に入り細に渡って、しかも簡潔に事実を積み重ねて、誇張せず、偏向しないように慎重に記述している。これには歴史修正主義者のコピペ理論に知性で対抗しようという意図が窺える。
 在日朝鮮人の、明治期から現代に至る法的、経済的、政治的地位の変遷。在日朝鮮人による文化、文学運動の歴史的実態。力道山から韓流ブームまで書かれ、在日朝鮮人文学についても言及されている。
 在日朝鮮人運動に関しても偏らず、硬直した陰の部分の事実の紹介にも努めている。在日社会と韓国、北朝鮮政府との関係、現在日本に於ける問題に至るまで簡潔に書かれた。最終章「グローバル化のなかの在日朝鮮人」は、否応なく多文化社会化せざるを得ない現代社会で考えなければならない多くを日本人にも示唆してくれる。
 在日朝鮮人は誰で、何故日本に居るのか、その法的地位はどうなっているのか、「特権」があるのか? 知りたければ必読だ。
 ついでに日本と朝鮮の関係をもう少し詳しく知ろうとするなら、趙景達『近代朝鮮と日本』(岩波新書)、金重明『物語 朝鮮王朝の滅亡』(岩波新書)が分かりやすい。

2015年2月28日 (土)

高血圧で薬を飲むな?

大櫛陽一『高血圧のほとんどは薬はいらない!』の提起したもの

 2009年の冬からノルバスク・ブロブレスそしてアーチストを服用するようになった。降圧剤だ。初診血圧が188-128だったので致し方なかった。それ以前から健診で高血圧を言い渡されて血圧は測っていた。2006年8月から記録が残っている。上がったり下がったりで少しずつ上がっていった。
Photo_4 その頃からいくらかの疑念を持ってはいた。高血圧を決定する基準が誰でも同じというのはどうか。人間には個体差があるだろう。血圧が高くて具合が悪いということはなかった。それでも医者が言うのだから薬ぐらい飲んでおこう。だが最近米寿を過ぎた母の血圧が高いことが判明。なにしろ老人だから医者に連れて行くのも大変だし、無闇に薬を飲ませて良いものか心配なのだ。いろいろ迷っているなかで出会った本が大櫛陽一著『高血圧のほとんどは薬はいらない!──50歳・男性で155は正常値』(角川SSC新書)だった。
 この本で様々な疑問が解けた。
 2014年4月に日本人間ドック学会が健康診断の新基準を発表した。血圧の基準は上(収縮期)を147mmHg、下(拡張期)を94mmHgとした。ところが現状の基準129-84を死守したい日本高血圧学会が反発、人間ドック学会は事実上撤退した。何故か? 著者は人間ドックの受診者の多くは「特定健診」の補助金を使っており、厚生労働省が新基準を黙殺したため、新基準範囲を使うと補助金対象でなくなるためだ、と書いている。
 1999年まで、高血圧の基準は「年齢+90」以上だったのだ。それが、新しい降圧剤がどんどん開発されたため、これらの商品の売り上げを伸ばすために130-85以上は高血圧という単純な規定が出来てしまった。製薬会社と医学界の癒着である。
Photo_5 著者は〈日本では今でも製薬会社と医師の経済的な癒着が続いています。〉とし、血圧に関しては、降圧剤の臨床治験にノバルティスファーマ社が11億3290万円、武田薬品工業が37億5000万円を提供しているという報道を紹介している。全体としては莫大な金額が動いているようで、血圧学会の示したガイドラインは信用できないのだ。
 アメリカでも1990年代には「高血圧マフィア」の影響で日本と同様の低いガイドラインが作られたようだが、2010年に製薬企業などが医師や大学等へ利益供与する場合の報告・公開が厳しくなったために、2013年から診療ガイドラインの改訂が相次ぎ、血圧に関しては基準が年齢別に制定された。因みに60歳以上は150-90とのことだ。日本の基準よりはずっと高い。
 著者やその他の医師たちの研究によると、長寿者で自立度の高い人ほど血圧が高い。それでも高血圧症がないわけではない。180-110が一日続く状態が本当の高血圧の平均値だ。著者は年齢ごとの性別年齢別の基準範囲を作成して表にした。
 降圧剤を飲んで血圧を下げても、健康に良ければまあ良いのだけれど、降圧剤の弊害は脳梗塞の発症など甚大だ。我々は製薬会社-医学会-厚生労働省の癒着に命を差し出しているのかも知れない。恐ろしいことだ。そう言えば生命保険の勧誘員が、私が血圧の薬を飲んでいることを知るとすごすごと帰って行ったことがある。ひょっとして降圧剤が命を縮めることを知っていたんじゃないか、と疑いたくなる。

2015年2月 9日 (月)

『アイヌ民族否定論に抗する』岡和田晃 マーク・ウィンチェスター編

架空の純血に固執する先住民族バッシングをやめろ

『アイヌ民族否定論に抗する』岡和田晃 マーク・ウィンチェスター編 河出書房新社

Photo_2 アイヌ民族バッシングが世評を惹いたのは、金子やすゆき(快之)札幌市議会議員の「アイヌ民族なんて、いまはもういない……利権を行使しまくっている」というTwitterでの発言がきっかけになった。それまでも反レイシズム運動を行っていたSAPPORO AGAINST RACISMは、ただちに金子やすゆき札幌市議を辞めさせるための署名活動を開始し、〈公人によるアイヌ民族へのヘイトスピーチという問題を世に知らしめ〉た。(青木陽子「札幌におけるカウンター行動と金子市議への議員辞職勧告決議を求める署名活動」)
 『アイヌ民族否定論に抗する』はアイヌ民族を否定し貶める差別的論調にたいする対抗として編集された。執筆者は24名にも及ぶ。緊急出版であるにも関わらず、内容の豊富さに驚かされる。無論、アイヌ民族否定論に反対する立場からの意見であるという点だけは一致している。
 出版の趣旨は冒頭の対談(岡和田晃×マークウィンチェスター)に明らかだ。金子やすゆきのアイヌ民族に対するヘイトが、突然現出した一過性の問題ではなく、1990年台中盤以降の小林よしのりや「新しい歴史教科書をつくる会」等の歴史修正主義の潮流と、その後表れた嫌韓嫌中アッピールから続いた問題だ。昨今のアイヌ民族否定論がこれまでの差別と違うのは〈アイヌを貶めるための意図的なネガティヴ・キャンペーンだ〉(マークウィンチェスター)ということだ。彼らは「勉強会」を重ね集会を開いて、アイヌヘイト支持層を作り出している。金子市議は辞職勧告決議を受けても辞職していない。それは彼のヘイトを拡散する一定の支持層をすでに持っているからだ。
 彼らの主張のひとつに「アイヌ利権」という言葉がある。これは所謂「在日特権」と同じく根拠の無いヒガミから捏造された言葉だが、アイヌ文化振興法などのアイヌ政策が歴史的背景を無視して攻撃の的になっている。アイヌにたいする福祉政策が「利権」と歪められ叩かれているのだ。小林よしのりらのアイヌ民族否定論は、アイヌの政治的主張を「特権」の要求とみなしている。〈歴史的に差別抑圧を被ったことへの回復措置を特権と称して攻撃する在特会のロジックとも同型〉だ。(東條慎生「再演される戦前」)
 「弱者利権」なる排除の論理で正当化されるのは、守られるべき「日本人」である自己ということになる。
 アイヌに対しては、純粋なアイヌはいないとか、アイヌに定義はなくアイヌになりすましているだけだとか言いながら、純粋な日本民族の定義など出来はしないことに気付いていない。レイシストの理不尽な問いにもこの本は丁寧に答えている。

    今、我々が「アイヌ文化」とみなしているものは、旧石器・縄文・続縄文時代を経て、擦文文化期を経、またそこにオホーツク文化が渡来し、混交・成熟し成立した。単純に言えば、縄文人の子孫である擦文人を母体としオホーツク人が融合して近世以降のアイヌという民族集団が成立したということになる。

 アイヌも和人も、地球上のすべての民族集団は「純粋」であることはない。すべての人間集団は混交と変容を経て存在している。
                        (大野徹人「アイヌ民族は存在するか」)

 民族に対する単一の定義は無い。先住民族のあり方は多様だ。マジョリティー国家に支配された「先住民族」が独自の国家を持たなかったからといって辱められる所以は無い。その文化が劣ったものとして打ち捨てられるべきものではない。しかし、〈先住民族はわたしたちと同じ時間を共有しる現代人〉でもある。中村和恵は「先住民族とはだれか」でこう言ってる。当たり前のことだがハッとする言葉だ。アイヌが民族衣装を着て狩猟生活することを止めたとしてもアイヌはアイヌだ。和人だって着物を着てちょんまげをしてる訳ではない。
 歴史や政治を伝え、文学や文化運動の視点からアプローチし、個々にアイヌ民族ヘイト論を撃破していく。アイヌだけではなく、ヘイトスピーチに普遍的批判を加える。
 教えられることも少なくない。研究者のあいだでは周知のことかも知れないが、樺太アイヌの強制移住についてなど考えたことも無かった。殆ど名前しか知らないアイヌの歌人違星北斗の生涯についても興味深く読んだ。違星は余市コタンの出身だ。余談だが、NHKの朝の連続テレビ小説「マッサン」も余市が舞台になっている。昭和初期だから時代も重なるが、アイヌはまったく出てこない。北海道は維新戦争に敗れた会津武士が死にものぐるいで開拓した土地という一面だけが出てくる。和人の侵略支配の話は出てこない。(多分?)
 村井紀「Tokapuchi(十勝)─上西晴治のioru(イオル=アイヌ・ネイション)の闘争」も特に興味深い評論だ。アイヌ民族の近代史を描いた長編小説『十勝平野』を論じ、上西を〈日本の近代植民地主義とその現代の諸相と(その投影である「近代日本文学」と)対峙した作家として、最大・最高の「現代アイヌ文学者」なのである。〉と規定している。
 倉数茂「〈おぞましき母〉の病理 日本型レイシズムについてのノート」にも考えさせられた。

    目の前に自分と異なる「享楽のモード」──文化的差異と言い換えてよい──を持った人物があらわれたとき、その他者が「我々」の享楽を盗み取ってしまったのだという幻想が生まれる。……日本のレイシストたちは、まさにこの「盗まれた享楽」幻想を、「在日特権」批判というかたちで体現している。

 独自の文化を持ち民族文化祭などで盛り上がる様子や、民族学校で楽しげに学び遊ぶ姿はレイシストには耐えがたい屈辱なのだろう。『#鶴橋安寧 アンチ・ヘイト・クロニクル』を書いた李信恵さんの、ツイッター上で友人たちと韓国料理屋などで興じる報告などにも被害者意識を燃やしたに違いない。
 倉数は差異的レイシズムが民族浄化運動に繋がると説明する。彼らにとっての排除すべき悪しき対象は、実は自分自身に起源するものだ、という点については本書を読んで頂きたい。〈ヘイトスピーチの規制はあくまで対処療法である。困難はその先にある。〉文学的課題が残される。
 岡和田晃の別の本『向井豊昭の闘争』の副題「異種混交性(ハイブリディティ)の世界文学」の意味もこの『アイヌ民族否定論に抗する』全体を読むと理解が深まる。
 レイシストたちのアイヌ民族否定論は、史(資)料全体を読解せず、持論のために都合の良い部分だけをコピペしてつなぎ合わせたコピペ理論だ。コピペ理論に対峙する知性の集積として『アイヌ民族否定論に抗する』は上梓された。
 今も札幌や銀座でヘイト街宣が行われている。ネット上には差別扇動罵詈雑言が溢れている。僻(ひが)み嫉(ねた)み妬(そね)みのヘイトには、このような知性の闘いが必要だ。

2015年1月22日 (木)

李信恵『鶴橋安寧 アンチ・ヘイト・クロニクル』

ヘイト被害者の闘い
『#鶴橋安寧 アンチ・ヘイト・クロニクル』李信恵著 影書房

_0001 amazonで『#鶴橋安寧 アンチ・ヘイト・クロニクル』を探すとレビュー欄が賑やかだ。そして☆1つのレビューの殆どが、読んでいないとしか思えない内容で。著者に対する悪罵か、在日朝鮮人に対する憎悪表現で溢れている。
 彼らは何故そんなに著者を怖れるのか? 著者は在日コリアの女性ライター。女性誌や地域情報紙、またインターネット上にも盛んに執筆する。李信恵と書いて「リ・シネ」と読む(らしい)。彼女の一日はツイッターの罵詈雑言を読むところから始まる。「チョンは駆除」「売国奴」などと罵られ、「質問や意見」に反論していく。なんともやり切れない一日のスタートだ。そんなリ・シネが書いた本書は、副題に「アンチ・ヘイト・クロニクル」とある。人種差別主義者たちによる差別扇動憎悪表現とその被害者の闘いの記録だ。
 ネトウヨと呼ばれる人々がいる。インターネット上で嫌韓嫌中の排外主義を煽り、汚い言葉で日本に住む朝鮮に出自をもつ市民を罵る連中のことである。上記のamazonレビュー欄に中傷を投稿する人々もネトウヨと呼ぶべきだろう。ネトウヨの台頭は、韓流文化が日本を席巻した2009年頃に始まる。在日コリアンは日本人より優遇されていると思い込んだ人々が、SNSなどを使って連携的に悪罵を放ち始めた。〈差別は一人でこっそりとする恥ずべきものだったが、敵と認定した在日をチームを組んで倒すことに多くの人が興じている。〉差別は娯楽になった。
 そして彼等の一部は路上に出て街宣活動を始めた。在特会(在日特権を許さない市民の会)を代表格とする差別憎悪排外主義団体が現れたのだ。かれらは蕨市のフィリピン人一家に嫌がらせデモを行い、京都朝鮮学校を襲撃した。「朝鮮人を殺しに来た」と言い放ち、リ・シネは「朝鮮人糞ババア」と呼ばれた。(著者はこんな書評読みたくないだろうと思う)
 李は〈ヘイトをまきちらすだけのデモに社会的な価値を見出すことなどできない〉と書いているが、彼らには確かに利用価値があった。この閉塞した社会で自分が恵まれないのは韓国や中国が悪いのであるし、在日が優遇されているから日本人が惨めな思いをするのだという風聞を流し、非正規労働の拡大などの労働問題、介護報酬の値下げや福祉切り捨て、原子力発電所の危険性、何より特定秘密保護法による国民の人権抑圧や、自衛隊の海外派兵を遠望する集団的自衛権など山積みする政治的課題から国民の目を逸らさせる。右翼政治家は李も書いているように、〈マジョリティの漠然とした差別心を肯定し、後押しする言葉〉を知っていて憎悪を煽っているのだ。
 何よりも、ヘイト集団がネット上や街頭で「ゴキブリ、ウジ虫、朝鮮人」「殺せ、殺せ、朝鮮人」と聞くに堪えない差別憎悪扇動の悪罵を垂れ流すことによって、〈差別へのハードルをどんどん低く〉しているという事実が恐ろしい。デマも百回唱えれば本当に聞こえてくる。大阪鶴橋では中学生の少女が朝鮮人虐殺を喚き、国連でも問題にされた。ヘイトで大人に褒められる歪んだ精神を持たされた子どもの生涯はどうなるのだろうか?
 李は〈ヘイトスピーチは、ネット上で生まれて拡散し、現実までむしばむウイルスのような者〉だと言う。誰でも、気づかぬうちにレイシストになっている。戦前・戦中の日本人のようにだ。またナチスドイツに支配されたドイツ国民のようにでもある。
 日本に反ヘイト法が無い以上、差別は裁かれず、〈裁かれない分、きちんと贖罪したり禊を済ませたりする機会もない。許すことも、許されることもない〉まま蟠る。
 リ・シネの闘いは果敢だ。あるときはヘイト団体である在特会の桜井誠会長へ突撃取材したり、人種差別主義者「おつる」こと中曽千鶴子や「クロエ」こと中谷良子に親しげに声をかけたりする。また右翼番組として知られる「桜チャンネル」に出演する。全くのアウェー、右翼の論客の真ん中にだ。リ・シネは〈日本に生まれ育ったこと自体がアウェーなんだから、今さら怖くない〉と言うが、こう思わせてしまったことに日本の恥を感じる。日本に生まれ育った朝鮮人も日本がホームなんだと思えるような日本でなければならない。
 著者は京都朝鮮学校襲撃事件裁判の傍聴を続けるなかで、多くの支援者たちや弁護士らと知り合い繋がりを持った。同時に個人としてのレイシスト一人ひとりを見つめていく。彼らは自らのヘイト活動を撮影し、動画をアップする。〈他人を晒しているようで、本当に晒されているのは自分たちの醜い姿だ。〉〈他人を晒しものにしておきながら、自分のことになると強烈な被害者意識〉を持っている。レイシストの心の闇にまで迫る勢いだ。
 在日に特権などなく、むしろ差別的扱いを受けているのは明白で、国連人種差別撤廃委員会の指摘も受けている。レイシストは差別する理由を探し、こじつけ捏造する。リ・シネは一つ一つ事実を積み重ねて反論する。そして闘う。李と仲間は裁判で闘い、ヘイトデモには大勢のカウンターで迎え撃つ。「仲良くしようぜパレード」で共生を訴える。
 京都朝鮮学校襲撃事件裁判控訴審判決の頁は圧巻だ。この1頁に至る200頁が凝縮されたかのようだ。
 更に、リ・シネは自己の家族史を明らかにして見せる。読者に「在日」ってこうなんだよと晒して見せるのだ。此処には文学の心が見える。彼女が生きていく書いて闘って行く根拠を見せている。
 李の母親は彼女たちが兄弟喧嘩をすると「どの指を嚙んでも痛いように、どちらも大切な私の指で可愛い子ども」と言った。その言葉を受けてこう言う。

   周りから、なぜそこまで朝鮮学校に関わるのかと聞かれる時がある。そんな時は私もオモニに倣って「朝鮮学校の人々が受けた痛みは自分の痛みで、全部自分の中にある大切な一部だから」と答えている。
   韓国も共和国も日本も、朝鮮学校も民族学級も、親も兄弟も家族も。そして出会ったあなたも。みんな自分の一部で、大切な指。だから、あなたの痛みは私の痛み。そう思いながら、これからも関わっていくと思う。

 嘘には事実で、憎悪には愛情で迎え撃つ。李信恵の闘いに終わりはない。

2014年12月25日 (木)

岡和田晃と向井豊昭の闘争──辺境から立ち上がり国境を壊す

『向井豊昭傑作集 飛ぶくしゃみ』

『向井豊昭の闘争──異種混交性(ハイブリディティ)の世界文学』

_0001 2014年は岡和田晃の年だった。岡和田は2010年に「『世界内戦』とわずかな希望―伊藤計劃『虐殺器官』へ向き合うために」で第5回日本SF評論賞優秀賞を受賞するなどSFファンの世界では知られていたし、RPGなどゲーム関連の仕事でも有名らしい。だから正確には、私が岡和田晃という有能な批評家を知った年だったと言い換えることもできる。そして岡和田が私淑し紹介に努める向井豊昭との再会の年とも言えよう。
 岡和田は忘れられようとしている作家向井豊昭を再び世に送り出した。岡和田晃が編集した『向井豊昭傑作集 飛ぶくしゃみ』(未來社 2014.1)は、異彩を放ちながら多くは注目されることなく逝った向井豊昭の作品集だ。1月発行だが、私が知ったのは不覚にも11月だった。(岡和田氏本人に知らされたのだ)
 向井豊昭は、1996年63歳の時に『BARABARA』で第12回早稲田文学新人賞を受賞し、蓮實重彦らの高い評価を得た。その後商業出版で上梓された本は、『BARABARA』(1999年3月、四谷ラウンド)、『DOVADOVA』(2001年7月、四谷ラウンド)、『怪道をゆく』(2008年4月、早稲田文学会)など多くはなく、2008年6月30日肝臓癌で死去した。
 向井の主な発表の場は『早稲田文学』で、それ以外には下北の地域文化研究所発行の『はまなす』に書いていたことは知っていた。数点の自費出版も知っていた。晩年には『Mortos』という個人誌を発行して健筆を振るった。しかしそれだけではなかった。この反骨の大作家が少ない世評を集める63歳以前にもどれだけ多く書き、どれほど多くの文学的成果を上げたか、『向井豊昭傑作集 飛ぶくしゃみ』と、岡和田晃著の評論『向井豊昭の闘争──異種混交性(ハイブリディティ)の世界文学』によって思い知らされた。『手』などの個人誌や同人誌、『ウタリと教育』『教育評論』『歴史地理教育』など教育雑誌、『北方文芸』『日高文芸』『静内文芸』等地方文芸誌、エスペラント連盟の機関誌、その他『文學界』や『新日本文学』などにも掲載され、何点も自費出版している。作品年譜を見ればその数に驚かされる。
 『向井豊昭傑作集 飛ぶくしゃみ』には冒頭に小説「うた詠み」が置かれた。「うた詠み」は個人誌『手』に発表(1967年)され、『文學界』に転載された作品で初期の出世作ということになる。北海道の農村に赴任した小学校教師のぼくと、生徒である英代との関わりが縦軸になっている。英代は祖母と二人暮らしの貧しいアイヌの子で、妊娠流産して学校には出てこないでいる。ぼくは英代を訪ね同情するが、日常勤務や組合活動の多忙を心の言い訳に、積極的な関わりを避けていた。一方でぼくは文学を志していて、文学仲間を作るためにK党に入党するが虚しい。正攻法のリアリズム小説で主人公の忸怩たる思いを丹念に描いた佳作だ。向井豊昭の後期の作品に見られる、ややもすると難解な「魔術的リアリズム」とも言われる創作手法とは正反対に、分かりやすく純情な描写が光っている。どうしようもない貧困に追い込まれたアイヌの子どもと教育者として立ち向かい、己の無力を振り返る。作家自身意識したかどうかはともかく、「自同律の不快」が見て取れる。
 「耳のない独唱」(1968年)も初期の作品で、これもアイヌに拘った小説だ。アイヌ詩人の遺稿集を読んだ野沢は、その家族を訪ね悲惨な現実を目の当たりにする。詩人としての気高さと、欺瞞され剥奪された貧しいアイヌ生活の現実とは背理している。まさに「筆は一本也、箸は二本也」とはこのことだ。これは小説の中のアイヌ詩人の話だけに収まらない。
 書名とされた「飛ぶくしゃみ」や「新説国境論」は、最晩年の向井が出した個人誌『Mortos』に発表された作品で、岡和田によると30部、最終号は15部だったとのことだ。(ちなみに15分の1が私の手元にある。私はそれを誇りたい。)
 小説の解説はこれ以上はしない。『向井豊昭の闘争』がある。岡和田はこの評伝で向井豊昭の全貌を明らかにした。向井の知られざる作品まで詳細に読み込み、世に示そうとする行為は文学の価値と等価だ。岡和田は向井文学を読み込むことによって、向井が文字通り這うようにして辿り着いた幾つかの文学的理念に早くも気づいている。

 単純きわまりなく、排外主義やセクト化に接合されやすい「党」の論理から可能なかぎり離れつつ、その理念が「リベラルな配慮」と「ネオリベラルな政界構造」を経由して全体主義や文化帝国主義に結びついてしまう仕組みを、可能なかぎり挫折させていくこと。そうした姿勢が、政治的動乱が日常と融合し、差別的な言辞がインターネット上を飛び交うなか、新たな姿勢として求められてくるだろう。

 岡和田晃は向井豊昭の最も深い理解者であると同時に、向井文学を通して、向井が予測した現在の危険な状況、キャッチフレーズ選挙によって作られたネオリベラルな政界構造に対する怒りを共有する同志として登場した。
 私たちの国はいつの間にか差別扇動的怒声が飛び交う社会になってしまった。単純で知性を抹消した歪んだ言葉は、インターネットの世界や路上で飛び交うヘイトスピーチだけではない。選挙の際に上から放り投げつけられたワンフレーズポリティクスもそうだ。それこそヘイトスピーチを煽っている張本人だ。
 岡和田は、大著『北の想像力』(寿郎社2014年5月)の編集も担い、そこにも「『辺境』という発火源──向井豊昭と新冠御料牧場」を書いている。また『すばる』2014年12月に「夷を微かに希うこと──向井豊昭と木村友祐」を発表し、八戸出身の若い作家木村友祐を重ねて画一主義=国粋主義を打ち破る希望を示した。来春にはアイヌ差別に対峙する『アイヌ民族否定論に抗する』(河出書房新社)をマーク・ウィンチェスターとともに発行する。
 辺境から国境に進撃する言葉の使い手、若い批評家に教えられることが膨大だ。

追記
「向井豊昭アーカイブ」 はネット上で向井豊昭の作品を知ることができる貴重な資料庫

林浩治「向井豊昭とBARABARAな価値観」 はpdfで読めます。

2014年12月 4日 (木)

地方語・民族語・帝国主義語──金聖珉「楓の挿話」

前近代的差別に怒り、近代の被支配民族耐える

 岡和田晃「夷を微かに希うこと」(『すばる』2014年12月)に触発されて、木村友祐を読んで魅かれた。と言っても手元にあったのは『すばる』2014年2月掲載の「ひのもとのまなか」だけだ。
 木村は八戸出身で東京の日大芸術学部に進学する。日芸と言えば、よしもとばなな、林真理子、大鶴義丹、家田荘子、中園ミホと出身作家は枚挙に暇がない。古くは小沢信男の出身校でもある。
 で、「ひのもとのまなか」の主人公は作家と同じ境遇。八戸から上京した大学生だから、言語にコンプレックスを持っている。この青春小説は恋人との別れが故郷との別離に通じている。すっかり東京人に成り下がった主人公が再び故郷を訪ねる道中に、「倭」とは違う「日本(ひのもと)」の実存を東北に見出すに至る、ややロードムービー風の構成になっている。地方語多様にルビ振りという文体一つとっても、作家の意識がすでに小説の主人公よりも反中央に進んでいることが察せられる。まだこの段階では「日本語」から地方語を眺めているに過ぎないが、私に戦前日本語を強要された朝鮮人作家たちを想起させるには充分だ。
 戦前の小説に「楓の挿話」という短いものがある。作者は金聖珉で『月刊文章』1940年10月号に掲載された。朝鮮人で小説家の私が、親友の松下君と連れだって、美貌のマダムが経営するおでん屋「楓」に行ったときの経験を書いた小品だ。私は内鮮一体小説を書いていて悩みもあるようだ。

内地人がどれだけ理解に深く同情に厚いか、私の解釈がどれだけ偏狭であるか、またそれに他民族の欠点を晒け出しそれを嘲笑しようとする浅ましい考えをおこすことが、自民族の長所を示して相手の偏見を正すことより、どれだけ非効果的であるかを説明しはじめた。私は遂に屈服させられてしまった。

 伏せ字と思われる空白部分があって「私の愚痴」の具体的内容は不明だが、日本人の差別に嫌気がさしている「私」に、松下君が内鮮一体の正論を述べたのであろう。ところが、店では別のグループが熱弁の最中で、ある紳士(新聞記者)が気炎を上げている。紳士は朝鮮人の発音の酷さをあげつらって笑っている。紳士は「私たちの」(朝鮮人の)階級を、知識階級の内地語、一般階級の内地語、下層階級の内地語の三つに分類し、発音のまねをして笑っている。〈下層階級のはもう滅茶苦茶であった。私は自分のことをいはれてゐるのだといふことを忘れて笑ひ出してしまつた。〉
 かの紳士は調子に乗って、今度は方言を馬鹿にし始めた。〈同じ内地人でも東北の人間を見たまへ。彼等はなつちよらん。〉紳士は続いて鹿児島は沖縄へ追放すべき、北海道はアイヌのにおいがするなどと言いつのり、また東北弁を馬鹿にし始めて痛快がって笑った。すると部屋の一隅から「やめろ! バガヤロウ。」と声が上がった。図体の大きい無精髭の男が紳士の横っ面を張り飛ばして、「人のわるぐづばかりゆうて、なにがおがすいんだ。」とゆっくり言った。そして喧嘩になる。

私は呆然とそれを眺めながら考へてみた。私でさへ我慢してゐるのに、東北くらゐが何を無念がつてゐるのだらう。

 私は帰り際マダムに「わるくお思ひにならないでね。…」と送られ、その色香に眩惑されて〈内鮮融和ぢやないか。〉と思い直す。憮然とした松下君にあの新聞記者を小説に書けと勧められるが、「いや、俺はマダムの方を書かう。──」と言う。
 前近代植民地民衆に対する近代民族主義的感性の発露が、東北弁に対する紳士の悪罵だ。彼から見れば近代植民地である朝鮮も、前近代植民地である沖縄もアイヌも区別なく蛮族に過ぎず、東北さえも侮りの対象だ。ここでは紳士の出生は書かれていないが、出自がどうであれ、彼は大日本帝国の臣民として一等である自己を誇っている。「私」は鷹揚に構えて彼を許容する。これが1940年頃、朝鮮人が置かれた位置だ。
 作者の金聖珉は『緑旗連盟』などの、いわゆる内鮮一体の皇民化小説で知られる戦時中の朝鮮人作家だった。時流に沿った俗物作家と規定することもできる。しかしこの時代の朝鮮人作家はほぼ「親日派」作家(様々な形で大日本帝国の朝鮮植民地支配と朝鮮民族の皇民化に手を貸した作家という意味)だけであったし、日本人作家の殆どが軍国主義にペンをかしていた。
 「楓の挿話」の冒頭にポール・ヴァレリーが引用されている。

云はれた悪口は、忘れるよりも赦す方がよろしい。然し、赦しは決して眞實でない。先に受けた苦悩は何ものといへどもこれを消し去り得ない。こんな状態で赦すものは、後の氣持を今の氣持として僞るものだ。上品な喜劇だ。

 鱓の歯軋りの感が捨てがたいが、忸怩たる思いは伝わる。金聖珉は創氏改名を宮原惣一と言い、若き日の金達寿と親しかったらしい。戦後の消息は不明だ。
 彼に佳作はないので批評も少ないが、下記のブログは感想だけでなく、内容にも詳しい。
「親日派」小説、読まずに排斥すべからず!② 金聖珉「緑旗聯盟」を読む(上)
 (中)
 (下)

2014年11月21日 (金)

武士道

左翼が考える「武士道」

 小沢信男『通り過ぎた人々』(みすず書房)に、こんなことが書かれている。

   じつは新日本文学会は、入ってみたらやや剣道場のおもむきがあった。すきあらばいきなり、お面! と打ちこまれたり、居心地がわるいったらないが、同時にこの板の間では、有段者も新参も対等に向きあうことが、どうやら基本の姿勢とされていた。

 新日本文学会と言えば、人呼んで「左翼文学団体」であった。左翼文学団体を評するに剣道を以て譬えるとは、剣道=右翼、武士道──国家に対する忠節という印象を覆す。小沢信男には具体的イメージがあったようだ。アナキズム詩人寺島珠雄について次のように書いている。

   寺島珠雄の父は剣士だった。警察署の武道主任を多年つとめて、念願の道場を建てた。珠雄も幼年剣士として育った。警察官の子にしては、不孝者の見本みたいな青春だったが。
   あるとき氏から聞いた。親父は山岡鉄舟の流派だった、と。さては剣禅一如の無刀流。寺島珠雄は、無刀流のアナキストであったのか!

 と読んでも無刀流はおろか剣道が分からない。武士道も分からない。考えたことがないのだ。たしか高橋三千綱の『九月の空』が剣道にうちこむ少年の話だったようだが、まったく覚えていない。わが埼玉文学学校代表の野川義秋にも剣道少年ものがあった気がするが失念した。
 映画「武士道シックスティーン」で、主人公の一人磯山香織の愛読書は宮本武蔵『五輪書』だった。香織は勝負にこだわり、もう一人の主人公早苗は剣道を楽しむ。香織になった成海璃子は相当作り上げていて好感が持てたが、(原作と比べると)いかんせんもう一回りごっついと良かった。早苗の北乃きいはぴったりと言えば言えるが、こちらも逞しさが足りなすぎた。第一剣道のシーンが迫力不足だ。
 原作は誉田哲也『武士道シックスティーン』だが、これには続編として『武士道セブンティーン』『武士道エイティーン』がある。映画と原作は若干設定が違う。
 原作に依ると、香織の父親も寺島珠雄の父同様に警察で剣道を教えている。香織は武士道を極めようとしていて、愛読書は『五輪書』と新渡戸稲造『武士道』だ。『五輪書』と『武士道』では内容がまったく違うから、香織は読解に苦しんだろう。
 さて、武士道と一口に言っても、時代や立場によって千差万別だ。武士道を語るときに引き合いに出されるいくつかの古典、『甲陽軍鑑』は16世紀後半、『五輪書』は17世紀半ば、『葉隠』江戸時代中期(1716年ごろ)に書かれた。殆ど共通点はなく、前近代の武士道は体系だった思想ではなかった。「武士道」という言葉が一般的になったのは、新渡戸稲造が英語で書いた『Bushido: The Soul of Japan』(1900年)が欧米で話題になり、後に日本語訳が出版されてから以降だろう。
 良く分からないので武士道の解説書として読みやすそうなものを探したら、NHKの山本博文『100分de名著 武士道』が見つかった。kindle版があるので老眼でも読みやすい。
 新渡戸は日本人の倫理感の高さを武士道をモデルとして国際社会に紹介した。なぜ百姓魂でも、町人精神でもなかったのか? 第一に新渡戸自身が武士階級の出身だからだ。第二には、それが支配階級の思想だったからである。(これは私の感想であって『100分de名著』に書かれている訳ではない)新渡戸稲造は、支配階級の支配者ならではの義務を伴った倫理観を武士道に求めた。そしてこの封建社会で芽生えた思想を国民社会の倫理観として欧米に紹介したのだ。
 新渡戸稲造の考えた武士道とは、まずその定義として〈武士が支配階級にある者としての責任を自覚した上で、身につけ守らなければならない教え〉としている。
 また、武士が身につけるべき徳目は以下。
義=卑怯や不正を憎む心性
勇=正しいことのために行為をなすこと
仁=弱者、劣者、敗者に対する思いやり
礼=他人の気持ちを思いやり、社会的地位に敬意を払うこと
信=嘘やごまかしをすることなく、口に出したことは命をかけて守る心構え
名誉=人格の尊厳と価値についての積極的な自覚
忠=目上の者に対する服従と忠実
智=単なる知識ではない叡智
 これらの徳の最上位に「忠」がおかれる。ただし、主君への諂(へつら)いや追従ではなく、時には命を捨てて主君を窘めなければならない。
 また武士は金儲けを卑しんだということが強調されているそうだ。だから経営者を「武士」と呼ぶことはできない。「武士の家計簿」などは武士道とはかけ離れた恥ずべき姿だ。在特会やネトウヨの輩と正反対の精神のありようだ。他者を貶めて金儲けしようという品性下劣な人間と、武士道とはどうやら無関係のようで、なんとなく安心した。
 ところで新渡戸は、武士道は当初はエリートの栄光だったが、やがて国民全体のあこがれとなったと、武士道と大和魂を同一視した。首都を東京に置く近代民族国家の統一精神を武士道とするのは分かるような気もするが、=大和魂には納得いかない。武蔵魂ではいけなかったのは、天皇制との関係だろうが、無理矢理纏めた感は否めない。
 武士道オーケー。切腹はいやだが、武士道を日本精神のありようと右翼の方々が考えるならば、そこには拍手を送りたい。高潔で高邁な美しい心のあり方だ。
 さきの『通り過ぎた人々』でアナキスト詩人秋山清の言葉が引かれている。

  詩をかくというくらいのことを詩人の資格などとはさらさら思わない。詩人とは、われをつらぬいて生きそして死ぬ者、とかたく思い込むようになった。

 武士だね~!! 

                             NHK 山本博文『100分de名著 武士道』
                             小沢信男『通り過ぎた人々』(みすず書房)

2014年11月 3日 (月)

菅原克己『遠い城』

菅原克己『遠い城』
主体性を持った個人の集団としての民衆こそ希望だ

Photo 小沢信男さんが昨年の年末に『捨身なひと』(晶文社)という本を上梓して、埼玉文学学校で話をされるというので急いで読んだ。小沢さんと関わりのあった愛すべき先達に関する面白話だ。新日本文学会に入会したての忘年会で「昭和生まれが入ったか!」と騒がれた。そんな若者も来年は米寿になるそうだ。ついに「平成生まれが入ったか!」という驚嘆を聞くことなく新日本文学会は解散してしまった。後輩として申し訳なく思っている。
 『捨身なひと』を読んでいると、花田清輝やら長谷川四郎やら読み直したくなって進まない。『中野重治随筆抄』は持っていないので読めない。菅原克己『遠い城』は一寸のつもりで読み始めたら止まらなくなった。小沢さんは〈「遠い城」は小説です。〉と語っている。なるほどである。菅原克己は共産党員だった。戦前最後の「赤旗」プリンターだった。扉の次に、非合法共産党時代に菅原がガリ切りした「赤旗」の写真が載っている。そして詩人だった。しかし、勇ましいプロレタリア詩は書けなかった。抒情詩人だ。抒情詩人にして共産党の活動家、軍国主義時代は非合法活動家だ。
 非合法活動というのはいったいどんな感じだろうか? 高校生が学校側にばれないようにビラを撒いたり、同級生を反戦デモにオルグするのとはレベルが違う。なにしろ逮捕されたら殴られて刑務所行きだ。下手をすると小林多喜二のように殺されてしまいかねない。実際菅原克己も身体を壊したり、いくらか良くなったと思ったら逮捕されたりしている。
 それよりも複雑な煩悶もある。直結する党の幹部「オッチャン」が実は特別高等警察のスパイで、しかも党中央の査問中に死亡するという事件がおきた。これは共産党の赤色リンチ事件と騒がれた事件で死んだスパイが小畑達夫、もう一人が大泉謙蔵だ。因みに大泉はハウスキーパーまで手玉にとった詐欺師で、戦後は実業家として成功し叙勲までしている。権力に媚びた詐欺師が資本主義では「成功」する。
 『遠い城』の主人公岡は共産党中央の幹部である袴田里見や、その妻田中ウタとも親しかった。

   感情の上では今でも〈おじさん〉をなつかしいと思う。それはたしかにある。しかし、今はこの人についてゆけるかというと、──ぼくは首を振るような気持ちだった。

 戦後、公会堂で颯爽と演説する〈おじさん〉に、戦前親しかった指導者として懐かしさを感じると同時に不信も感じていた。〈党員を動かすものは、内部から吹き上げる人間の理想〉でなければならない。しかし現実は違った。〈おじさん〉というのが袴田里見で田中ウタは〈おばさん〉として登場する。「ぼく」であり「岡」である菅原克己は〈おじさん〉の〈おばさん〉に対する態度に厭なものを感じている。それは多分党の官僚主義であり、男尊女卑だったり、エリート主義のようなものなんだと思われる。ファッショ政権下、党の最も地味なところで働き、牢獄も経験するなど苦難の日々を送ってきた〈おばさん〉は権力によって〈おじさん〉と別れることを承諾させられた一点によって、戦後「裏切者」との烙印を押される。

  大義名分を立て、原則を貫き通すようにみえながら、なおかつ寒々としたものを感じさせるもの──それは下積みの者たちが、生きるために常に支えにしている、人間に対する「手厚い心」の欠如だった。

 岡たち新日本文学会に属する共産党の有志は、党中央の官僚主義に関する意見書を出し、逆に〈ブルジョア自由主義者の分派活動〉として非難される。岡は地域細胞の査問にかけられる。
「個人的なことは辛抱するのが党よ。……中央委員会さまさまだよ」と軽口風に語るS夫人の言葉に、岡は思わず笑ってしまう。
 岡は査問の後も地区党の無理な指令をこなした。夜12時にビラを頼まれて朝工場に撒きに行く。党活動に献身しながらも自己批判しない岡は処分される。
 個人の人権を守るべく闘う組織は、巨大な厚みを持った城壁に囲まれ、個人の声を聞かない。これは小林多喜二が『党生活者』で提起した問題に通じるだろう。目覚めた主体としての個人は、多様な場面で多様な攻撃を受ける。保身が他者を攻撃せしめる。
 小沢信男は『遠い城』について、〈この小説は「正直」がテーマです。〉と言っている。なるほどと思う。一言で言い尽くす妙だ。

                   (菅原克己『遠い城』創樹社1977年/『増補版 遠い城』西田書店1993年)
                   (小沢信男『捨身なひと』晶文社2013年)

2014年10月30日 (木)

ワイモバイル(Y!mobile)DIGNOⓇ302KC

スマホデビュー ワイモバイル(Y!mobile)DIGNOⓇ302KC
不易流行だ !!
Digno_bl_2 スマホデビューと言っても、初期スマホを使っていたことはある。WILLCOMのW-ZEROというキーボードが引き出せるタイプだ。windowsでword・excelが使えるので、現在のスマホよりパソコンに近くスピードは遅い。しかしそれ以来WILLCOMとの付き合いが長いのだ。次にPHS「WX130S」を購入した。これは2010年7月から4年4ヶ月使った。45mm×107mmというジーパンの前ポケットに入れても邪魔でないサイズでスタイリッシュだ。W-ZEROと反対に、電話とメールしかできないが無駄がない。使用料金も月2,827円と安かった。
 ところがWILLCOMは今年(2014年)6月1日ソフトバンク傘下のイー・アクセスと合併し消滅、Y!mobileワイモバイルとなった。そしてPHSや他者ケイタイなどからの乗り換えキャンペーンが始まった。本体無料が心を動かした。不易流行ということもあるし、ワイモバイルから届いたお薦めプランによると「2,980円/月」ということで今の支払いより153円高いだけだ(無職の身でこんなこと言っていて良いのか自分ながら疑問はある)。私はついにケイタイの機種変更を決断した。スマホ再デビューだ。
 キャンペーンは10月(今月)一杯とのことなので27日月曜の朝、駅前のワイモバイルショップを訪れた。家から2km強の道のりだが歩いた。慢性的運動不足だから気を遣っているのだ。体脂肪率23%は肥満の一歩手前らしい。体内脂肪が多いタイプか? 以前に来たときにはWILLCOMショップだったが、Y!mobileショップに変わっていた。とても小さな店だ。町のおでん屋くらいのサイズだ。カウンターのお嬢さんに機種変更を告げると、彼女はやや口を曲げながら丁寧に説明してくれた。製品の色は青しか残っていないというので仕方ない。結構売れているらしい。その日は「システムが故障」しているとのことで、予約のかたちでショップからの電話を待つことになった。
 二日後の朝もう一度訪ねると、カウンターには若い男性がなにやら慌ただしくしていた。名前を告げると「伺っております」と応えて、本当に詳しく説明してくれた。こちらを聞くと一昨日の彼女の説明は空っぽだったな。「2,980円/月」というのは、2年間限定の1,000円割引だった。しかし、なんと今まで使っていたWX130Sも電話番号は変わるが実質無料で継続使用できるとのこと。お兄さんが言うには、地震などの緊急災害時にPHSは比較的繋がり安いのだそうだ。
 ところで「システムが故障」というのは、乗り換えキャンペーンが繁盛してラッシュ状態だということらしい。社員てんやわんやというところか。
 私は1GBの「スマホプランS」で契約したのだが、いったん7GBのスマホプランL扱いになるのでいろいろダウンロードなりして、来月初めにSプランに戻せば良いそうだ。その際にオプションも解除してもらうのが私のような使用頻度の少ない人には得策だそうで、客の立場を考えた対応だ。
 オプションは、まず一応保護カバーを購入した。インナーとアウターの2枚重ねで両方で3,240円。衝撃に強いとは聞いたが一応落としても良いようにだ。それに充電アダプターも1,512円で買った。これらはamazonで買った方が安かったかも知れない。それとSDカードは付いていないとのことだったので別途amazonに注文した。
 こうして私のケイタイは小型PHS「WX130S」から、4.5inc液晶のスマートフォン「DIGNOⓇ302KC」に替わった(PHSも生きることは上記した)。電話番号メールアドレスも引き継げる。京セラの製品、防水・防塵で衝撃にも強いというのが売りだ。でかいから薄着の夏などは持ち運びに困ることもあるかも知れない。赤外線通信ができないなどWX130Sに比べて劣る点もあるが、使い方次第だろ。もう一回言うが不易流行だ。

 さて、DIGNOを購入して丸3ヶ月経った。何か調子がおかしいぞ。電話がかかってこない、というかかかってくるとDIGNOが再起動してしまう。どうやら故障だ。で、ワイモバイルショップを訪問。ショップにきたらインターネットも繋がらなくなってる。強靱が売りのモデルだったのになあ!! 修理をお願いして、代替機を借りた。連絡帳がコピーできないよ。
 さて、1週間後ぼくのDIGNOが返ってきた。基板の不具合とのことで、製品交換だそうだ。修理費は0円。まあ、良かった。

2014年9月29日 (月)

鄭智我『歳月』

老いは醜いか 清冽な韓国文学の短編集

 日本は超高齢社会に突入し、親の老いを見ながら、介護する自分の老いを感じなければならなくなった。ドキュメンタリーや映画、それに文学でも「老い」を扱った作品は増えている。韓国の作家だが、鄭智我(チョン・ジア)作品集『歳月』はまさに老いを見つめ、老いを描いた短編集だ。そこにあるのは老いを生きるための、どのような理念でも政治でもない。そこに表されたのは文学だ。しかし、文学が政治や経済を含む歴史を背景にしていることも事実だ。
S 鄭智我の小説は〈悲しい韓国の歴史と背中合わせになって〉いる。1945年の解放後、朝鮮半島の南半分では、南朝鮮単独政権の樹立を企てるアメリカと李承晩に対して、分断国家の成立に反対する左翼グループが対立した。金石範の『火山島』や趙廷來『太白山脈』などはそうした歴史を描いた作品だ。鄭智我『歳月』に収録された短編群は、そうした歴史を踏んで歩む人間の姿を清冽に描いた生の物語だ。
 表題作「歳月」は、無学な農村の娘だった「あたし」が革命家に嫁ぎ、パルチザン討伐軍に追われ、生まれたばかりの息子を凍死させるような辛酸の果てに老いを迎え、呆けた夫と向かい合う境地を語る話。小林多喜二『党生活者』の提起した革命家と家族という問題に、一つの回答を得たように思う。我が子の食事を減らしてまで買った高級毛糸で編んだセーターを、獄中の夫は差し入れのない青年にあげてしまい、面会に行った妻を〈自分の家族のことばかり考えている〉と叱る。立派な革命家である夫と、夫を理解し精一杯の努力をするが夫には批判される妻の関係は、『党生活者』の主人公と笠原の関係に似通っている。歳月は、何が正しくてどうする生き方が優しいのか、生きているその瞬間と違った答えを出すかも知れない。
〈あたしもあんたも歳月という監獄の中で生きてきたじゃないか。〉所詮人間は歳月に囚われている。歳月は平等だ。金持ちの娘の裕福な生が幸せだと決めることは出来はしない。貧しく生まれ、パルチザンに参加した夫が囚われの身となり、出獄後も彼女を顧みず、そのうち呆けてしまっても、そんな夫の面倒を見て生きた人生が無駄だったとは誰にも言えない。
 「歳月」の夫婦同様、人間は老いる。「風景」の主人公である男は60歳を越え、100歳近い呆けた母との二人暮らしだ。山の中腹の家は村からは遙かに遠く、たまに村役場の社会課の職員が訪れるくらいだ。男は七歳の頃から母親と二人の生活だった。一番上と二番目の兄は麗水十四連隊について山に入った。パルチザンだ。三番目の兄は博打の取締を石で殴って逃げて以来行方不明だ。五人の姉たちも帰って来ない。男だけがずっと母と暮らし続けたのに、30年前に母が最初に忘れたのは男だった。母は男を山に入った兄たちと間違えて、男の顔を撫で米や干し柿などを背負わせ、巡査が来るといけないと背を押した。
〈男の一生は、家と村を行き来する路上にただひっそりと澱んでいた。〉
 余所へ出て行った兄たちは死に、男は生きた。食べて寝て畑を耕し、母親の世話をする、ただそれだけの人生を男は送っていた。
 『歳月』に収録された作品はどれも山村が舞台で、静かに流れる文章は情緒豊かでもの悲しく、読者の情感を誘う。

   永遠に続くかのようにゆっくりと、それでいて矢のように速く時間が過ぎていった。下の村の方から這い上がってきた暗闇が母親と男を呑み込んで、山のてっぺんに向かって駆けて行った。今にも崩れそうな古い柱のように、母親と男は歳月に耐えていた。月はまだ出ていない。やがて爪先ほどの三日月が、闇の中に浮かび上がるだろう。

 宇宙の老いに比べれば人間などあっという間だ。文学を騙るエクリチュールが憎悪を煽るとしたら、仮構された悪に正義を対峙させるのだろうか? それは憎悪さえ偽物だということになる。実に儚い。
 では鄭智我の闘いは和解を求めるのか、真実を追究するのか? 文学の意味は論理では説明が付かない。ただ、排泄さへ忘れた老婆や、お節介なおばさんを、また寂れた寒村の日々を美しく描いただけだ。

                                                       鄭智我『歳月』 橋下智保訳 新幹社 1800円+税)

2014年9月16日 (火)

『クロニクル二〇一五』 磯貝治良(一葉社)

諧謔と皮肉で大状況に抵抗する
S 安部政権下、特定秘密保護法の成立、解釈改憲による集団的自衛権の行使容認等々全体主義的軍国主義国家への道が次々に整えられていく現在である。安倍政権の閣僚には右翼政治家が勢揃いし、自民党政務調査会長には極右の稲田朋美が就任した。朝の連続テレビ小説の作者でさえ、戦争前の雰囲気と空気が似ているとTV番組で公言し危機感を表した。
 さて、磯貝治良の『クロニクル二〇一五』の第一章「骰の時」が『新日本文学』に連載されたのは2000年のことだった。その後在日朝鮮人作家を読む会機関誌『架橋』(2003年6月)に掲載された第2章に、新たに書き下ろされた第3章を加えて出版された。『新日本文学』掲載から14年の歳月が過ぎてしまったので、あえて近未来小説と呼ぶのも憚れる。近未来小説というよりは異次元小説と呼ぶべきか? 元々小説は仮構された別世界を描く虚構なのに、この小説はわざわざこの世界とは違う世界だよと前提して表出している。この小説の世界は日本にそっくりだが「イエロー国」と呼ばれ、アメリカに当たる国家は「ホワイト国」、朝鮮半島は「うさぎ半島」ということになっている。
 老人ホーム「五条の里」に暮らす1937年生まれで70代後半の老人3人は、ぼやきと世情批判に余念がない。彼らのうち阿九む光は、その来歴から作者の分身であることが分かる。あとの2人はうさぎ国出身のソットン氏こと馬磧東と、碧眼長身のレナト神父である。彼らは老人ホームを抜け出し、一矢報いるために首都議会を目指す。
 一方、Hロシマで共同生活する若者3人は1995年生まれの20歳前後。ふらわー・さんこと花咲一陽、Cゴールドこと金海聖はうさぎ国出身の4世、それに父親がカナダ籍のジョルジュことジョージ宮里。3人とも、中学のときに人を刺したり、銃を交番に撃ったりの傷害事件で逮捕された経験をもち、少年院で気があって出所後も共に働き共に生きている。この小説の登場人物の大半は、老人であれ、若者であれマイノリティーだ。様々な事情によって反体制的感性を身に染み込ませている者たちである。
 若者3人は寄せ場仲間から依頼されて首都議会のあるMサカに向かった。どうやら日本にそっくりなイエロー国の首都議会は東京から引っ越したようだ。イエロー国では現実の日本より少し管理社会化や軍事国家化の進み具合が先んじていて、すでに徴兵制が実施されている。街には「祝 徴兵制度 挙国一致 世界の平和に貢献しよう」などという浅ましい垂れ幕が飾られている。
 老人3人と若者3人はMサカで出会い、その反体制性を感じあって友情を結び、「正義と夢の探検隊」を結成し、厳重警備の首都議会に闘いを挑み、敗北すると今度はN半島のイエロー軍基地と対決する。後半は流浪の少女オードリーも加わって官憲との対決を鮮明にしていく。
 知恵と経験がある老人たちと、エネルギーと生きる目的がある若者たちの共同戦線は、一種のユートピアに読める。最終章、阿九む老人と刑事たちとの論争に快哉を叫びたい。硬直した体制のなかで与えられた役割を演じるしか自意識を保てない者と、思想がまったく自由である者との議論だ。刑事が呟くように、この老人は無政府主義者なのではなく、無政府主義的人間なのだろう。それは作者磯貝治良も同じこと。諧謔と皮肉で大状況に抵抗する文学を構築できるのも磯貝の思想的特性による。
 現実の日本を見よ! 有事と名付けられた戦争に自衛隊が狩り出されれば、自衛隊員志望者は激減し、不足分を補うために徴兵制が復活する可能性は低くない。ネトウヨや在特会のような卑怯な奴らは逃げるに決まっているので、まじめに生きる庶民が赤紙一枚で引っ張っていかれることになる。『クロニクル二〇一五』は抵抗であると同時に警告でもある。心せねばならない。
                          (磯貝治良『クロニクル二〇一五』一葉社)

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